能天気なマスメディアが流すディスインフォメーション:TBSの不勉強と「嘘」報道

私が「連載【48】知られざる地政学 地政学のための思想分析」〈〉を書いたのは、思想のレベルにおいても、いわば「権力闘争」が激化していることに注意を払ってほしいと思ったからだ。不勉強な輩が大学教授の肩書きを使って、皮相で間抜けな言説を吐き、国民を騙すという構図が2014年2月のウクライナ・クーデター以降、すっとつづいているように思われるからである(とくに、若者には拙著『すべてを疑いなさい』をぜひ読んでほしい)。

今回の論考を書くきっかけは、偶然、8月9日に放送されたBS TBSの「報道1930」、「大統領選 テレビ討論会開催へ/ヴァンス氏の裏に君主制狙う「新右翼」」を見かけたからだ。そこで、ヴァンスがカーティス・ヤーヴィンなる「新右翼」(ニューライト)の思想家の影響を受けているという話が誇張されて報道された。

番組は、ニコラス・グロスマンというイリノイ大学准教授の説をそのまま伝えている。第一に、グロスマンは2018年に『ドローンとテロリズム』なるKindle版の本を刊行した人物だが、ヴァンスやヤーヴィンについて、どの程度よく勉強したのか判然としない。つまり、グロスマンなる「似非専門家」の説をなぜか広めようとしている(注1)。第二に、そもそも、グロスマンの主張を裏づける根拠が乏しい(注2)。

ゆえに、この番組の報道は、根拠に乏しい情報を報道することで、ヴァンスと「新右翼」(ニューライト)とを結びつけ、「悪いイメージ」を植えつけようとする歪んだ意図を強く感じる。そもそも、ヴァンスの思想を論じるのであれば、私が書いたように、カトリック教徒になるきっかけをつくったジラールを取り上げるのが必須でなければならない。さらに、後述するように「リベラリズム」を批判したシュミットの思想についても分析することが求められるはずなのだ。

 

「新右翼」ヤーヴィンとは?

グロスマンは、ヴァンスをヤーヴィンと結びつけて、意図的にヴァンス攻撃につなげようとしている(この動きに不勉強なTBSがまんまと騙され、視聴者さえ騙しているよう映る)。そこで、ここでは現在のアメリカにおける思潮について、グロスマンのような「似非専門家」に騙されないように注意しながら考察してみたい。

グロスマンは、ヤーヴィンを、「無名だが影響力を増している極右ネオリアクション(NRx)運動の中心的思想家」と紹介している。NRxは、独断的な反人間性と反リベラルなイデオロギーによって、「暗黒の啓蒙」を先導しようとしている(「ネオリアクション理論からオルト・ライトまで」を参照)。

ヤーヴィンは1973年、世俗的なユダヤ人の家庭に生まれた。ヤーヴィンは幼少期の一部を、キプロスを中心に海外で過ごし、1985年に米国に戻った。1992年にブラウン大学を卒業し、その後カリフォルニア大学バークレー校でコンピューターサイエンスの博士課程に在籍したが、中退した。

 

『パッチワーク』

ヤーヴィンには、Mencius Moldbugという名前で2008年に書いた『パッチワーク:21世紀の政治システム』なる論説がある。そこでは、「パッチワークの基本的な考え方は、私たちが歴史から受け継いだくだらない政府が粉砕され、それに代わって、何万、何十万もの主権を持つ独立した小国が世界的なクモの巣のように張り巡らされ、それぞれが住民の意見を無視して独自の株式会社によって統治されるというものだ」と書かれている。

パッチワークとは、「多数の小規模だが独立した国家からなるネットワーク」であり、「正確には、各州の不動産がそのパッチであり、そのパッチの主権的な法人所有者、すなわち政府がそのレルムである」と記されている。少なくとも当初は、各レルムは1つだけのパッチを保有する。「実際には、これは時代とともに変化するかもしれないが、レルムとパッチの構造は少なくとも安定するように設計されている」という。

