渡辺惣樹著『第二次世界大戦 アメリカの敗北:米国を操ったソビエトスパイ』を読んで
渡辺惣樹著『第二次世界大戦 アメリカの敗北:米国を操ったソビエトスパイ』を読んで
最近、渡辺惣樹著『第二次世界大戦 アメリカの敗北:米国を操ったソビエトスパイ』(文春新書)を読んだ。「無知は罪」という思いに強くかられた作品である。これまで日本の教育を通じて、自分がいかに「洗脳」されてきたかを実感させてくれた。
「無知は罪」と言えば、安倍昭恵のような人物にぴったりとあてはまると思っていた。しかし、この本は自分がこれほどまでに「無知」であったのかということを教えてくれた。その意味で、日本の誤った教育を受けてきた多くの人々に同書を読んで、いかに教育が重要であるかを実感してほしい。
日本の朝鮮覇権を認めたのはアメリカ
いつものように、ページに沿って、ラインマーカーを引いた情報を紹介しよう。最初に重要だと思った指摘は下記のとおりである(pp. 18-19)。
「しかしフィリピンと朝鮮の覇権をバーターすることは公にはできなかった。アメリカは米朝修好通商条約(1882年)を結んでおり、その第一条はアメリカに朝鮮の権益を保護する義務のあることを規定していた。もちろんアメリカの外交指導に朝鮮が応え、近代化を日本のように進めていくことが前提だった。しかし、朝鮮王朝はその気配を見せなかった。
T・ルーズベルト大統領はそれに苛立ち、朝鮮の運営(近代化作業)は日本に任せたいと考えていた。従って、日本の目を朝鮮に向けさせることはアメリカにとって二つの意味を持つことになった。面倒な朝鮮近代化作業を日本に任せ、かつフィリピンへの関心を捨てさせることであった。朝鮮に深入りすることに消極的だった伊藤博文が動かざるを得なかったのは、アメリカの圧力があったからであった。1905年11月には第二次日韓協約を締結して朝鮮王朝から外交権を剥奪し、1910年には併合となった。」
ついで、p. 20につぎのような記述がある。
「翌朝(1904年7月27日)タフトは桂太郎首相との協議に臨み、フィリピン・朝鮮の相互承認について合意をみたが、言うまでもなく秘密協定となった(桂・タフト協定)。日本の朝鮮覇権を認めたのはアメリカであり、そのイニシアチブを取ったのもアメリカであった。だからこそ1905年にも1910年にも諸外国からの反発がなかったのである。」
フランクリン・デラノ・ルーズベルト(FDR)の化けの皮
フランクリン・デラノ・ルーズベルト(FDR)というと、4選を果たした米大統領として有名であり、1929年以降の世界恐慌からの脱却をニューディール政策を通じて成功させた人物として好意的に評価されてきた。しかし、それは間違いだ。
そもそも野心家の彼は、ルーズベルト家のハイドパーク系、妻にしたエレノアはオイスターベイ系で、現職大統領(セオドア)の娘であった。つまり、T・ルーズベルトの(義理の)甥の立場を得て、大統領の座をねらうのである。ちなみに、「FDRは自身の秘書との不倫が「バレた」ことでエレノアとは仮面夫婦となった(1918年)」(p. 23)のだという。
実は、ニューディール政策自体は失敗だった。そこで彼が考え出したのが戦争経済である。FDRは介入主義的外交に舵を切り、ドイツや日本を刺激し、それが両国を追い詰め、第二次世界大戦を引き起こすことになる。
モーゲンソープランの災厄
どこの国でも、為政者が愚かな場合、その部下もいい加減な輩になりがちなのかもしれない。FDRが単に「隣組」でユダヤ系のヘンリー・モーゲンソー・ジュニアを財務長官に据えた。モーゲンソーは政権第一期から11年間も財務長官を務めたのだが、モーゲンソーは経済・財政政策を知らなかったから、ハリー・デキスター・ホワイトというユダヤ系で、ソ連のスパイを重用することになる。
もちろん、モーゲンソーは意図的にソ連のスパイを財務省で出世させたわけではない。同じユダヤ系で気心が知れたのか、二人は戦後のドイツに復讐計画を立て、それを実践するのである。正確に言えば、ホワイトが具体案を練り、モーゲンソーが承認し、FDRが連合国全体の合意にまで仕立て上げたわけである。
「ホワイトは、ドイツ精神を破壊するには工業を根こそぎにしなくてはならない、そのためには心臓部であるルール地方をドイツから切り離すことが有効だと考えた。同地方を国際管理下に置き、そこから上がる収入を連合国への財賞金支払い(20年間)に充てる。これがホワイトの案であった。」(p. 44)
