Dishonest Abeは信頼破壊で経済にも打撃

Dishonest Abeは信頼破壊で経済にも打撃

わたしはこのサイトで何度も安倍晋三首相をDishonest Abeと呼び、批判してきました。こんな人物が政治家であること自体、政治不信を高めるだけであると指摘せざるをえません。選挙民を「桜を見る会」に招待し、血税を使った会で飲み食いさせているのがDishonest Abeの本性であることを知れば、なぜこんな人物が逮捕・起訴されないのかと疑問に思うでしょう。公職選挙法や選挙資金規正法違反の疑いが濃厚だからです。詳しくは毎日新聞の記事を読んでください(https://mainichi.jp/articles/20191108/k00/00m/010/251000c)。あるいは、しんぶん赤旗の記事を熟読してみてください(https://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-10-21/2019102101_01_1.html)。11月8日の参院予算委では、共産党の田村智子がこの問題を追及しましたが、Dishonest Abeはまったく誠意ある答弁をしませんでした。まさに、dishonestそのものです。

このサイトに、かつて「「信頼」をめぐって」と「信頼の再論」をアップロードしたことがあります。今回は、信頼を壊す行為が実は、経済活動にも打撃をあたえるという点について論じてみたいと思います。Dishonest Abeが政治不信をもたらすというのはあくまで政治の問題かもしれません。しかし、安倍のきわめて不誠実で嘘を並べ立てるやり口は政治だけでなく、経済の面にもきわめてよくない影響を撒き散らしているのですよ。

それは、ドナルド・トランプ米大統領が自らフェイクニュースやディスインフォメーション(意図的で不正確な情報)を拡散させて、それが米国の政治だけでなく、経済にまで深刻な悪影響をもたらしつつあるのとそっくりです。

 

ロバート・シラー

なぜこんな話を書こうと思ったかというと、行動経済学者で2013年の「ノーベル経済学賞」の受賞者である、ロバート・シラーが2019年11月、ニューヨークタイムズに「嘘をつくことと信用しないことがどのようにアメリカ経済を傷つけているか」という記事を掲載したからです。トランプによる嘘をつくという「文化」が自由な報道への脅威になっているだけでなく政治的危険をもたらしているが、経済的な危険もあると、かれは主張しています。そして、「もし嘘が満ちたり、あるいは嘘が当然視されたりする雰囲気が社会のいたるところに広がると、その効果は経済成長率を引き下げるだろうという十分な証拠がある」と指摘しています。なぜならだれを信頼できるか、あるいは、何を信頼できるかを知らなければ、ビジネスは効果的に計画をたてることができないからです。そして、シラーは、「アメリカ合衆国にとっての重大な問題は嘘をつくことと信用しないことがすでに全体の文化に浸透してしまった程度そのものにある」と記しています。

この指摘は、そのまま日本にもあてはまりそうですね。トランプも安倍もdishonestそのものであり、嘘をつくことや(自分のお友達以外を)信用しないことを撒き散らしているわけですから、そうした姿勢が「文化」にも悪影響をおよぼしていると考えられるわけです。みなさんもよくご存知のように、政治資金規正法違反をしても、あとから訂正するだけで罰せられない現状は、まさに嘘を助長し、政治家の提出する文書など、だれも信じない雰囲気を醸成しているのです。官僚は国民のためではなく、自分のためにひたすら安倍の意向を忖度するヒラメに成り下がっているのです。

 

ソーシャル・キャピタル

すでにこのサイトの「「信頼」をめぐって」で紹介したように、経済学の分野では、信頼の重要性は“social capital”という言葉によって知られています。ジェームズ・コールマンの“Social Capital in the Creation of Human Capital,” American Journal of Sociology, 1998やロバート・プットナムの“The Prosperous Community: Social Capital and Public Life,” American Prospect, 1993などを是非とも読んでもらいたいと思います。

こうした信頼関係が成り立っているところと、そうでないところでは、さまざまな違いが生じます。ここで、わたしがかつて書いた拙稿を紹介したいと思います。

「独仏・北欧諸国がマネジェリアリズムというイデオロギーに汚染されにくかったのはそれらの諸国が信頼や安定的法秩序といった「ソーシャル・キャピタル」の保持に高い優先順位をおいてきたからであると考えられる」