あまりに荒唐無稽で、この内容は私には理解しがたいものであった。ただ、このパッチワークのイメージには、政府を分割し、ハイテク企業にコントロールさせることで、政府を再構築するという発想がある。同時に、ヤーヴィンは、独裁体制を、民主主義より優れていると公然と主張しており、それが「トランプ独裁」というイメージを喚起させるようだ。

ロージー・グレイという、「アトランティック」誌の元寄稿編集者の記事「インターネットの反民主主義運動の背後にあるもの」では、「ヤーヴィンの考え方の主軸は、民主主義は破綻している、人民による統治は機能せず、良い統治にはつながらない、というものだ」と指摘されている。彼は、民主主義を、非効率的で破壊的な政治形態であり、「戦争、専制政治、破壊、貧困」と結びつけているとしたうえで、「ヤーヴィンの考えは、英国の哲学者ニック・ランドの考えとともに、オルト・ライトを名乗る白人ナショナリスト運動の一部に政治理論の構造を提供してきた」(注3)。

 

反リベラリズム

「ポリティコ」の記事では、ヤーヴィンの反リベラルぶりが強調されている。ヤーヴィンは2022年、『ヴァニティ・フェア』誌に、「リベラリズムの基本的な前提は、進歩に向けたこのどうしようもない行進があるということだ。私はその前提に同意しない」と語ったと書かれている。「ポリティコ」の記事では、この内容を紹介したうえで、「ヤーヴィンは、アメリカの民主主義は、公共の利益のためではなく、権力を固めようとするエリートたちによって運営される腐敗した寡頭政治に堕落したと考えている」と記述している。ヤーヴィンが主張する解決策は、アメリカの寡頭政治に、新興企業のCEOに倣った君主的なリーダー、「ヤーヴィンが言うところの「国家CEO」(あるいは「独裁者」)が道を譲ることである」というのだ。この主張が「行政国家の中堅官僚、公務員を一人残らずクビにして、我々の仲間に入れ替えることだ」というヴァンスの発言につながってゆく。

注目すべきなのは、「ポリティコ」の記事が2018年に『リベラリズムはなぜ失敗したのか』を出版して注目を集めたノートルダム大学の政治理論教授パトリック・デニーンに注目している点である。彼は、2023年出版の『レジーム・チェンジ』において、より急進的なアプローチをとる。保守的なカトリック教徒であるデニーンは、リベラリズムに代わる「平和的な」革命を主張し、個人の権利の保護よりもむしろ、保守的で宗教的な価値観の推進に根ざした「ポスト・リベラル秩序」を打ち出したのである。

ヴァンスはデニーンから大きな知的影響を受けたと公言しており、2023年にカトリック大学で開催された『レジーム・チェンジ』の出版記念会では、ヴァンスはデニーンとパネルディスカッションを行った。

先に紹介したヤーヴィンと比べると、ヴァンスの思想がだれに近いかは自ずと理解できるのではないか。

 

「新右翼」(ニューライト)の思想

2024年8月10日付の「ニューヨーク・タイムズ」は、「「新右翼」(New Right)の何が新しいのか?」という記事を公表した。現在の新右翼と呼ばれているヴァンスを含む人々の思想が真正面から取り上げられている。

新右翼の特徴、すなわち、「新右翼の中心には、アメリカを苦しめているほとんどの原因は、連邦政府、ニュースメディア、ハリウッド、大企業、高等教育などに入り込んだリベラル・エリートにあるという信念がある」と指摘されている。ヴァンスが「体制」、ヤーヴィンが「大聖堂」と呼んでいるものだ。さらに、新右翼には、「リベラリズムは積極的に国を傷つけている」という基本認識がある。リベラル派は勤勉なアメリカ人から財をワシントンとウォール街に流しているとみなすのだ。新右翼は、そうしたリベラル派を、人種差別主義者やファシストと決めつけ、厳しく批判する。

