井上達夫著『ウクライナ戦争に向き合う』のひどさ:私を含めたロシア研究者は猛省しなければならない

ようやく時間ができたので、井上達夫著『ウクライナ戦争に向き合う』を読んだ。拙著『プーチン3.0』のなかで、井上の『世界正義論』を引用したので、彼がウクライナ戦争にどう向き合おうとしているのかを知りたいと思ったからである。

その感想は「時間の無駄」、「読むに値しない」というものだ。学者の誠実さが微塵も感じられない。要するに、不勉強なのだ。

そもそも、ソ連のことも、ロシアのことも、ウクライナのことも知悉しているとは思われない者が何かいいたいのであれば、「最低限」の勉強をしてからにしてほしいと指摘せざるをえない。

 

2014年のクーデターを無視する不誠実な学者たち

ジョン・ミアシャイマーの見解をまったく無視して、リベラルな覇権主義的傾向をもつ米国の外交を批判しようとしない井上は不勉強であるか、不誠実であるかのどちらかだろう。その結果、米国外交を追従するだけの日本政府に都合のいい内容になっている。最低限の本として、ミアシャイマー著The Great Delusion: Liberal Dreams and International Realitiesは必読だろう。私の著書で言えば、『ウクライナ・ゲート』、『ウクライナ2.0』、『ウクライナ3.0』を読まずに、ウクライナ問題を論じる精神構造に驚嘆すら覚える。

まあ、そもそも御用学者に甘んじるつもりであるのであれば、それでいいのだが、「正義」や「真理」に特別の想いがあるのであれば、ミアシャイマーや私の著作くらいは熟読して、自分の見方が間違っていないかどうかをよくたしかめてほしいと心から思う。

私たちの見方が間違っているというのであれば、その理由を明確に記すくらいの誠実さは見せてほしいものだと思う。何しろ、私たちの著作のほうが先行して公表されているのだから。

すでに何度も指摘しているように、ミアシャイマーも私も2014年2月に起きたヴィクトル・ヤヌコヴィッチ大統領のロシアへの逃亡劇が「クーデター」であったと認識している。その直接の首謀者は、ウクライナの超過激なナショナリストだが、彼らを支援していたのは米国政府であった。井上の本を読んでも、この出来事の意味合いを見出すことはできない。あるいは、2004年から2005年にかけて起きた、いわゆる「オレンジ革命」への米国政府の強烈な支援もまた無視されている。米国の外交戦略そのものへの理解がまったく足りないまま、よくもウクライナ問題を論じられるものだと、その不誠実さに驚かざるをえない。

私からみると、井上は「無知である」と指摘せざるをえない。もっときちんと勉強すれば、もう少しまともな議論を展開できただろうが、不勉強なゆえに、あまりにもお粗末な内容になっている。にもかかわらず、一冊の本を上梓し、出鱈目といわざるをえない内容を喧伝しようとする姿勢は不誠実そのものではないか。

 

いい加減にしろ:日本の学者たち

私は、こうした似非学者を実名で批判することで、何も知らない人々がこうした不誠実な者によって騙されないように注意喚起したいと思う。

そもそも、私のよく知る学会をみても、学閥があったり、イデオロギー的対立があったりして不誠実きわまりない。私も若いころは我慢して何もいわなかったが、そもそもこの人たちの研究自体が根本のところで間違っていたと私は考えている。

拙稿「ソ連時代の「負の遺産」からウクライナ戦争を分析する:プリゴジンの「ワーグナー・グループ」の正体とは?」(https://www.21cryomakai.com/%E9%9B%91%E6%84%9F/1561/)に書いておいたように、「重要なことは、ソ連時代から「チェーカー」が国全体を網羅的に監視・監督するシステムが整備されており、ソ連崩壊後も、この「チェーカー」による支配網を一部で再構築する動きが広がってきたことだ」という指摘こそ肝に銘じてほしい。

