2021年7月30日(金)
2021年7月30日(金)
前回についで、もう少し財政破綻について説明してみましょう。そのシナリオを具体的に描いてみたいと思います。ここで紹介する内容も私自身の拙稿です。「ぼく」を主語に書いています。よく噛みしめながら読んでみてください。
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ぼくは地方銀行の破綻を契機に、日本の国家財政の破綻も起きるのではないかと懸念している。たとえば、2021年7月30日(金)の出来事を想像してみよう。日本中が猛暑で苦しむなか、ある地方銀行の支店でひと悶着が起きるのだ。それは金曜日の午後2時すぎのことだ。ある婦人がカウンターで預金をおろすために「1000万円」と書き込んで通帳と印鑑を出し、整理券を受け取る。しばらくして窓口に呼ばれた婦人は女子行員から「お客様。この金額で間違いありませんか?」と尋ねた。「はい」と婦人は答えたが、行員は「この金額ですと、当支店では本日、お渡しすることができません。現金の用意ができません」と一方的にまくし立てる。これを聞いた婦人は「どうしてなの。私の預金なのになぜそのお金がないのよ」と応じた。
「引き出す金額が多い場合には、事前に連絡をいただかないと、ご用意できないんです。それにご本人であるかどうかを確認するための書類も必要になります。どうしても本日中に必要でいらっしゃいましたら、本店に連絡しておきますので、そちらに取りに行ってもらえませんか」と、行員は事務的にそっけない態度で説明した。
行員の態度に婦人は腹を立て、店中に聞こえるような声で言い放つ。
「なにを言っているのよ。本人確認のための免許書は持参しました。私のお金を返さないというの。自分の預金をおろすのに、前もって連絡しろとか、本店に取りに行けというのはどういうことなの。この銀行はそんなに経営状態が悪いの。倒産間際で、1000万円さえ払えないってわけ」といった具合にまくしたてる。
もめ事はしばらくつづくのだが、支店長が顔を出して別室に連れて行き、何とかこの場は収まる。しかし、この騒ぎに耳をそばだてていた人々がたくさんいた。悪いことに、この地銀は運用難で安易な国債保有に頼っており、総資産に占める国債保有率が2割を超え、地銀でもっとも高かったから要注意という風評が以前からあった。ゆえに、ここでの出来事が「○○地銀が危ない」というソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)上の情報となってあっという間に拡散し、それが月曜日の取り付け騒ぎへと発展するに至る。
これをきっかけにして、株価も暴落する。それどころか、国債保有率の高い地銀がリストアップされた情報がSNS上を拡散、別の複数の地方銀行でも取り付け騒ぎが広がってしまうのだ。国債価格が下落しても、取得価格より半分以下に落ち込まなければ、貸倒引当金を積んで減損処理する必要はないから、すぐに地銀の経営が悪化するわけではないといった専門家の解説が火に油を注ぐことになる。「地銀が危ない」というメッセージだけが燎原の火のように広がってしまうのだ。
こうして混乱が瞬く間に広がり、多くの投資家は先行きに不安を感じて国債を買うどころか、むしろ、保有していた国債の投げ売りを誘発してしまう。それに海外の投資家による売却が加わる。その結果、流通市場で国債価格が暴落してしまう。こんな状況では、発行市場でも新規国債発行ができなくなる事態に至る。つまり、国家財政は破綻に向かう。
ここでの架空の話は、組織的に複数の地方銀行支店で引き起こすことで、同時テロとして仕組むこともできる。こんな絵空事に少しだけ信憑性があるとすれば、まさに銀行がヤバイと多くの人々がうすうす感じているからにほかならない。
こんな架空の話も起きかねないのではないかとぼくは懸念している。守旧派が改革を潰そうとするほど、時代に逆行する銀行の動きは悪あがきとしか映らなくなり、ますます銀行の脆弱性が露呈することになるからだ。もちろん、地銀ばかりでなく大銀行も世界の大きな潮流の変化に積極的に対応しなければ、外国の進んだ銀行・フィンテック企業連合に吸収されるだけの話だ。NECの凋落と同じことが銀行業界でも起きるだろう。しっかりと時代の変化を見据えて対応しないかぎり、旧来の銀行は消え去るしかないのだ。