この記事を書いたNYTのクレイ・ライゼン記者は、「アメリカの右翼ポピュリズムには長い歴史がある」と書き、それを、中央集権化、都市化、国際化という変化に対する農村の反発ととらえる見方を示している。

この反動が、リベラル派によるニューディール政策に反対したり、1950年代の赤狩りで再燃したりしたというのだ。そして1990年代初頭には、パット・ブキャナンが伝統的価値観に回帰し、海外とのもつれた同盟関係から脱却し、関税を引き上げ、わずかな移民を除いて国境を閉鎖する、共和党の新しい政策を訴えた。彼は1992年に共和党の大統領指名候補として強力なレースを展開し、共和党全国大会でゴールデンタイムの一角を占めた。

ライゼン記者の見立てでは、「何十年もの間休眠状態にあったこの新右翼が、J・D・ヴァンスという形で復活した」のである。その意味で、ヴァンスは、「リベラリズムが国を滅ぼす瀬戸際にあり、絶望的な対策が求められているという、ほとんど黙示録的な信念を彼ら(マッカーシーやブキャナンなど)と共有している」、とライゼンは指摘している。

おそらくこの指摘は正しいだろう。ヴァンスを論じるのであれば、リベラリズム批判という観点がもっとも重要なのだ。だからこそ、連載(48)「地政学のための思想分析:J・D・ヴァンスを理解するためのルネ・ジラール、カール・シュミット考」()で、同じリベラリズム批判で有名なカール・シュミットについて考察したわけである。

 

民主主義やリベラリズムを批判するのは「当然」

私は、自著でもこのサイトでも、何度も民主主義を批判してきた。リベラリズムにも批判的だからこそ、拙著『帝国主義アメリカの野望:リベラルデモクラシーの仮面を剥ぐ』を上梓した。さしずめ、私もヴァンスと同じ「新右翼」ということになるのだろうか(私のことをどうみようと勝手だが、本人は「右も左も嫌いな単独者」でありつづけたいと望んでいる)。

そもそも、こんな境界線を引くことに意味があるとは思えない。こうした「レッテル貼り」は、政治的にヴァンスを貶め、民主党の「ハリス-ウォルツ」を大統領選に勝たせようとする情報操作の一環にすぎない。

そうであるならば、情報受信者は受信する情報を注意深く吟味する必要がある。アメリカのメディアは、NYT、WPなどの主要マスメディアはもちろん、さまざまなソーシャルメディアもそれぞれ支持政党をもち、自分に都合のいいように情報を歪めて報道している。その意味で、「意図的で不正確な情報」を意味する「ディスインフォメーション」を流して情報操作(マニピュレーション)工作をしているといっていい。

 

「寝て出世した」ハリスへのNYTのファクトチェック

2024年7月24日付のNYTは、カマラ・ハリスの「寝て出世した」という疑惑について「ファクトチェック」で取り上げている。20日から22日にかけて、ハリスが「寝て出世した」という主張を引用したXに関する投稿が4030万回近く表示され、非営利の研究グループである戦略対話研究所によると、その前の2日間の期間と比較して4万4000パーセント増加した以上、NYTも無視できないと判断したのだろう。

この中傷は、1990年代にハリスが29歳で西海岸の法曹界で頭角を現していたころ、当時60歳でカリフォルニア州議会議長を務めていたウィリー・ブラウンと短期間交際していたことに向けられている。ブラウンはハリス氏を二つの高給取りの州委員会の役職に任命し、自身の政治的コネクションに紹介した(詳しく知りたい人は、拙稿「米メディアも「隠したい過去」を報道開始…カマラ・ハリスの耐えられない「ヤバさ」」を参照してほしい)。

NYTの記事は、この件を事実として受け止めているようだ。それを明言しないまま、ハリスが2003年のサンフランシスコ地方検事選で勝利した、その選挙戦中に、ブラウンとのつながりから利益を得たことについて、不適切なことは何もなかったと語ったという話が紹介されている。そのとき、彼女はブラウンとの関係を「首にまとわりつくアホウドリ」と表現したという。

