ディスインフォメーションと地政学
ディスインフォメーションと地政学
「サイバー空間のディスインフォメーション」という項目を『現代地政学辞典』に掲載する。わたしの担当はこの項目と「サイバー空間の脆弱性」である。
サイバー空間をめぐっては、拙稿「サイバー空間と国家主権」(『境界研究』)がある。すでにいろいろな機会に宣伝しているが、この論文を読まなければサイバー空間自体を語れないほどの出来栄えの論文であると、自他ともに認められていると大言壮語しておこう。
こうした研究の一環として、ディスインフォメーションについてこのところ思考してきた。依頼された原稿はすでに執筆済みなので、ここではこの概念について簡単に説明してみたい。あまり知られていない概念を日本に紹介するという役割がわたしの使命の一つと考えているからである。
たとえば、パイプラインをめぐって国際関係を分析するには、拙著『パイプラインの政治経済学』を読まなければならないし、ロビイストを知るには、拙著『民意と政治の断絶はなぜ起きた』を読まなければ、その本質を理解できないのではないかと、勝手に思っている。「クレプトクラシー」や「クレプトクラート」という言葉も人口に膾炙させるべく現在、努力している。
デゥインフォルマーツィヤの訳語としてのディスインフォメーション
ディスインフォメーションという概念をしっかりと分析した論文も書籍も日本にはない。したがって、この言葉を使用している日本人がどの程度までこの概念に知悉しているのか、大変に心もとない。
Disinformationはロシア語のдезинформацияの英語訳である。『オックスフォード新英英辞典』によると、「1950年代にロシア語のдезинформацияに基づいて形成された」と説明されている。セルゲイ・オジェゴフの『ロシア語辞典』(1972年)を繙くと、「嘘の情報の外国への導入」と書かれている。どうやらソ連政府は意図的に一種のフェイクニュースを流して、外国を混乱させようとしてきたことがわかる。だからこそ、ヨシフ・スターリンは「ディスインフォメーションの語源がフランス語のdésinformationであるかのようにみせかけよ」と決定し、ルーマニアの諜報機関の幹部、イオン・パセパもそうした噂をたてるように命じられたという話まである。これを信じるかどうかは読者次第だが、たぶん本当の話だとわたしは思っている。
まめ知識としての情報
情報を情報操作(manipulation)に利用する事例は、歴史的にみると、たくさんある。もっとも有名なのは(といっても日本人の多くは知らないだろうが)、皇帝コンスタンティヌスが321年にローマ教皇シルヴェステルにローマ帝国の西半分を贈ると明記した文書、「コンスタンティヌスの寄進状」だろう。寄進書が教皇の西欧所有の根拠となり、神聖ローマ皇帝も国王も諸侯も教皇から統治を委託されているだけの存在となる。教皇自体が支配するイタリア中南部があってもなんのふしぎもないという幻想がまかり通ることになるのだ。この場合、ローマ教皇の権威に敵対する勢力を手なずけるために虚偽の情報を活用したわけである。これが偽物であることはなんと15世紀になって判明する。
中国の孫子を読むと、敵を欺くことの重要性が書かれている。軍隊の行動特性や指針をしめした軍争篇で、「迂(う)を以って直(ちょく)となし、患(かん)を以って利となす」と指摘している。つまり、わざと遠回りをして敵を安心させて、敵よりも早く目的地につき、不利を有利に変えよというのだ。あるいは、有名な「始めは処女の如くにして、敵人、戸を開き、後には脱兎の如くにして、敵、拒(ふせ)ぐに及ばず」という言葉が地形における戦い方を書いた九地篇にある。最初は処女のようにふるまって敵を油断させ、そこに脱兎のごとき勢いで攻めたてれば、敵は防ぎきることはできないというわけだ。
こう考えるとずいぶん昔から、少なくとも生死を賭けた戦いのような場では、敵を騙すのは当たり前だったことになる。ただし、孔子は「人」と「言」が重なり合ってできている「信」を人間社会の不可欠の要素と考えていた。行動と言葉を違えないということが人間社会をスムーズに営むために重要だとみなしていたわけである。これに対して、孫子は行動と言葉を違えることで、勝利に結びつけることを標榜する(これを「詭(き)道(どう)」と言う)。敵の情報を盗みつつ、こちらの情報を歪めて間違ったイメージを敵にもたせることで、敵を騙し、勝利につなげるのだ。
まめ知識その2
こんな風に、まじめにディスインフォメーションを取り巻く歴史的情勢にまで目を配ると、そもそも日本人は「情報」なる概念についてどこまで理解しているのか、心配になる。
孫子の「用間篇」(「間」は間者[スパイ])の内容を知っていれば、「情」という言葉がいま使われている「情報」に近かったことがわかる。そのなかに、「爵禄百金を愛みて敵の情を知らざる者は、不仁の至りなり」という部分がある。これは、「官位、俸給、お金といったものを惜しんで、敵の実情を知らなければ、(自国の民に対して)思いやりのないことである」という意味だ。つまり、敵の情報を知ることが自国の防衛につながることによく気づいていたことになる。
ただし、日本語の「情報」はこの孫子の「情」から直接、生まれたものではない。日本語の情報は英語のinformationの訳語である。informationはラテン語の「インフォルマーレ」から派生した言葉で、「形を与える」というのが原義である。ここでいう「形」は「形相」という哲学的概念であり、情報は雑多な素材にかたちを与え、秩序づけるものであり、また、そのように秩序づけられた知識ということになる。informationの日本語訳として、「情報」が登場したのは1921年刊行の『大英和辞典』であった。ただ、1916年の『熟語本位英和中辞典』では、intelligenceの訳語として「情報」がすでに登場していたようだ。森鴎外が1903年に出版したカール・フォン・クラウゼヴィッツの『戦論』(『戦争論』)のなかでも、ドイツ語のNachrichtの訳として「情報」が使われていた。重要なことは、情報が安全保障と直結していたことである。
つまり、情報の問題は根本的にみると、安全保障問題に関連していることになる。したがって、ディスインフォメーションも安全保障問題にかかわっているのであり、だからこそ地政学の重要概念となりうるのだ。
というわけで、「ディスインフォメーション」について知らない多くの日本人がこのサイトを読んで、少しは理解を深めてくれれば幸いであると思う。
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