「意図的無知」に向き合う必要性

2024年8月18日から学術誌『境界研究』向けに原稿を書きはじめた。仮のタイトルは、「「意図的無知」に向き合う必要性」である。

図や注を除いた第一節部分をここに公開する。その理由はあくまでメモ書きであり、多くの人々への「ヒント」になればいいと思っているからである。

 

 

 

はじめに

 本稿では、「意図的無知」(Deliberate Ignorance, DI)について論じる。といっても、DIの定義はもちろん、なぜDIが注目されるのかや、これまでのDIの議論の変遷を説明しなければ、ここでの考察そのものの意義を理解することはできないだろう。

 そこで、本稿では、第一節において、なぜDIに注目するようになったかについて説明する。ついで、第二節において、DIの定義について考える。まさに、境界線を引くことで分節化をはかり、分析するための方法について語ることになる。第三節では、DIのイメージを知ってもらうために、DIの具体例について紹介する。第四節では、DIの行方について予測する。おそらく人工知能(AI)の普及によって、DIへの対処法が今後、ますます重要になると考えていることを示すことになるだろう。最後に、若い読者への希望を書いておきたい。

 

1.DIに注目する事情

 DIという視角に気づくようなった経緯から説明したい。出発点は「視角」(perspective)のもち方について意識するようなったことがある。

 具体的には、柄谷行人の主張する「交換様式」のなかの「互酬」(贈与と返礼)をめぐる部分に関するもの議論が気になったのである。その疑問点は、他者に何か利益(プラス)になりそうなものを渡すという「贈与」への「返礼」との「正の互酬性」以外にも、他者に損失(マイナス)をもたらしたケースへの「返礼」(落とし前)をどうつけるかという「負の互酬性」という大問題があるというものだった。

 この視角から、拙著『復讐としてのウクライナ戦争』を書いたのである。そこでは、つぎのように記述しておいた。

「 重要なことは、他者によってもたらせた損失(マイナス)にしても、あるいは、他者による利益(プラス)の贈与にしても、それらがもたらす天秤の変化を回復させる、すなわちバランスを回復させることが「正義」の概念と深く結びついていることだ。そのとき問題になるのは、報復的正義と補償的正義なのだが、この問題は後述する。

いずれにしても、「負の互酬性」および「正の互酬性」におけるそれぞれの均等性、バランスの回復に腐心することが人類の歴史そのものであったことという認識こそ重要なのだ。そして、その認識のもとで、これまであまり論じられることのなかった負の互酬性について深く考察すること、それが本書の目的ということになる。」

 この視角は、多数派説への懐疑として表出する。その典型がウクライナ戦争をめぐる世界中の論調であった。その多くは、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領によるウクライナ侵略を非難し、一方的な領土変更は認められないとの立場から、ウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領を擁護する見方であった。だが、「正の互酬性」の裏に「負の互酬性」があるとすれば、「ロシア悪の枢軸説」とは別の見方があるはずだと主張したくなる。

 2014年2月21日から22日にウクライナで起きたクーデターについて、本を書いていた私からみると、ウクライナ戦争は決してプーチンだけを非難すべき出来事ではないと思われた。理由は簡単だ。このクーデターはアメリカ政府や議会の支援のもとで行われたものであり、「マイダン革命」といった主張はものごとの一面しかみていないからである。

 ロシアやウクライナなど、旧ソ連地域を研究してきた者としてすぐに気づくのは、この民主的な選挙で選ばれていたヴィクトル・ヤヌコヴィッチ大統領をウクライナから追い出した事件をクーデターとみなさない学者や専門家の多くがウクライナ戦争をロシアによる侵略戦争として糾弾していることだ。

