閑話休題8 『ロシア革命100年の教訓』
拙著『ロシア革命100年の教訓』をめぐって
ロシアでは1917年に、2月革命(ロシアでは、革命前までグレゴリウス暦よりも13日遅いユリウス暦が使われていたため2月革命と呼ばれているが、グレゴリウス暦では3月革命)と10月革命(同11月革命)と呼ばれる二つの革命が起きた。その意味で、いよいよ本当にロシア革命からまる100年が経過したことになる。
わたしは、これを機に、拙著『ロシア革命100年の教訓』(Kindle版)を上梓した。その出来栄えは読者に任せるが、歴史学を専攻するような「専門家」には決して書けない内容になっている。率直に人間の歴史を問う姿勢がなければ記述できないような「深み」にまで到達した考察がある程度まで成功していると自負している。だからこそ、東京大学出版会の元幹部が強く出版に尽力してくれたのだろう(しかし、紙の本としての出版は断念)。
たくさんの本を出版した経験上、本を読み解く力をもった読者が実に少ないと痛感している。加えて、この出版不況のさなかだから、Kindle版でお茶を濁すことにしたのである。
いずれにしても、この本の宣伝もかねて、2017年11月を迎えるにあたって、拙著について簡単に紹介してみたい。
この本の構成は以下にようになっている。
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序章 ロシア革命の虚妄
1 ロシア革命ってなに
2 ユートピアとしての「社会主義」
3 『ドクトル・ジヴァゴ』が教えてくれること
4 『われら』が問いかけること
5 ロシア革命と日本
第1章 デザイン思考への疑問という教訓
1 全体主義国家誕生への道
2 全体主義国家への足音:目的論的アプローチ
3 デザインの虚妄:計画化の虚妄
4 無人支配としての官僚制
第2章 軍事国家ソ連という教訓
1 ロシア革命と軍事化
2 秘密警察の支配
3 「チェーカー」の浸透
4 「ラーゲリ」の意味
第3章 「ロシア無頼」という教訓
1 無法が法
2 ロシア革命下のペトログラード
3 「ケノーシス」という悲哀
4 ロシア無頼としてのプーチン
第4章 ロシア革命の延長線上にあるもの
1 ユートピア思想の系譜
2 ベーシック・インカムの思想
3 ユートピア思想の徹底を
あとがき
参考文献
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わたしがこの本で強調したことはいくつかある。その第一は、「社会主義の嘘」であり、第二は「ロシアの特殊性」である。
もっとも大切なことは、社会主義や共産主義には「デザイン思考」という、上からの設計主義思想が色濃く存在する点にある。こうしたデザイン思考は全体主義につながるものであり、歴史的教訓として断罪しなければならない。
だが、21世紀のいま、世界中の国々で国家主権の強化が叫ばれ、デザイン思考が強まっているようにみえる。こうした全体主義への傾斜こそ、「ロシア革命100年の教訓」として「21世紀龍馬」の攻撃対象としなければならない。
もう一つ大切なことは、マルクスの労働観の誤りをしっかりと肝に銘じることである。それは、キリスト教が有力であった欧米文化が世界の「標準」であるかのようになりつつある現状への抵抗として意識されなければならない。
もちろん、マルクスの誤解はキリスト教が育んできた宗教観によるのだが、「労働」からの解放がユートピアにつながるとみる視線はアジアの楽園とは違う。
前記を関連づけて、『ロシア革命100年の教訓』では、つぎのように書いておいた。
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ユートピアという不在の世界を想定するとき、人間はどうしても「上からデザインする」必要が生まれる。つまり、ユートピア思想は、本書で批判してきた「上からのデザイン」を肯定するアプローチや、目標を前提としてその実現をめざす目的論的アプローチをとらざるをえないことになる。
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こうした視角上の問題点こそ、そこら中にいる二流、三流の歴史学者が指摘できないでいる盲点なのだ。
「ケノーシス」の重要性
