「れいわ新選組」の比例区大勝および「オヴァートンの窓」と「パソキフィケーション」:『ラディカルズ』を読む大切さ
「れいわ新選組」の比例区大勝および「オヴァートンの窓」と「パソキフィケーション」:『ラディカルズ』を読む大切さ
期待を込めて、「れいわ新選組」の比例区大勝を予測したいと思います(もしそうならなければ、日本人の多くがいまだに島国根性を脱却できずに「ガラパゴス化」の真っただ中にいる証拠となるでしょう)。そして、その理由を「オヴァートンの窓」(Overton window)という理論と「パソキフィケーション」(pasokification)という現象によって説明したいと思います。
なお、わたしは、「wired.comへのアクセスは、ハードルが高いかもしれないが、せめてwired.jpにアクセスして、ITの最前線の情報を知るようにしなさい」と、学生たちに教えています。今回の記事は、2019年7月20日午後7時にアップロートされた「「ラディカル」が自由な民主主義を更新する:『ラディカルズ 世界を塗り替える〈過激な人たち〉』プロローグより」という記事(https://wired.jp/2019/07/20/radicals-prologue/)に触発されて書いたものです。ときどきとてもいい記事が載るので、より多くの人々にアクセスしてほしいと思っています。
「オヴァートンの窓」
まずは、ニューヨークタイムズ(2019年2月25日付)に掲載された、「かつてラディカル、いまはメインストリーム:言葉による思想伝達における移転を説明しよう」(Once Radical, Now Mainstream: Explaining Shifts in Discourse)という記事から説明しましょう。
この記事のなかで「オヴァートンの窓」という言葉が紹介されています。1990年代にヨセフ・P・オヴァートンが導入した概念であると説明されています。「オヴァートンの窓」というのは、いわば「アイデアの範囲」を示しています。その範囲を示す「窓」は草の根の運動によって動かすことができます。シンクタンクに勤めていたオヴァートンはシンクタンクも同じようにアイデアの範囲を移動させて選挙民に関心をもたせようとしたわけです。窓の外にある政策は選挙民には見えないので関心をもたれること自体困難なわけですが、政策そのものが窓の枠内に入るようにすれば、選挙民にも見えるようになり、関心の対象となりえるわけです。
この点について、最初に紹介した『ラディカルズ 世界を塗り替える〈過激な人たち〉』のプロローグでは、つぎのように説明しています。
「オヴァートンの窓とは、特定の時代において、国民の大部分が尊重すべき常識的なものとして受容する考え方の範囲をさしている。米国の政治学者、ジョゼフ・オヴァートンの名からそう呼ばれるようになった。オヴァートンは、政治的左派であれ右派であれ、選挙で勝つためには尊重しなければならない一定の政策があるといっている。多少の表面的な逸脱は問題にならない。だが、この「窓」の外にはみだしたものはどれも、あまりにも非常識で、実行不可能で、非現実的であるとして、国民には受け入れられない。その時代の感覚では過激すぎるからだ。」
この「オヴァートンの窓」の外にはみだした政策を訴えるラディカルさがあれば、SNSによってその問題の重要性を選挙民に考えさせることが可能になるわけです。その意味で、この「ラディカルさ」こそ、きわめて重要ということになります。逆に言えば、近代化以降、主権国家が誕生すると、主権国家はその権力を維持するために間接民主制をとりつつ、議員、官僚、マスメディアが国民に働きかけて国民の目を刺し、主権国家保持に都合のいい政策だけに国民の目を向けることに腐心してきました。いわゆる「エスタブリッシュメント」が事実上、政策課題を決めて情報操作を通じて国民を誘導することで主権国家を守り、エスタブリッシュメントの権力も維持・拡大しようとしてきたわけです。
そうしたカラクリを暴露し、反乱を煽動することに成功したのがドナルド・トランプ米大統領ということになります。わたしはこの「カラクリの暴露」という点では、トランプを高く評価しています。
「パソキフィケーション」
