安倍晋三の「品格」

安倍晋三の「品格」

最近、「なるほど」と感心したのは、エズラ・ヴォーゲルさんの分析です。友人の出口治明さんが「日本はどう中国と付き合うべきか」という対談のなかで、ヴォ―ゲルさんの興味深い見方を引き出しています(『週刊文春』2020年1月16日号)。かれは鄧小平と習近平を比較して、習近平の特徴を的確にとらえているのです。

 

鄧小平と習近平の比較

鄧小平は1920年、16歳でフランスに渡って働きながら5年間学び、ロシアでも1年間マルクス主義を勉強しました。帰国後は、第二野戦軍などを12年間指揮しました。1949年の中華人民共和国成立後、西南地方の行政局第一書記を3年間やり、それから北京に行って、共産党の総書記を10年務めるのです。この間、行政手腕を磨きました。1966年の文化大革命で地方へ追放されましたが、毛沢東に詫びを入れ、1973年に北京に呼び戻されます。そして、周恩来首相の右腕として外交にかかわるのです。

これに対して、習近平は副首相まで務めた父親習仲勳の文化大革命による失脚で、16歳のとき農村に下放され、7年間農作業に従事しました。その後、父親の復権で清華大学への入学が許されましたが、文化大革命の時期であっため、高等教育は受けていないのです。外国で学んだこともありません。つまり、「習近平の経験は、鄧小平の経験とは比べ物になりません」。さらに、ヴォ―ゲルさんはつぎのように指摘しています。

「そういった経歴の習近平は、自分には力がある、と誇示したいのです。知識人、人権活動家、少数民族などへの弾圧を厳しくし、南シナ海での強引な人工島建設など拡張主義的な外交を行い、国際社会の反発も意に介さないのは、そのためだと思います。」

さらに、ヴォ―ゲルさんはつづけます。

「鄧小平は大きく政治的な方針を示したら後は部下に仕事を任せておくマクロマネジメントのやり方でした。部下は鄧小平に敬意を抱き、かれの言うことをよく聞きました。

一方、習近平は政治、軍事、経済、メディア、教育、外国などあらゆる分野に口を出し、李克強首相の領分まで自分でやってしまいますが、習近平にはそれほどの権威はない。だからこそ、いろいろな雑事に関しても会議を開き、強面を見せるのでしょう。」

 

習近平と安倍晋三の類似点

ここまで読めば、安倍晋三が習近平とよく似ていることに気づくでしょう。政治をビジネスにしている世襲政治家の家に生まれ、平凡でのんきに育っただけの安倍に敬意をいだく人がいるとすれば、それば「血筋」への忖度であり、鄧小平が集めた深い信頼と尊敬に基づくものではないでしょう。習近平に比べて安倍が問題なのは、「農村でくすぶる」といった大きな挫折を経験したことがない点でしょう。おそらく自省して深く考え、社会や世界の矛盾に真正面から向き合うことなどなかったに違いありません。たぶん、哲学書を読み漁るといった行為をしたことはないでしょうね。人間の「業」といった苦渋や妬み嫉みの類からは縁遠く、田中真紀子と同じように、「敵か味方か」あるいは「使用人か」くらいの単純な頭脳があるだけかもしれません。

こんな安倍ですから、習近平と同じように、人事を使って強面を気取るしかありません。安倍周辺の「お友達」の多くもまた、敬意をいだかせるに足る経験を積んだというよりも、世襲政治家の一人であり、尊敬に値するだけの人物がいるとは思えません。ゆえに、かれらもまた、担当する省庁のトップとして強面を気取るしかないのです。麻生太郎がその典型ですね。バカだからこそ、強面でしか対処できないのです。

官僚からみれば、何の経験もなく世襲政治家として育てられてきた政治家などまったく尊敬の対象にすらなりません。小泉進次郎は節操のないマスコミにちやほやされていますが、まったく経験も実績もない単なる若造にすぎません。唯一あるのは「血統」だけです。ゆえに、かれも安倍とよく似た「暴君」になるのはほぼ確実だと思います。

 