「ロシアの特殊性」については、拙著をお読みいただくしかないが、こうした特殊性を語らずに普遍性を喧伝したところに全体主義国家ソ連の悲劇が生じたと指摘しておこう。
ここでは、「ケノーシス」という特殊性について、本書で記述した部分を紹介しておこう。
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「服従による救済」=「ケノーシス」
ここできわめて重要なのは、「服従」(隷従)によって「救済」されるという「ケノーシス」という観念である。もっとわかりやすく解説しよう。正教(Orthodoxy)では、父なる神と子なるキリストと聖霊(三位)が神をなす。聖霊は神と人間を繋ぐ媒体で、聖霊によってイエスは処女マリアの身中に宿ったとされている。その聖霊は正教では「父」から生じるとされているから、三位のうち、父、子、聖霊の位階が明確なのだが、ロシア人は人間のかたちをしたキリストに強い親近感をもつ。人間キリストへの尋常ではない服従は、皇帝や絶対的指導者たるスターリンへの隷従精神に通じるものがある(亀山・佐藤, 2008, p. 169)。これこそ、ロシア的人間のもつケノーシス気質と言えるかもしれない。
このとき注目されるのは、ケノーシスの意味する救済が贖罪や悔い改めを媒介せずに可能だということだ(宗近, 2010, p. 206)。そう考えると、神からやってくるはずの救済が人間によって簒奪される可能性があることになる。それは、神への服従ではなく、レーニンやスターリンに隷属することで救済につながる可能性を排除しないことにもなる。
これが意味するのは、ロシア人独特の「服従」をテコに地上に踏みとどまろうとする生き方なのである。宗近真一郎はつぎのように記述している。
「理不尽な現実をひたすら受動することによって、突き抜けてゆく向こう側には、またもや、苛酷な現実が立ち現れる他はない。しかし、徹底的に受動的であることによって定立された世界は、日常的なアネクドート(ロシアの小話)を可能にする。革命の「法」がキリスト教を仮装したように、イロニーがジョークを仮装するのである」(宗近, 2010, p. 209)。
このジョークがジョークたりえるのは、そのロシア革命を神とは縁遠いロシア無頼が成し遂げたことに由来している。ロシア無頼というロシアの特殊性がケノーシスというロシア的人間のもつ独特の精神によって「神」の位置にまで到達してしまったことがその後のロシアにも影響をおよぼしつづけているのだ。これは決して大袈裟な話ではない。一九二四年一月のレーニン死亡の前に、スターリンはレーニン崇拝のため、その亡骸を不朽体として保存することを党中央委員会の決定として決める。「不朽のマルクス主義者たちの神をつくり出したのである」と言えるだろう(Radzinsky, 1996=1996, 上, p. 332)。この思想を支えたのは、共産党を教会と同じようにみなす視線である。ゆえに、ラジンスキーは下記のような興味深い指摘をしている。
「彼らの党は、教会のように、その奉仕者が誤りを犯しても、やはり神聖さは失われないのだ。なぜなら党の基礎には、教会の場合にように、党に全体として過誤を犯させない、そして罪深い一部党員たちにその神聖な本質を変えることを許さない、マルクス主義の聖典が据えられているからである」(Radzinsky, 1996=1996, 上, p. 372)
さらに、スターリンも「神」の地位に到達した。一九五三年三月に死んだスターリンは一九六一年までの八年間、人形のようなレーニンと並んで、レーニン廟に安置されていたのである。スターリン批判で知られるフルシチョフはスターリンをこの廟から別の墓に埋葬することに成功したが、ソ連を崩壊させたボリス・エリツィンはついにレーニン廟を取り壊すまでには至らなかった。一九九一年に、レーニンの母などが眠るサンクトペテルブルクにレーニンを埋葬する提案を同市長のアナトリー・サプチャークが提案した。だが、レーニンを神であるかのように崇める共産党の残党などの過激な反対もあり、エリツィンはこれを実現できずにいた。大統領二期目の一九九九年には、レーニンをサンクトペテルブルク埋葬の明確な計画が準備されるようになる(Zygar, 2016, p. 4)。しかし、この計画も結局のところ、頓挫してしまうのである。
