優生学の過ちを忘れるな:科学への疑いこそ重要

優生学の過ちを忘れるな:科学への疑いこそ重要

2019年12月2~13日に、スペインのマドリードで2019年気候変動会議が開催される。最近になって筆者は、パブロ・セルヴィーニュとラファエル・スティーヴンスの共著『崩壊学:人類が直面している脅威の実態』(草思社, 2019年)を読んだ。気候変動に対する対策が世界中に受けいれられつつあるなかでその対策が遅滞し不十分であるために、人類は崩壊の危機に瀕するかもしれないという切迫感が一部で広がっているようにみえる。

しかし、筆者はこうした危機を煽る言説に大いなる疑いをいだいている。論座のサイトで「牛肉と意識高い系:世界で強まる風当たり 日本は「意識低い系」?」を書いた際にも、「気候変動についての科学的議論はいまなお決着がついていない」とはっきりと書いておいた(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019110500003.html)。今回はこの問題について、もう少し掘り下げて議論してみたい。なお、ここでの記述はロシアのユーリヤ・ラティニナ記者の優れたロシア語の記事(https://novayagazeta.ru/articles/2019/11/30/82935-tserkov-globalnogo-potepleniya)を参考にしている。

 

第一の疑問

第一の問題は、気候変動への疑問である。半導体内および超伝導体内におけるトンネル効果の実験的 発見の功績により、江崎玲於奈と1973年のノーベル物理学賞を受賞したアイヴァー・ジェーバーは2012年に、“The Strange Case of Global Warming”と題する講演をしている(https://www.mediatheque.lindau-nobel.org/videos/31259/the-strange-case-of-global-warming-2012/meeting-2012)。彼は、約150年間に地球全体の平均地表面気温は0.3%しか上昇しておらず、人口が約4.7倍になったことに比べると「驚くべき安定性」であると指摘している。2012年の段階で、こうした指摘を受けて、すでに世界では「地球温暖化」を問題視するのではなく、「気候変動」を声高に問題にするようになっていたのだが、彼は「気候変動はいつの時代にもある」として、気候変動そのものにも疑問を提起している。

注意しなければならないのは、地球温暖化が気温推移のモデルによって語られてきた事実についてである。これに対して、気球や衛星を使って実際に観察された気温の推移をみると、モデルと一致しない点である。つまり、モデルが現実を反映していないのだ。

第二の疑問

第二の疑問は人為による気候変動の根拠となっている温室効果ガス、とくに二酸化炭素(CO 2)をめぐる問題である。たとえば、温室効果ガスの一つ、CO 2の濃度がいまの約20倍もあった時期がある。カンブリア紀である。古生代の最古期、いまから5億年前から5億7000万年前にさかのぼる。藻類や海生脊椎動物が生物界の主流を占めていたとされる。古生代から第四番目のデボン紀(4億500万から3億500万年前)のCO 2の濃度もいまの12倍ほどあった。魚類が大量発生し、両生類やアンモナイト類なども生まれたとされる。こうした時期があったにもかかわらず、なぜいまになってCO 2の排出量拡大が問題視されるのだろうか。

具体的にみると、20世紀中の摂氏0.8度の上昇は1910年から1940年までと1970年代から1990年代の気温上昇によってもたらされたとみられている。ところが、1940年から1970年には気温は低下している。この現象は温室効果ガスの代表的存在であるCO 2の排出量の推移とどうかかわっているのだろうか。説明してほしい。

 

第三の疑問

第三に問うべきなのは、政治利用への疑いである。すでにこのサイトでも2018年8月6日付でアップロードした「無知という罪」のなかでつぎのように書いておいた(https://www.21cryomakai.com/%e9%9b%91%e6%84%9f/638/)。

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「地球温暖化は人間によるものである」という命題をもっともらしく主張してきた元凶は国連の下部機関、「気象変動に関する政府間パネル」(Intergovernmental Panel on Climate Change, IPCC)だ。1988年に国連の世界気象機関(World Meteorological Organization, WMO)と国連環境計画(United Nations Environment Programme, UNEP)によって設立されたもので、国連総会でも承認された。注意すべきことは、この機関は決して科学者によって設立されたものではないことである。ゆえに、IPCCは自ら調査を行うわけではなく、科学者などの調査報告に関する評価をくだす二次機関にすぎない。はっきり言えば、官僚が仕事にありつくための機関であり、地球温暖化による危機を喧伝すればするほど、自らの存在価値を高めることができるのだ。