ウラジーミル・プーチンと安倍晋三の比較

プーチンはいわば「たたき上げ」ですから、安倍とはまったく異なります。ただ、大した経験があるわけではなく、ボリス・エリツィンに見出されて大統領に推挙してもらった男にすぎません。そのため、2000年5月に初めて大統領に就任すると、かれは強面にならざるをえませんでした。ほとんどの人はプーチンを知らず、敬意を集めるだけ人物とみなされてはいなかったからです。もちろん、すでにモスクワのアパート爆破といった恐ろしい事件にかかわっていた可能性が大なのですが、そこまで悪辣な人物とはまだみられてはいなかったように思われます(その後、いろいろと「真実」が暴かれてから、プーチンの本質がわかるようになります)。

どうやら権力者になるだけではなく、その権力を維持するためには、「恐れられる」というのが手っ取り早いようなのです。鄧小平ほどの人物でないかぎり、人はそう簡単に敬意をいだいたりしないからですね。

わたしは安倍に会ったことはありません。プーチンとは2012年10月25日午後5時すぎから2.5時間、晩餐をともにしたことが一度だけあります。といっても、出席者は外国人40人、ロシア人10人ほどでしたから、一対一で会ったわけではありません。それでも、同じ場所に2時間以上いて、強く印象に残ったことがあります。それは、プーチンの「誠実さ」のようなものでした。わたしにはまったくバカな質問としか思えないような質問に誠実に答えつづけるプーチンに「憐れみ」さえ感じたのでした。かれは食事を口にせず、赤や黒のスグリの実を口にする程度で一生懸命に質問に答えていました。

こんなプーチンの姿と、そもそもジャーナリストなどに真正面から向き合おうとしない安倍を比較すると、安倍にはまったく誠実さを感じません。わたしがこのサイトで何度もDishonest Abeと表記して安倍を揶揄しつづけているのはこのためです。もちろんプーチンが本当に誠実なのかは大いに疑問ですが、少なくとも逃げてばかりいては、権力者は権力を守れないことをかれは知っています。ところが、安倍は平然と嘘を語り、逃げてばかりいます。こんな人物の権力がいつまでもつづくことは100%ないでしょう。

 

細川護熙と安倍晋三の比較

最後に、ヴォ―ゲルさんに倣って、ここで細川護熙と安倍晋三を比較してみましょう。細川は1994年4月8日に退陣を表明しました。東京佐川急便事件の関連で佐川急便グループからの1億円借金問題などを当時の野党、自民党に厳しく追及されたことがその背景にあったと思われます。このとき、細川は最終的には辞めることで、法律違反の可能性に対して責任をとったと言えなくもない。

これに対して、安倍もまた「桜を見る会」で、税金で選挙民に飲み食いさせたたけでなく、その前日のホテルでの会合で選挙民に饗応していた疑いが濃厚です。いずれも、検察当局がしっかり捜査すれば、公職選挙法違反で立件できるでしょう。つまり、安倍もまた法律違反をしている可能性が高い(だからこそ、このサイトに書いたようにLock Abe Up!なのです)。そうであるならば、安倍は辞めるのでしょうか。

たぶん、安倍は辞めないでしょう。細川ほどの「品格」が安倍にあるとは思えません。政治家である前に、一人の人間としてどう生きるべきかを考えたことのないようなかれにとって、「誤魔化すことですべてがすむ」と思っているのでしょう。こんな人物が首相を務めていることで、日本の検察は法律違反の疑いが濃厚な多数の政治家を野放しにしています。おまけに、粉飾決算をした東芝経営者さえ逮捕・起訴しなかったことで、企業経営者の遵法精神を大いに削いでしまっています。関西電力や日産自動車の複数の経営者は特別背任にあたる可能性が大いにあります。こんな連中を許す社会的ムードを安倍がつくり出しているのです。

21世紀龍馬会の代表として、はなはだ残念に感じています。そして、心配なのは優れた政治家が権力者になれない現状です。麻生太郎と安倍晋三といった品性下劣な政治屋だけでなく、同じ世襲政治屋の小泉進次郎さえ首相になるとすれば、もうこの国の政治は終わりでしょう。

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塩原 俊彦

(21世紀龍馬会代表)

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