というのがそれです。ここでいう、マネジェリアリズムというのは、よりよいマネジメントがよりよい政策や新しい技術よりも社会に物的進歩の最良の機会をもたらすと仮定し、望ましい結果を達成するための計画、人々、技術をともにもたらすという点で重大な役割を果たしているとみなす考え方です。

こう考えると、秩序と専門職業意識とダイナミズムをもったマネジメントの領域を拡大すべきだということになり、官民の間に基本的な差が存在しないという主張につながります。こうしてマネジェリアリズムは、イデオロギーを特徴づける条件である、①世界の状況やそのあるべき姿についての価値観ないし理念から構成されている、②価値観ないし理念の認知できる要素が枠組みを形成している、つまり相対的に体系的な構造をなす、③社会集団と社会の取り決めにかかわっている、④社会集団によって発展・維持されている、⑤行動の正当化をもたらす――という5条件をクリアするようになりました。こうしてこのマネジェリアリズムは一種のイデオロギーとなり、1990年前後に経済協力開発機構(OECD)を通じて広がったことが知られています。

マネジェリアリズムは管理職には受け入れられやすいが、現場の労働者には人気がないとされています。これは、マネジェリアリズムというイデオロギーがトップダウンの形で押しつけられるというケースが多いことを意味しています。比較的中央集権的で、連邦制をとらない英国やニュージーランドにおいては、マネジェリアリズムがトップダウンの形で広がりやすかったと考えられるでしょう。合意形成型の政治形態をもつ北欧諸国や法律尊重主義の強いドイツやフランスでは、マネジェリアリズムというイデオロギーの上からの押しつけはそう簡単ではなかったと言えます。

別言すると、合意形成型の政治形態は相互の信頼(trust)や信用(confidence)を大切にしており、そうした信頼や信用あっての社会制度が時間をかけて形成されてきたのです。そこに、ソーシャル・キャピタルが培われ、安定的秩序が生まれたのです。ところが、嘘と不信頼に満ちた環境下では、相互の合意形成をしようにも、互いに角を突き合わせるたけでなかなかできません。ソーシャル・キャピタルが次第に失われ、それが社会不安につながり、人々を分断化させ、貧富の格差を広げることになるのです。

いま、ようやく日本でもキャッシュレス化が進もうとしています。わたしは拙著『なぜ「官僚」は腐敗するのか』のなかで、キャッシュレス化賛成の話をしています。とくに、高額紙幣をはくすことが腐敗防止につながる可能性について言及しました。同時に、キャッシュレス化が遅れていた日本の特徴についてもふれています。それは、「和」をもって貴しとする日本人気質のなかで、相互信頼が強かったという事実に関係しています。つまり、誇れるような伝統が日本にはありました。その意味で、急速なキャッシュレス化は、相互の信頼や信用を大いに毀損しかねないことに配慮しなければなりません。

 

Narrative Economics

前述したロバート・シラーは2019年10月、Narrative Economicsを刊行しました。このNarrativeは、「ものがたり」を意味しています。かれはそのなかで、「伝染するものがたり」に注目しています。かれは、「ものがたり」のなかに、「時間の経過とともに変異しながら繰り返される「永続的な経済的ものがたり」がある」として、二つの例を指摘しています。一つは、反復される「雇用を奪う機械」という「ものがたり」です。農業機械から自動運転自動車までいろいろな「ものがたり」があります。もう一つは、「信用」の「ものがたり」です。さまざまな金融危機が繰り返されてきたことを指しているようです。

とくに、後者の「信用」にかかわる「ものがたり」がいま、再び嘘の蔓延によって危機にさらされているのです。そして、それは100%経済にも打撃をあたえるでしょう。

 

『物語の哲学』と『はざまの哲学』

最後に、若者は「ものがたり」に関心をもってほしいと思います。あなたたちはピンポイントで検索エンジンを使い、一点に注目することはあっては、そのポイントをめぐる「ものがたり」に関心を払っていないのではありませんか。もっとゆったりと構えて、その周辺を見つめるだけの余裕をもってもらいたいと思うのです。

野家啓一という学者がいます。わたしが尊敬する数少ない学者の一人です。そのかれの著作に『物語の哲学』(岩波現代文庫)と『はざまの哲学』(青土社)があります。どうかこの2冊を読んでみてください。「ものがたり」の重要性を知ってほしいからです。21世紀の龍馬は「ものがたり」を読み解くところに生まれるのだと思うのです。

 

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塩原 俊彦

(21世紀龍馬会代表)

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