チェーカーは軍にも企業にも学校にも入り込み、監視網を構築していた。それが、ソ連共産党統治の根幹をなしてきたのだ。だが、一橋大学大学院経済学研究科においてソ連経済を専攻した私に、企業における「チェーカー」支配について教えてくれた人はだれもいない。

その程度の学者が偉そうにしながら、日本の社会主義経済学会(いまの移行経済体制学会)を率いてきたかと思うと、はっきりいって情けない。この学会の会員全員が反省しなければならないだろう。

それだけではない。私は、2017年に拙著『ロシア革命100年の教訓』を上梓するまで、「戦争計画」の存在を知らなかった。だれでも、ソ連が計画経済国家として5カ年計画をつくっていたことは知っているだろう。だが、その裏で、「戦争計画」として、軍事優先の計画を立案してきたことを知っているか。

私はこの本のなかでつぎのように書いておいた。

 

「ここで本題に入る前に、ソ連には軍事に絡む特別の計画化のルートがあったことをあらかじめ説明しておきたい。それは、①期間一年、五年などの経済計画、②戦争計画、③動員発注である。「戦争計画→動員発注→経済計画」の順序に伝達された。あくまで戦争計画が経済計画よりも上位に位置づけられていた点が決定的に重要である。ソ連はまさに「軍事国家」として想定されなければならないのである。この点を明確に論じたのが筆者の書いた岩波新書『ロシアの軍需産業』であり、岩波書店刊行の単行本『「軍事大国」ロシアの虚実』である。

 戦争計画には、想定敵国の軍事力の評価、予想される戦争脅威の条件、戦闘時のさまざまの段階での軍事力のニーズなどが含まれる。それに基づいて、動員発注が決められ、それが経済計画の投資部分の核となるのだ。さらに、経済計画から戦争計画へのフィードバックが実施され、戦争計画の見直しにつなげられる。なお、軍事関連として、軍事力建設計画、動員配備計画、戦時経済計画もあった。」

 

こうしたシステムがいつ解消されたかについて、私は知らない。だが、いま、プーチン政権はこのルートを再構築して、一刻も早く武器を量産しようと躍起になっている。こうした現実について、日本だけでなく欧米のロシア研究者はどれだけ知っているのだろうか。

 

塩川伸明のひどさ

たとえば、塩川伸明という学者がいる。『現存した社会主義――リヴァイアサンの素顔』(勁草書房, 1999年)が出版された当時、ソ連経済研究の大御所、佐藤経明からメールをもらい、この本を読めと勧められた。ソ連の政治と経済についてなかなか優れた分析があったので、三回読み込んだ。そこで気づいたのは、この本では軍事問題への関心が薄いという問題点であった。さらに、2000年以降になって、私は、この本の分析に「チェーカー」に対する認識が決定的に欠けていることにも気づいた。

爾来、塩川のロシア理解がまったく不十分であると思っている。こんな人物がウクライナ問題に何をいっても、私からみるとディレッタントの戯言にしか聞こえない。この人も、ミアシャイマーや私の著作を無視することで、自分の過去の過ちを隠蔽しようとしているかに思えてくる。要するに誠実さが足りないのである。

 

 

ハーバード大学のロシア経済研究者、マーシャル・ゴールドマンはその著書Petrostate(Oxford University Press, 2008)において、私のことを紹介してくれたことがある。彼が私のどんな研究を気にいってくれたのかはよくわからないが、誠実に天然ガスにまつわる研究をした成果を評価してくれたのかもしれない。この尊敬するゴールドマンでさえ、その誠実さからなのか、ここで私が指摘したような問題について真正面から取り上げたことはないように記憶している。

だが、それでは、ソ連の後継国ロシアのいまを理解することはできない。学者のはしくれであった私もまた猛省を迫られているのだ。だからこそ、ここで紹介したようなソ連理解に立ち返りながら、いまのロシアをもう一度考え直すことが求められているのだ。

 

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塩原 俊彦

(21世紀龍馬会代表)

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