トランプの成功は世界情勢の変化をつぶさに観察すると、「パソキフィケーション」のころからはじまっていたことがわかります。この「パソキフィケーション」というのは、ギリシャ語で「社会民主政党」を意味する言葉の頭字語であるPASOKに由来し、そのPASOKが2009年の得票率44%から2015年の得票率5%に急減した現象を意味しています。国の主たる社会民主政党がよりラディカルな左翼政党の隆盛の結果として議会におけるもっとも小さな政党に減少してしまったわけです。この現象から転じて、「パソキフィケーション」は「中道左派勢力の急落」を意味するようになります。
イギリスのEU離脱、ドナルド・トランプ、バーニー・サンダース、イギリス労働党党首ジェレミー・コービン、さらにフランスのエマニュエル・マクロンといった人物の登場の背後には「パソキフィケーション」がかかわっているのです。
「オヴァートンの窓」の外にはみだした政策に国民が気づくようになると、それまで窓の中心に位置することで国民に気づかれずすんだ(あるいは騙してきた)連中の立ち位置が揺らぐわけですね。
「ラディカルズ」の重要性
『ラディカルズ』という翻訳本では、「今後数年のうちに「窓」は劇的に変わることだろう」と主張しています。そのうえで、「わたしたちが心地よく浸りきってきた政治的構造に襲いかかろうとしている、とてつもなく大きな課題は三つある」と指摘しています。第一の課題は「テクノロジー」であり、第二は「気候変動」、第三は「人々の姿勢」です。ここでは、第一と第三の課題について、もう少し丁寧に論じてみましょう。わたしのかねてからの主張に近いからです。
テクノロジー
「ちきゅう座」のサイトに、「“Tech”の重要性と新著『サイバー空間における覇権争奪』」をアップロードしたり、あるいは、まさに拙著『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法的規制のゆくえ』を上梓したりしているわたしからみると、日本の多くの人々は「テクノロジー」への関心が低すぎます。
最近、驚いたのは、著作権法の権威、中山信弘が2013年に公表した論文、「著作権法の憂鬱」(『パテント』Vol. 66, No.1, 2013, 106頁)でつぎのように書いていることを知ったことでした。
「現在、人類はかつて経験したことがないようなスピードで変化しており、その最大の原動力はデジタル技術にある。この社会の変化のスピードは産業革命をはるかに凌ぐものであると思う。暴力革命や戦争のような鋭角的な変化は誰でも気が付くが、余りに大きな弧(円)の上に立っていると、あたかも地球が丸く見えないように、人は変化に気がつきにくいが、実は後から見ると90 度も曲がっていることがありうる。後世、現在は産業革命をしのぐ大革命の時代と評価されるであろう。」
本当にそうなのです。だからこそ、わたしたちはテクノロジーについてできるだけ包括的に議論すべく勉強しなければなりません。わたしの本のように、包括的に最新のテクノロジーについて知ることのできる日本語文献はほかにないのではないか。そう宣伝しておきましょう。ただし、紙幅の関係で書きませんでしたが、医療にかかわる最新技術についてもう少し書いておいたほうが良かったかもしれません(とくに、脳に直接マシーンを接続させる問題[Brain-Machine Interface, BMI]について紹介しておくべきだったと反省しています)。
人々の姿勢
この「人々の姿勢」に関連して、『ラディカルズ』の著者、ジェイミー・バートレットはつぎのように指摘しています。
「民主主義とそれに関連する制度に対する信頼は、内側から崩壊しつつある。さまざまな調査結果が示しているのは、国民の信頼は選挙で選ばれた政治家や議会、司法制度、さらには民主主義そのものに対してまで、何年ものあいだ着実に低下しつづけているという事実である。民主主義社会に生きることを「絶対的なもの」と考えている1980年生まれの人たちは、1950年生まれの人たちと比べてはるかに少ないように思える。この状況は、今後も悪化の一途をたどるだろう。なぜなら、代表民主制──時間がかかり、反応が鈍く、妥協だらけのシステム──は、即座に満足を得ることがあたりまえのデジタル社会では時代錯誤に感じられるからだ。インターネットによって、人々、特に若い世代の人たちが政治に期待することは変わりつつあり、より多くの人が政策決定にかかわれるようになった一方で、集団的決定の方法に対する不満やいらだちはいっそう募るようになった。今後、テクノロジーと環境についての問題がその度を増すのにともなって、人々はますます、いまの仕組みではそれらの問題の解決に取り組めないと感じるようになるだろう。」