ディスオネスト安倍と国家
安倍晋三首相は海外メディアから「ディスオネスト・アベ」(Dishonest Abe)と揶揄されている。不誠実・不正直で信用おけない人物とみているのである。つまり、国家の顔がまったく信用されていない。
歴史的にロシアで発達した概念に「デズインフォルマーツィヤ」というものがある。これを英訳したのが「ディスインフォメーション」(disinformation)ということになる。「意図的で不正確な情報」を意味している。故意に不正確な情報を流して、混乱させて自分に有利な状況をつくり出そうという情報工作だ。安倍は自らこのディスインフォメーションを国会の場で幾度も繰り出してきた。加計・森友学園問題に絡んで、安倍だけでなく財務官僚もまた国会で何度も虚偽答弁を繰り返してきた。国家の意思決定の場で、こうした事態が進行しているのもかかわらず、自民党の国会議員のなかから、安倍を「裸の王様」だと厳しく断罪する者も現れない。
**君よ。こんな状況のなかで国家を信じることができるだろうか。ぼくが気がかりなのは、安倍のディスオネストな姿勢が「信頼」を損ねている点だ。それは、ビジネスの世界にも悪影響を着実におよぼしている。
ぼくのあまり好きではない言葉に「ヒューマン・キャピタル」(Human Capital、人的資本)という言葉がある。人間を資本のようにみなすこの考え方には違和感をもつからだ。それでも、この考え方の基礎には、人間同士が信頼によって支えられたところに密接なネットワークが構築され、それがビジネスの発展につながるという見方がある。この主張からみれば、ディスオネスト安倍のやっていることは人的資本を壊すことであり、それは日本のビジネス界に大打撃を与えている。
ディスインフォメーションは人間同士の信頼関係にひびを入れ、相互に疑心暗鬼にさせて混乱を醸成するという「効果」がある。だからこそ、厳しい競争にさらされている民間会社にあっては、他社に対してはディスインフォメーションを攻撃的に利用し、自社においてはディスインフォメーションから身を守るという戦術がますます拡大しようとしているのだ。ディスオネスト安倍ばかりか、決裁済みの公文書を改竄しても罪に問われない財務官僚が跋扈している以上、こうした人々と同じように嘘や不正確な情報を意図的に流して敵を混乱させながら自らの利益につなげるというやり口が広まりかねないのだ。これは、日本のビジネス世界にとってマイナスだ。せっかくつくり上げてきた信頼関係が壊れつつあるからだ。
ディスオネスト安倍は明らかに日本国全体の信頼関係を壊した。それどころか、いまでも壊しつづけている。このモンスターのような人物を庇おうとする者がいるかぎり、信頼関係はますます毀損されることだろ。こんな状況にあるからこそ、ますます「国家を信じるな」と若者に向けて強調しておきたいのだ。
「テクノフォビア」の国家
国家を信じてはならないのは、国家の運営にかかわる政治家や官僚が総じて保守的であり、とくに新しい技術を嫌っているところに原因がある。これを「テクノフォビア」(technophobia)という。発達する技術の影響の増大について、異常に恐れ、不安をもつことを意味している。とくに日本が問題なのは、あからさまに新技術を忌避することで、自分たちの既得権益を守ろうとしつづけている点にある。
エストニアのようにインターネット経由で投票できるようにするのは当たり前だし、政治家の資産申告状況をインターネットで閲覧できるようにするのも当然だ。さらに、多くの官僚の資産申告制度を導入し、そのうちの多くの情報をコンピューターでアクセスできるようにもすべきだろう。2013年の世銀などの報告書によると、米連邦政府の約2万4000人の幹部職員の所得・資産公開が行われており、約32万5000人が非公開で財務報告を行っている。同じことをなぜ日本国はしないのか。そもそもこうした事実を報道しようとしないマスメディアはなんのためにあるのか。政治家や学者は御用学者よろしく官僚の嫌がる政策を推進できないのか。