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とくに、CO 2を排出しない核発電を推進しようとするグループにとっては、人為による気候変動という主張はきわめて説得力のある主張となっている。

ここで注意喚起をしたいのは、かつて優生学が世界中ではびこり、それが真実として語られてユダヤ人虐殺や優生保護法によるハンセン病患者の隔離・差別につながった問題だ。こうした優生学の広がりの歴史と人為による気候変動問題がよく似ている。いずれも全体主義的な「におい」がするのだ。

 

バース・コントロールと親和的な全体主義

ここで拙著『ロシア革命100年の教訓』に書いたことを再び取り上げたい。

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民主主義は政府の運営にもかかわっています。どのような政府が望ましいかをめぐって世界的な潮流の変化がありました。その潮目の変化となったのはロシア革命でした。この革命によって労働者階級が主導する中央政府による計画経済の実践がスタートしたのです。「神」に代わって、労働者階級からなるソ連共産党が「上」からなにもかもをデザインするという設計主義思想が全面的に開花したわけです。

これを物語っているのが1920年11月に、ロシア革命後のソ連が堕胎、すなわち人工中絶を自由化した事実です。保健人民委員会と司法人民委員会が人工中絶に関する共同決定を出したのです。人工中絶は「バース・コントロール」の最終的な手段であり、ここに至って人間がその生命現象をコントロールすることが明確に認められたのです。この事実はあまり注目されていませんが、いわゆる「全体主義」への傾斜を示す重要な事例と言えます。

これによって、ロシア革命で誕生したソ連という国家が人間のデザイン思考、「上からのデザイン」を肯定するアプローチないし目的論的アプローチを全面的に取り入れていたことがわかります。ただし、中絶に対する見方はソ連の状況によって変化し、1930年代には出生率の低下や中絶の増加から、反中絶キャンペーンを引き起こしたほか、1936年6月には、ソ連中央執行委員会と人民コミッサールソヴィエトの決定として、中絶が一時禁止された時期もあります。戦争に向けた兵員確保のために、人口を増やす必要があったからです。その必要性が薄れると、1954年8月になって中絶への罰則を廃止するソ連最高会議幹部会令が出されました。

ここで思い出してほしいのは、トマス・ロバート・マルサスが匿名で『人口論』を発表したのが1798年であったことです。貧困と多産の問題を関連づけて論じたところに、社会主義や共産主義の理想と呼応する部分がありました。コンドームは16世紀に梅毒感染防止用に考案されたと言われているのですが、ゴム加硫法による安価な生産が可能になった1840年代になるまでは一般の人々には入手困難な高価な商品でありました(荻野1994)。近代以降の生殖パターンは、「望ましい子供の数の目標値が設定され、それが達成されれば女は閉経よりもずっと以前に産むのをやめてしまうこと」でしたが、マルサスの人口論の保守性に一部の社会主義者が反発し、避妊を拒否する態度がみられるようになります(たとえばローザ・ルクセンブルクのようなドイツの社会民主主義の指導層)。他方で、英国のフェビアン協会のウェッブ夫妻のように、国家が人口管理に介入すべきだと考えていた社会主義者もいました。こうした動きは優生学という「人種」間の偏見を助長する悪しき方向にも向かうことになります。

1910年代から20年代にかけて、ロシア革命の前後に「バース・コントロール」運動が欧米で広がりをみせたことを忘れてはなりません。まさに、人間自らが計画化に乗り出す運動が本格化するのです。米国では、マーガレット・ヒギンズ、のちのサンガーが避妊法によるバース・コントロールの普及に乗り出します。彼女は世界産業労働者同盟(IWW)の労働運動家と親しく、その運動はいわば階級闘争のなかで育まれました。やがて階級闘争と一線を画した性の自由と女性のセクシャリティの解放のための運動に転化していきます。

