シンポジウム「ユーラシア協調安全保障体制をどう構築するか」のご案内

進藤榮一先生から、「ユーラシア協調安全保障体制をどう構築するか」というシンポジウムに登壇せよとのご下命があった。2024年7月19日(金曜日)と20日(土曜日)に、明治大学神田校舎グローバルフロント国際会議場で開催される。私は、19日に、「帝国主義アメリカの外交とウクライナ」という話をしたいと考えている。

 

昔話

実は、私は進藤先生といっしょに鍋をつついたことがある。もう40年以上前の話である。ご本人は記憶のかなたにお忘れのようだったが、場所は奈良県。当時の山一證券の瀬川さんという方の自宅での出来事だ。

どうして、この顔ぶれになったかというと、当時、一橋大学大学院修士課程の試験に合格していた私は、瀬川さんに友人の進藤さんを紹介してもらったというわけである。

それにしても、「世間」は狭いものである。

 

東アジア共同体

私が進藤さんを「先生」と呼ぶのは、ちくま新書の『東アジア共同体をどうつくるか』を拝読したからである。

国家が嫌いな私は、もう何十年も、国家権力を弱体化させる方法についてずっと考えつづけている。その過程で、やはり、ともかくも欧州共同体のように、国家の上にもう一つの国家的機関を創設することで、相対的に各国の国家主権を制限する方向に向かうしかないと思うようになった。

だからこそ、「東アジア共同体」は一つの方向性として正しいと確信している。

 

欧州人権裁判所

こうした意識から、私のゼミ生に欧州人権裁判所を卒論テーマとするように「誘導」したこともある。欧州評議会という、比較的緩い機関の下部機関として設置されている欧州人権裁判所は、それなりに役割を果たしている。だからこそ、おうした先行事例を参考にしながら、アジアでも同じような「集団化」に基づく国際機関を創設して、「重石」となるようにすることはできなか――と、ずっと考えている。

あるいは、国際私法にかかわる簡易国際裁判所といったものの整備であるとか、災害救助向け国際協力機関の創設など、本筋の国際協力ではない分野での関係強化によって、まずは「東アジア共同体」設立に向けた地ならしができないものかと構想している。

 

『無刑論』

最近の関心でいえば、芦東山著『無刑論』を基礎として、中国の長い伝統思想から、刑罰について分析し、キリスト教神学とは異なる視角から、刑罰の体系を抜本的に改める努力を行うといったアイデアもある。天秤を前提とするバランスというキリスト教神学以前から存在した発想とは異なる価値観が東アジアにはたしかに存在した。そうであるならば、そうした価値観をもう一度、精緻に組み直し、「復讐・報復・制裁」にかかわる刑罰の価値体系をアジアで構築してみるのもおもしろいだろう。そこに、「普遍性」を見出すこともできるかもしれない。

 

東洋医学

すでに、東洋医学については、そのたしかな治癒力が認められるようになっている。こうした伝統医療についても、西洋に通じる普遍性をもちうるものがあるはずだ。

 

というわけで、進藤先生のご下命により、シンポジウムで15分ほど説明し、質疑応答を受け付けるということになった。関心のある方はどうぞ。

 

 

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塩原 俊彦

(21世紀龍馬会代表)

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