ハリスの応援団であるNYTは、できるだけ穏当に書きながら、「寝て出世した」事実に蓋をしようとしているようにみえる。だが、SNSのなかには、ハリスを「エスコート女」とか「娼婦」と罵倒する書き込みが多数みられる。

 

「臆病者」ウォルツを無視する主要メディア

ハリスは副大統領候補として、下院議員を6期、ミネソタ州知事を2期途中まで務めた、ティモシー(ティム)・ジェームズ・ウォルツを指名した。しかし、彼は、拙稿「米民主党ウォルツ副大統領候補の「闇の4年」が暴かれ、こりゃヤバッ!」に書いたように、軍歴詐称が疑われる人物だ。あるいは、拙稿「トランプvsハリス」のTV討論直前に発覚した民主党ウォルツ副大統領の「大噓3連発」でも、ウォルツの人間としての劣悪さを紹介した。

民主党およびそれを支持するマスメディアとしては、ウォルツの「闇」を本当は隠蔽したいに違ない。だが、すでにSNSで騒がれてしまっている以上、残る手段は「穏便にごまかす」という方法だ。

8月9日、WPは「ティム・ウォルツの軍歴に関する主張を評価する」という記事を公表した。もっとも問題なのは、ウォルツが仲間の兵士たちが経験豊かなリーダーシップをもっとも必要としているイラク派兵直前に、仲間を見捨てて辞めてしまったことだ。WPによれば、2005年2月5日-ニュースリリースで「マンカト・ウエスト高校教師、州兵曹長」と自称するウォルツが、下院議員選への出馬を検討中との書類を提出した。同年3月17日には、州兵が2000人の部隊の一部動員の可能性が発表され、ウォルツ陣営が3月20日に発表したニュースリリースによると、「州兵PAO(広報局)からの発表では、ウォルツの大隊の全部または一部が、今後2年以内にイラクに動員される可能性がある」と明記されていた。同年5月16日、この日がウォルツの州兵最後の日であった。

こうした事実を確認したうえで、WPはつぎのような評価を掲載した。

「ウォルツは近いうちにイラクに派兵されるかもしれないことを知っていた。しかし、彼は四半世紀近く衛兵隊に勤務しており、すでに下院議員選への出馬を考えていることを表明していた。彼はその両方はできないと言い、下院選への出馬を選んだ。彼が部隊を見捨てたかどうかは見解の分かれるところだが、彼の引退要請が阻止されなかったことは注目に値する。」

おわかりだろう。「彼が部隊を見捨てたかどうかは見解の分かれるところだ」と書くことで、ウォルツが「腰抜け野郎」であったことを認めていない。だが、彼の代わりにイラクに派兵されたトーマス・ベアレンツは、彼は、「ニューヨーク・ポスト」の記事のなかで、「私は、すぐに部隊の面倒を見なければならなかった。「あのような立場の人間が辞めるのは臆病だ」とのべている。部隊はイラクで17ヶ月を過ごし、ミネソタ州ウィルマーの19歳、カイル・ミラーを含む3人の死傷者を出した事実がある以上、こうウォルツが非難されるのも当然だろう。

 

ウォルツは「盗まれた勇気」の「ゴミくず野郎」

共和党のJ・D・ヴァンスは8月9日、「ティム・ウォルツについて私が気になるのは、盗まれた勇気のゴミ野郎であることだ」と話した。その様子は、保守派のFOXニュースがビデオつきで報じている。

「盗まれた勇気」(Stolen Valor)は一般に、軍で達成したものではないものを自分の手柄だと主張することを意味している。そう、軍歴を誇大に吹聴し、戦争で「大活躍」したとして、自分の「勇気」を過大にみせるのである。そうした「セコイ」連中の一つがまさにウォルツなのである。2013年には、「Stolen Valor Act」なる法律が制定され、さまざまな軍の勲章やバッジの受章者であると主張することを犯罪と定めている。