まず、「民主主義とそれに関連する制度に対する信頼は、内側から崩壊しつつある」という記述は、「神信頼」、「人間信頼」、「国家信頼」、「マシーン信頼」ないし「ネットワーク信頼」について拙著『サイバー空間における覇権争奪』で分析したわたしにとって、きわめて心強い指摘となっています。拙著について、準備している拙稿「「デジタル全体主義」VS「デジタル資本主義」:新しい地政学に向けて」で、この問題をより深く論じているのですが、このバートレットの指摘は、「国家信頼」を揺さぶる動きを的確にとらえたものと言えるでしょう。
ついで、「より多くの人が政策決定にかかわれるようになった一方で、集団的決定の方法に対する不満やいらだちはいっそう募るようになった」という記述も重要です。拙著『なぜ「官僚」は腐敗するのか』において、日本の官僚や政治家の「無能さ」を具体的に指摘しました。こんな連中にまかせてはおけない問題がたくさんあるのです。公務員への所得申告制の導入やその公開はもちろん、請願手続法の制定、公務員への内部通報者保護制度の整備、あるいは、投票義務化法の制定などです。
これらの主張はラディカルに見えるかもしれませんが、そう見えるのは既存のエスタブリッシュメント勢力による「目くらまし」の結果にすぎません。賢明な若い人々は自分たちがいかに国家や政治家、官僚やメスメディアに騙されつづけてきたかに気づきつつあるのです。もはや「オヴァートンの窓」はこれまでとは違う風景を映し出しているのですよ。
だからこそ、既存政党ではない、新しい「ラディカルズ」の一つとして、「れいわ新選組」に投票する人々が多かったのではないでしょうか(この記事の執筆時点では結果はわかりませんが)。
21世紀龍馬会の存在理由
わたしは「21世紀龍馬会」の代表として、このサイトで意図的にラディカルな主張を繰り返しています。理由は簡単です。時代は「ラディカル」を求めているからです。
ここで紹介したバートレットは『ラディカルズ』のプロローグのはじめに、興味深い逸話を紹介しています。
「たとえば、リベラル派の哲学者でイギリスの下院議員を務めたジョン・スチュアート・ミルが1867年人民代表法の条文改正にあたって選挙権の主体を示す単語を「men(男)」から「persons(人)」に改正しようとしたときには、怒りと嘲笑の猛反撃にあった。「そんなことをすれば、イングランド人の男らしさが脅かされる」と反対者たちは主張した。そして、ミルが提案した改正は女性の価値をもおとしめるものだ、と。完全にミルの負けだった。「ミル氏は自分の意見にもう少し常識を取り入れてはいかがか」と忠告する議員までいた。
それから60年後、別の急進的な運動家たちの努力=婦人参政権運動が実を結び、1928年人民代表法により、イギリスでは男性と同じ選挙権が女性にも認められるようになった。」
みなさんは「サフラジェット」(Suffragette)という映画を知っていますか。イギリスで婦人参政権を求めて闘った女性たちの映画です。邦題は「未来を花束にして」という絶妙なタイトルになっています。ついでに、わたしの高知での住まいから歩いて1分ほどのところに、「婦人参政権発祥之地」という碑があります。
「自由民権運動の高まりの中で明治11年(1878)楠瀬喜多は男女同権の理を論拠に投票を要求した 喜多の願った婦人の選挙権・被選挙権は2年後 土佐郡上町町会の闘いにより上町町会規則に規定 続いて小高坂村にも実現し権利が行使された 「男女同権ハ海南ノ某一隅ニヨリ始ル」と当時の高知新聞は絶賛 先人たちの偉業を顕彰しここ上町町会跡に碑を建てる」というのがそれです。日本でも同じような映画をつくってほしいものだと思います。
いずれにしても、きわめて「ラディカル」にみえた考えも、いまではまったく当たり前になっています。その意味で、身分制を廃そうとした坂本龍馬の思想もラディカルでしたが、いまではその先駆性が評価されているわけです。
だからこそ、わたしはこの「21世紀龍馬会」において、ラディカルな意見を吐きつづけようと思っています。どうか、若者は「ラディカル」であることを恐れないでほしい。「オヴァートンの窓」を少しでもシフトさせることで、ラディカルな視角を知ってほしいと願っています。
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