新技術を導入すると、新技術を最大限に活用するために、利用プロセスを構築し、そのための組織を改編し、人事も改訂しなければならない。配置転換も必要になるだろう。これこそ新しい時代に対する対応力を養う機会になるのだ。しかし、こうした改革を恐れるばかりでなにもしない日本政府はますます世界から遅れるばかりとなる。そんな国家のいうことを信じていたら、日本国民全体が日本政府とともに沈没し、溺死してしまいかねないのだ。これは人類の歴史が教える「真理」である。
国家の「嘘」
ここまでの記述を読んできた君たちは、日本国政府だけが信じるにたらないものであるような印象をもつかもしれない。そうであれば、もう一言、説明を加えなければならない。「日本だけでなく、米国も英国もフランスもドイツもロシアも、さらに中国もインドも、すべての国家ないしその政府は信じてはならない」――というのがそれである。
なぜかというと、国家は歴史上長い時間を要して獲得した自らの権力を維持しつづけるために平然と国民に「嘘」を教えているからである。その典型が「テロ対策」である。君たちは、2001年9月11日に起きた、ニューヨークの貿易センタービル倒壊や、ワシントンDCの国防総省(ペンタゴン)ビルへの攻撃を契機に、国境を越えたテロリストによる攻撃に備えて、米国だけでなく世界中の国家が協力してテログループという小集団を抑え込もうとしてきたことを知っているだろう。
ぼくが不思議に思うのは、この問題に対する国家の対処法である。テロリズムというのは、物的損失を引き起こす以上に恐怖心を煽って政治状況を変えるねらいをもっているのだが、各国政府のテロ対策は常軌を逸するほどに厳しく、カネをかけすぎているようにみえる。国民の生命・財産を守ることは国家の重大な役割の一つであることはたしかだ。だからといって、テロ対策名目とする監視体制強化にはその正当性に疑問符がつく。むしろ、各国政府は機敏になりすぎて、必要以上に監視強化に乗り出しているように思える。わかりやすく言えば、テロを理由に国家権力の増強に乗り出しているようにみえるのだ。
ユヴァル・ハラリ著『二一世紀のための二一の教訓』によれば、2001年9月11日以降、毎年、テロリストはEUで約50人、米国で約10人、中国で約7人、別の場所で2万5000人を殺害してきた。他方で、糖尿病は毎年350万人を、そして、空気汚染は約700万人を「殺している」。そう考えると、テロ対策も大切だが、糖尿病対策や環境汚染防止もまたきわめて重要であるはずなのだ。にもかかわらず、国家は自身の権力と密接に関連するテロ対策にだけ熱心すぎる印象をあたえる。
国家は国民の不安を煽り、国民への監視を強める体制に税金をあてることが簡単にできる。だが、冷静に考えれば、そのカネを別に使ったほうがずっと国民のためになるはずだ。同じことが国防費にも言える。ハラリによれば、「初期の農業社会では、人間の暴力が原因で死んだ人の割合は全死者の15%で、20世紀には5%であったが、今日では1%にすぎない」。核戦争の可能性がなくなったわけではないにしろ、第一次や第二次の世界大戦のような悲劇が繰り返され、数百万人、数千万人もが戦争で死亡する可能性はきわめて低い。そうであるならば、他国やテロリストからの脅威を名目に莫大な国防費が費やされることに対しては大きな疑問をいだかざるをえない。
**君よ。声高に軍事的脅威を叫ぶ連中を信じてはならない。国家を信じてはならない以上、国家のもつ武器を増強したのでは、「強盗に機関銃を貸与する」ことになりかねない。それが国民に向けられるかもしれないのだ。
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ここに記したような事態が実際に起きてしまうかもしれない。大切なことは、最悪の事態をきちんと想定し、それに備えることではないか。そんな気持ちから、あえて若い人々を挑発するような文章を公開したわけです。どうか、騙されないようにしてほしい。そして、「21世紀龍馬」たらんと努力を惜しまないでほしい。
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