ウォルツは、2006年のC-SPANのインタビューなど、さまざまな場面で自らを「司令曹長」(Command Sergeant)と称している。共和党は、彼は一階級下の階級である曹長(Master Sergent)で退職金を受け取っているため、それは誤解を招くとしている。WPは、「司令曹長を務めた 」と言うのは正確だが、この階級で辞めたわけではないという見解をとっている。

だが、ウォルツが自分を偉くみせようと「盗まれた勇気」を見せびらかそうとしているのは事実だ。だからこそ、この件について、NYTも問題視し、「ハリス候補の選挙サイトでは、ウォルツ氏は「master sergeant」(曹長)と表記されている。しかし、彼の知事ページの経歴には、「Command Sergeant Major」(司令曹長) と記載されている」と指摘している。軍歴詐称は隠しようのない事実だからである。

 

いい加減にしろ! 秋元千秋

最後に、最近みたBS-TBS「報道1930」への苦言を書いておきたい。テレグラムのCEOパヴェル・ドゥロフのフランスでの逮捕・起訴をめぐって、秋元千秋なる人物が解説をしていた。しかし、その解説は「いい加減」であり、正確さに欠け、私からみると、「嘘八百」という印象をもった。

拙著『サイバー空間における覇権争奪』をはじめとして、私はずっとテレグラムについて研究対象としている。その過程で痛切に感じているのは、その「鵺」性であり、断定的に説明することの難しさであった。

この拙著では、7カ所にテレグラムが登場する。ここでは、ロシア政府とテレグラムとの不可思議な関係が語られているのだが、それがどうにも不明確なのである。同じことがいまでもつづいている。ロシアでもウクライナでも、かなり利用者をもつテレグラムの不思議さについて、秋元は何もふれていない。

ドゥロフがパリで食事のためにプライベートジェット機で往来しているといった程度のくだらぬ話をするだけで、ドゥロフ逮捕・起訴に至る「与太話」を吹聴している。

真実に近いのは、9月5日に公表された記事が教えてくれている。要するに、彼の逮捕につながった捜査は、OFMINとして知られる警察の一部門からはじまったのだ。

ドゥロフに対する審問は、偽名を使った潜入捜査官がテレグラム上で性犯罪者と疑われる人物と関わった秘密工作に端を発している。容疑者はオンライン・メッセージのなかで、オンライン・ゲーム・プラットフォームで未成年の少女たちとどのように関わり、その後、「自作自演の児童ポルノ」を送るよう説得したかをのべているのだ。この捜査の延長線上に今回の逮捕劇があったのである。

私がテレビをときどきみるとは、テレビ局がどう視聴者を騙しているのかをチェックするためだ。この頃、チャンネルをひねれば、毎回のように、ひどいディスインフォメーション工作をマスメディアが公然と行っていることに気づく。いい加減にしろ!である。

 

 

 

 

 

(注1)この番組ディレクターがまったく不勉強である実例があるので、ここに紹介しておきたい。2022年9月22日付で「株式会社 BS-TBS「報道1930」、ディレクター:細川 由一朗」なる人物から「インタビュー取材のお願い」を受け取った。そこには、つぎのように書かれていた。

「来週火曜10月4日の放送では、「低迷する日本経済」について取り上げる予定です。その中で「学び直し(リスキリング)」について扱いたいと考えております。つきましては、諸外国でリスキリングが進む中で、日本では政府がどういった取り組みをしているかなど、塩原俊彦さまのお話を伺いたいと考えております。」

どうやら、「論座」で公開した「「リスキリング」でも「リカレント教育」でも出遅れる日本:世間体が足かせに?」という拙稿をみて、取材を申し込んできたらしい。私はつぎのように返信した。

「私に取材する理由がわかりません。したがって、取材には応じかねます。ついでに、ウクライナ戦争への報道がまったくなっていないと指摘しておきます。あなたは私書いた『プーチン3.0』や『ウクライナ3.0』を読みましたか。これらの本を読めば、あなたたちの報道がまったく本質からずれていることがわかるでしょう。」