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「21世紀龍馬」の「志」
もうすぐ衆議院選の結果が出る。歴史的にみれば、これが日本国の二度目の「死」につながる分岐点となるかもしれない(一度目は大日本帝国の敗戦)。
そもそも民主主義は危険な手続きであって、これを金科玉条のごとくに支持することはできない。ふだん、なにも考えていない、いわば生活に忙しい者を情報操作して騙すことなど簡単にできる。
問題はそうした「民主主義の罠」に注意喚起することなく、民主主義の名を借りて全体主義を押しつけようとする“Dishonest Abe”にある。
興味深いのは、マルクスもまた“Dishonest”であったことだろう。それは、自らの社会主義を「科学的」と嘯いたところによく現れている。
拙著『ロシア革命100年の教訓』の関連する記述を紹介しよう。
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マルクスの主張の空想性
マルクスらは「空想的社会主義および共産主義」を厳しく批判した。だが、マルクスらの社会主義や共産主義は空想的ではないと本当に言えるのだろうか(翻訳をめぐる問題点については第4章を参照)。
社会主義経済の教科書として広く使用されてきた本のなかで、中野雄策はつぎのように書いている。
「『資本論』(とりわけ、その第1巻)が科学的社会主義のいっさいの文献をぬきんでた価値をもつ理由は、それが、コミュニズムの発生過程を自然史的過程として明らかにしているからであり、いいかえれば、近代市民(ブルジョア)社会のもとでの物質的生活諸条件の存立と発展の論理に基づいていっそう高度の社会構成への移行の諸契機が剔抉されているからにほかならない。」
どうやら、マルクス著『資本論』こそ、科学的社会主義を語った最高の文献であるとして礼賛しているようにみえる。しかし、本当だろうか。そもそも「科学的」っていうのはどういうことなのか。科学的社会主義はあっても、科学的共産主義はないのか。科学的社会主義および共産主義の関係はどうなっているのか。
通常、マルクスらの主張が「科学的」であると標榜する背景には、人間社会にも自然と同じく客観的な法則があり、そのために歴史を生産諸力の発展的展開とみなす唯物論的歴史観がある。人間の現実的活動の社会的あり方を生産諸力の発展と生産関係の変化とみなし、そこに歴史的法則性が見出せるから、この生産力と生産関係に着目すれば、科学としての社会主義を想定できるというのだ。
その際、マルクスやエンゲルスが重視したのは、人間の「意識」である。人間と自然との間に、意識を見出し、その意識にかかわる「生産」という物質的生産だけでなく精神的生産を含む生産活動に法則性があると考えるのだ。つまり、意識を脳髄の生理・物理的な機能に還元して唯物論的にみるのではなく、生態的な関係態が「誰々に意識されている」という形で言語を通じて現実に現われるものこそ意識であり、それは人間の存在そのものであり、そこに法則性を見出そうとしたのである(廣松, 1978=2005, p. 136)。
しかし、ロシア革命から一〇〇年がたってなお、マルクスらの主張を科学的であると考える者はほとんどいないだろう。そもそも、「社会現象を規定しているのは、意識ではなく、行為事実性の方である」ことを忘れてはならない(真木/大澤, 2014, p. 295)。ここでいう「行為事実性」とは、意識することなく行っていることをさす。意識を重視するよりも、この行為事実的な出来事こそ人間と自然の歴史をつくってきたのであり、そこに「科学」を見出すのは無理がある(歴史認識をめぐる問題は後述する)。
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“Dishonest”な安倍晋三のもとで、日本はもう、戦争へと向かう坂道をもう転げ落ちはじめているようにみえる。あとは加速度的に戦争が迫るだけかもしれない。
「19世紀龍馬」は、いったんは尊王攘夷に向かった日本を、欧米列強の文明に学ぶという「脱亜入欧」の方向にかじ取りすることに大いに貢献した。そうであるならば、「21世紀龍馬」はこうした戦争への道を食い止める努力をしなければならない。
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