実際には、ホワイトの提案の一部を修正されたが、「二度とナチスを再興させない」というロジックがそのものは第二回ケベック会談(1944年9月)でFDRとウィンストン・チャーチルとの間で合意される。結局、チャーチルには、対英65億ドルの借款という「お土産」が用意され、ドイツの農業国化構想は容認されたのだった。
この「モーゲンソープラン」はドイツに災厄をもたらした。具体的には、「ケベック合意を受けて陸軍省は新しく、JCS1067号(統合参謀本部令)をドワイト・アイゼンハワー将軍に示した(1944年10月17日)。この指令は1945年4月12日に死去したFDRの後に続いたハリー・トルーマン新大統領によって追認された(1945年5月)。ドイツの徹底的な非武装化と農業国化の意図はJCS1067号第30項から33項に明確に示されていた。」(pp. 48-49)
得をしたソ連
つぎに紹介する記述は自戒につながる重要なものである。JCS1067号に基づくドイツ占領政策は1945年秋から本格化し、1947年7月までつづくのだが、「ソビエト占領地域ではあらゆる機械類がソビエトに運ばれていった」ので、ソ連のスパイであるホワイトの起案した計画はソ連に大きな実益をもたらしたことになる。
この「ソビエト占領地域ではあらゆる機械類がソビエトに運ばれていった」という記述(p. 51)は自分の無知を痛感させたものである。ソ連の急速な成長の背後に、強制収容所に集めた労働力があったことは以前から重視していたのだが、このドイツから運び込んだ機械がソ連の工業化において重要な役割を果たしてきたことにはこれまで注意を払ったことはなかった。たしかに、よく勉強しないと大切なことが抜け落ちてしまうものだなあ、と大いに反省した次第である。
ちなみに、このモーゲンソープランに代わって登場したのが有名なマーシャルプランだ。通常、後者は脚光を浴びるが、前者は無視される。その結果、二人のユダヤ系の人物と、無知なFDRが行った悪辣なプランを知る人は少ない。
頭の整理のために、つぎの記述を紹介しておこう。
「1947年7月、トルーマン大統領はJCS1067号に代わってJCS1779号を発した。これが後にマーシャルプランとなるものである。西ヨーロッパの復興にはドイツの再建が不可欠であるとする考えに変更された。モーゲンソーとホワイトの二人で作り上げたドイツ民族復讐計画はここにようやく幕を閉じた。」(p. 60)
ソ連のスパイ
これ以降は、ホワイトともう一人、アルジャー・ヒスというソ連のスパイをめぐる記述がつづく。彼は国際連盟に代わる新しい国際機関を設立・準備するために国務省内に設置された「特別政治問題担当部」の事務方トップを務めた人物であり、戦後の和平維持機関設立を協議するためのダンバートンオークス会議の米国代表事務局長を務めたのもヒスである。1945年4月、国際連合憲章制定のためのサンフランシスコ会議の事務局長を務めたのも彼だ。つまり、ヒスは国連、ホワイトは国際通貨基金(IMF)を創設する立役者の役割を果たしていたのだが、この話は本書を読んでほしい。
さらに、二人がソ連のスパイであったことは事実であると指摘しておこう。ホワイトとヒスがソ連のスパイであったことは戦後の米下院非米活動委員会の証人喚問などで明らかになったからである。ホワイトは自らの潔白を主張した証人尋問後、数日して死亡する。死因は心臓発作だ。彼がスパイであったことはもはや疑いようがないとされている。
ヒスもまた断固としてスパイであることを否定した。しかし、証人喚問での偽証罪に問われ、禁固5年の実刑判決を受け、最高裁に上告したが、退けられた。
最後に、「夏休みの一冊に:渡辺惣樹著『第二次世界大戦 アメリカの敗北 米国を操ったソビエトスパイ』(文春新書)」(仮題)という拙稿を先日、論座編集部に送付した。掲載されるかどうかわからないが、うまくゆけば、1~2週間以内にアップロードされるので、そちらもご高覧いただければ幸甚である。
おまけ
もう一冊、心が洗われた本を紹介しておく。津久井五月著『コルヌトピア』である。詳しくは、「優れたSF文学は、読者を来るべき世界へと準備させる:津久井五月『コルヌトピア』をドミニク・チェンが解題」(https://wired.jp/2020/07/01/cornutopia-dominique-chen/)を参照してほしい。
ときどき未来から現在を観照するというのは、現在の立ち位置を確認するうえで大変に役に立つ。この本は植物と人間の関係をいろいろと考える機会を与えてくれた。お勧めしたい一冊である。
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