このメールに対する細川からの返信はなかった。

私は、「地政学」のために、さまざまな分野について勉強している。それでも、取材をしたいのであれば、私の関心がどこにあるかくらいは事前にしっかりと下調べするのが最低限の礼儀であろう。ゆえに、私にとって「枝葉末節」な問題をめぐって話をしろと求めてくる者の不勉強ぶりに驚いたのである。こんな程度の連中がテレビ番組をつくっているのだという実態を知ってほしい。そう、どうしようもなく、不勉強なのだ。老婆心ながら、私はこの番組を罵倒しているわけではない。もっといい番組になってほしいと激励しているのだ。

(注2)ヴァンスをヤーヴィンに結びつけた元凶は、ギル・デュランという、わけのわからないジャーナリストが書いた「J・D・ヴァンスの奇妙で恐ろしいテクノ権威主義的アイデアはどこから来るのか?」という記事であるように思われる。あるいは、「ポリティコ」で公表された記事「J・D・ヴァンスの特異な世界観を形成してきた7人の思想家とグループ」のなかにも、ヤーヴィンが登場する。

いずれの記事も「新右翼」(ニューライト)の思想家ヤーヴィンの恐ろしさを強調し、彼とヴァンスとの親密さを主張することで、ヴァンスへの警戒感をにじませている。だが、実際にヤーヴィンとヴァンスの関係について、デュランは、ハイテク億万長者のピーター・ティールと、その弟子ともいえるヴァンスについて、「ティールもヴァンスもヤーヴィンの友人である」と書くだけで、その確たる証拠を示しているわけではない。デュランは、「政界入りして以来、ヴァンスは公の場でヤーヴィンの考えを称賛し、オウム返しをしてきた」とも指摘している。しかし、その実例は示されていない。ヴァンスは、政治的影響を受けた人物としてヤーヴィンを公然と挙げているらしいのだが、どんな影響を受けたかは判然としない(『ヴァニティ・フェア』誌を参照)。

「ポリティコ」では、「カーティス・ヤーヴィンという男がいて、彼はこういうことをいくつか書いている」と、ヴァンスが2021年に保守派のポッドキャストで語ったことが紹介されている。だからといって、「7人の思想家とグループ」の一人、作家ソフラブ・アフマリとの「友人」関係のような、具体的で親しい関係性が示されているわけではない。

このように、グロスマンの主張そのものがどうにも根拠に乏しいのである。

(注3)「オルト・ライト」は政治運動であり、現代の白人至上主義の過激派と関連している。当初Facebookなどの大規模なソーシャルメディアを通じてコミュニケーションをとっていたが、ソーシャルネットワーキング企業が人種差別的、性差別的、暴力的なコンテンツを禁止するようになると、これらのユーザーは規制の緩いサイトに移行した。新しい過激でオルト・ライトなインターネットへの道を開くことになったのである。Atomwaffen DivisionのメンバーはIron Marchを頻繁に利用し、Stormfrontも白人至上主義者、民兵運動メンバー、新連邦人の間で人気があった。KKKのメンバーであるドン・ブラックによって設立され、リバティ・ネットに影響を受けたこのサイトは、白人至上主義の過激なコンテンツを流通させ、憎しみに基づいて行われた数多くの殺人事件に直接的または間接的に関連していた。現代のオンライン上の白人至上主義過激派は、典型的には技術に精通した若い白人男性であり、ミームを介して、Redditなどのフォーラムや4chanや8chanなどのいわゆる自由掲示板でコミュニケーションをとることが多く、ユーザーはウェブサイトの管理者による検査をほとんど受けず、反響があったとしてもほとんどない状態で投稿することができる(ここでの記述は、「白人至上過激主義」を参照)。

 

 

 

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塩原 俊彦

(21世紀龍馬会代表)

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