 しかし、2014年2月の出来事をクーデターとみなすジョン・ミアシャイマーや私のような視角からながめると、ウクライナ戦争の背後にアメリカ政府の誤った外交政策が関係しているのではないかという強い疑念が湧く。ウクライナ戦争の真相にまで踏み込んで考察するためには、ミアシャイマーや私の見解は重要な意味をもつと自負している。ゆえに、2022年2月以降、たくさんの本を書き、ミアシャイマーと同じ見方を日本に広げようとしてきた。

 

 集団的無知という現象

 ところが、日本の状況をみると、アメリカ政府にとって都合のいい見方、すなわち、「ロシア悪の枢軸説」ばかりが人口に膾炙しているように感じられるようになる。決定的だったのは、2022年9月に信山社から刊行された井上達夫著『ウクライナ戦争と向き合う:プーチンという「悪夢」の実相と教訓』を読んだときだった。拙著『プーチン3.0』において彼の著書『世界正義論』を引用したこともある私は、彼をある意味で信頼していたと言っていい。

だが、この本は2014年2月に起きたクーデターという視角がない。その結果、ウクライナ戦争に潜むアメリカ政府の歪んだ外交政策批判もない。要するに、私からみると、ウクライナ問題について「無知」なのである。

 このとき思い浮かんだのは、井上が意図的にミアシャイマーや私の見解を無視しているのか、それとも、私たちの主張を知らないだけなのかという疑問であった。井上はこの本のなかで、米国政府を強く批判するノーム・チョムスキーについては紹介し、長文の分析をしている。たとえば、つぎのような記述がある。

  「彼のこのような論調は、その通奏低音として、「米国の巨大な悪が沈黙されてきたのに、ロシアがウクライナでいま行っている同様な悪だけを指摘するのは偽善的・欺瞞的だ」という二悪二正論のシニシズムを響かせている。米国の横暴を誰よりも厳しく批判してきたチョムスキーこそ、ロシアの同様な横暴を批判する規範的な感性と資格を誰よりも確かにもつはずであるにも拘わらず、米国の自己免責化・自己正当化の欺瞞を誰よりも知り、米国の自己批判を誰よりも強く要求してきたがゆえに、西側の欺瞞に対するプーチンの指弾に共鳴し、ロシアの悪に宥和的になってしまうという「自己批判の陥穽」に陥っている。」

 井上のこの批判が問題なのではない。問題は、チョムスキーと同じアメリカ批判の視角から展開されたミアシャイマーや私の見解をなぜ無視するのかという点にある。誠実な学者であれば、少なくとも21世紀以降のアメリカの一極主義について包括的に分析し、ウクライナの民主化のために資金支援や武装闘争支援をしてきたアメリカの実態について読者に披歴することが必要だろう。そのなかで、アメリカ政府が2014年2月のウクライナのクーデターを支援し、ウクライナの国家主権を蹂躙した事実や、2014~2022年までのアメリカ政府によるウクライナ支援などの事実も当然、検討対象となるはずだ。

 井上が意図的に私たちの主張を無視しているのであれば、それは学者として不誠実だと思う。なぜなら、ミアシャイマーも私も研究者として真摯にこの問題に取り組み、その成果を本に書き、公開してきたからだ。他方で、井上が私たちの主張を知らなかった可能性もある。こちらの可能性のほうが高いかもしれない。なぜなら、日本の主要マスメディアである新聞やテレビは、ほとんどまったく私たちの主張を無視しつづけているからだ。

 マスメディアによる無視は集団的無視であり、それは意図的無視に当たるだろう。まともなマスメディアであれば、その構成員全員が非意図的無知であるとは考えにくい。そうであるならば、もはや日本の主要マスメディアはアメリカ政府を怒らせるような内容の報道を忖度によって自粛するか、あるいは、総務省幹部からの命令で報道禁止を受けている可能性が生まれる。

 こうして「意図的な無視」、その結果としての「意図的無知」、あるいは、「非意図的な無視」の結果としての「非意図的無知」といった問題について、私は強い関心をいだくようになったのである。

 

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塩原 俊彦

(21世紀龍馬会代表)

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