キリスト教の世界では、受胎をコントロールすることは神の法に背くとして教会が反対の立場をとってきました。したがって、避妊は人間による神への冒涜であり、ましてや堕胎は禁止されていました。その意味で、前述した1920年11月の人工中絶を自由化は画期的な意味をもっていたことになります。

余談ながら、この「バース・コントロール」という「上からのデザイン」を肯定するアプローチは第二次世界大戦後になっても世界規模で猛威をふるっていたことを忘却してはなりません。世界銀行は国家による不妊手術の実施という人口抑制を融資条件にしていた事実があるのです。1968年から1981年まで世界銀行総裁を務めたロバート・マクナマラ元米国防長官は人権を無視したかたちで「上からのデザイン」を押しつける「全体主義」を、世界銀行を使って文字通り世界規模で行ったと極言することさえできると思います。

こうした事情から、わたしは『週刊金曜日』(2017年12月22日号)の論考のなかで、「全体主義を磁石のように引き寄せたのはロシア革命であったのだ」と指摘しておきました。

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こうした「上からのデザイン」を押しつける「全体主義」はアメリカのカリフォルニアで盛んであった優生学を取り込んで、ナチスに利用されて全面化する。ここで重要なことは、ナチスもまた社会主義という全体主義を標榜していた事実である。

同じ拙著『ロシア革命100年の教訓』で、つぎのように記した。

 

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ついでに指摘しなければならないのは、1930年代にアメリカのカリフォルニアで盛んであった優生学がドイツに影響をおよぼしたという事実です。1933年までにカリフォルニアは他の全州の合計よりも多くの人々に強制的に不妊手術を施していたのであり、ドイツの国民社会主義ドイツ労働者党(ナチス)はこの不妊手術の実践的なノウハウを学んだのです。ドイツ本国では、エルンスト・ヘッケルが優生学を推進しましたが、米国で優生学を広めたチャールズ・ダベンポートの影響下におかれていたと考えるほうが正しいと思います。

もう一つ忘れてならないのは、ジョナ・ゴールドバーグが『リベラル・ファシズム』で主張するように、1930年代にファシズムが進歩主義的運動と広範にみなされており、左翼の多数によって支援されていたという事実です。ゆえに、ファシズムもコミュニズムも全体主義として唾棄されることになります。実はこうした全体主義を批判する英米もまた国家主義的傾向を強めることになりました。この点が決定的に重要であると思います。

問題の核心はこうした歴史的経緯を経て、全体主義的な「国家=政府」も、英米の「国家=政府」も戦争に勝つための緊急措置として包括的な中央計画化や動員計画を採用したことにあります。人類にとって不幸だったのは、ファシズムや日本軍国主義を打破するために全体主義のソ連と英米が組んだこともあって、戦後になっても「緊急措置としての計画化」という、「国家=政府」主導の経済活動への干渉(生産量や価格への規制など)という「上からのデザイン」を肯定するアプローチが生き残ってしまったことかもしれません。

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こうした過去の過ちが人為による気候変動問題において繰り返されているのではないか。なぜならこの問題に取り組む人のなかに、過去に社会主義運動といったかたちで全体主義を支持してきた人がいるからである。しかも、今度は国家を超えた地球全体のレベルで「上からデザイン」するために温室効果ガス削減を強制しようとしているようにみえる。

 

12の疑問にこたえてほしい

最後に、アメリカ気象学会の気候分析と予測委員の元委員長で気象学者のジョセフ・ダレオ(Joseph D’Aleo)が公表している “12 Facts about Global Climate Change That You Won’t Read in the Popular Press”というタイトルでアップロードしている12に事実について紹介しておきたい(https://fcpp.org/2008/10/01/12-facts-about-global-climate-change-that-you-wont-read-in-the-popular-press/)。ぜひとも、このサイトにアクセスしてその内容を知ってほしい。2008年10月にアップロードされたものだから、10年以上前の指摘だから、一部、事実とは言えないものもあるかもしれない。それでも、ダレオの疑問が解消されないかぎり、人為による気候変動を解消するために地球全体を巻き込んで温室効果ガス削減を強制するというやり方には疑問が残る。「21世紀龍馬」はこうした疑問をしっかりと持ち続けるべきだと思う。

 

 

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塩原 俊彦

(21世紀龍馬会代表)

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