大学授業料の無償化は最悪手:国家が大学の自由を着々と侵害しつつある

立憲民主党の「参院選2022特設サイト」には、「国公立大学の授業料を無償化し、私立大学生や専門学校生に対しても国公立大学と同額程度の負担軽減を実施します。奨学金制度の拡充で学生の生活費等についても支援します」と書いてある。

しかし、彼らは、国家が口出しすることで、大学教育が歪められている現実を知らない。こんなところで学んでも、世界に通じる優れた分析家を育て上げることなどできない。

 

国家の企み

どうにもわかっていないと思われるのは、日本という国家を、安全保障を理由に軍事化させて、かつての「大日本帝国」の復活を夢見るような連中が政治家にも官僚にも増えているという事実である。

彼らは中長期戦略のもと、日本の軍国主義化をもくろんでいる。そのなかには、「ディスインフォメーション」を「偽情報」を誤訳させて、真偽、正誤のチェックが必要だと喧伝して情報統制を強化するという計画もある。

新聞は、2019年10月に消費税が10%に引き上げられる際、軽減税率の適用を受けたことで、政府に頭が上がらなくなった。

テレビは、2016年2月の高市早苗総務大臣(当時)の国会答弁以降、完全に委縮している。彼女は、2月8日の衆議院予算委員会で、野党議員からの「憲法9条改正に反対する内容を相当の時間にわたって放送した場合、電波停止になる可能性があるか」との質問に対し、「放送局が政治的な公平性を欠く放送を繰り返し、行政指導しても全く改善されない場合、それに対して何の対応もしないと約束するわけにいかない」とのべたのであった。

 

大学の骨抜き

日本を再び軍事大国にするためには、これに反対する勢力を威嚇し、殲滅することが必要になる。そのためには、真綿で首を締めるような用意周到な戦略が必要となる。その戦略の一つが、大学への国家介入範囲を拡大し、国家批判をするような大学をなくすことなのだ。

ゆえに、まずは「国公立大学の授業料を無償化」といった耳障りのいい話をもち出すことになる。立憲民主党の提言は、まさにこの軍事大国化路線を踏襲するものと考えられる。こんなことをすれば、ますます大学教員は国家批判をやりづらくなる。

もちろん、私立大学の授業料無償化までゆけば、私立大学の教員による国家批判も難しくなるだろう。

 

これまでの手口

軍事大国化路線に賛成な人々はおそらく、まず、授業料無償化といったことを手掛かりに、国公立大学への介入を一気に強めるだろう。

すでに、大学への露骨な管理強化はじまっている。2023年12月13日、参議院本会議において、一部の規模が大きい国立大学(特定国立大学法人)に運営方針会議の設置等を盛り込んだ「国立大学法人法の一部を改正する法律」が可決、成立した。この法改正により、理事が7人以上の国立大学法人のうち、収入及び支出の額、収容定員の総数、教職員の数を考慮して事業の規模が特に大きいものとして政令で指定するもの(特定国立大学法人)は、運営方針委員3人以上と学長で組織する「運営方針会議」を設置することを義務づけた。

運営方針会議の権限として、①中期目標・中期計画および予算・決算に関する事項については、運営方針会議の決議により決定する、②決議した内容に基づいて運営が行われていない場合に学長へ改善措置を要求することができる、③学長選考の基準その他の学長の選考に関する事項について、学長選考・監察会議に意見を述べることができる――などが認められた。しかも、これだけの権限をもつ同会議の委員は、「学長選考・監察会議との協議を経て、文部科学大臣の承認を得た上で、学長が任命する」と定められている。つまり、政治介入が可能となっている。

もう一つ思い出してほしいのは、2004年の国立大の法人化以降、運営交付金を減らす一方で学長や理事会の権限強化を進め、2019年からは、国の指標による評価を交付金の配分に反映させる仕組みもはじめたことである。

こうして、大学は国家にモノを言いにくくなっている。

 

アメリカをみればわかる手口

2024年9月14日付NYTは、「「多様な」キャンパスは保守派を増やすべきか? 共和党は大学に「視点の多様性」の受け入れを要求している。懸念しているのは彼らだけではない」という記事を公表した。記事は、「フロリダ州やテキサス州を含む少なくとも七つの州で、視点の多様性(viewpoint diversity)を求める教育法が提案・可決された」と書いている。インディアナ州では3月、多様性、公平性、インクルージョンのプログラムを縮小する法律が可決され、同時に、教授陣に対し、授業が 「知的多様性 」を促進しているかどうかを定期的に評価することを義務づけた。これを怠れば、たとえ終身雇用の教員であっても解雇の対象となるという。

同じNYTの同年3月23日付の記事によると、インディアナ州の新法は、公立大学の教授に「知的多様性」の文化を育むことを義務づけ、そうでなければ終身在職権を持っている者でさえ解雇を含む懲戒処分を科す。同法は、終身在職権の有無にかかわらず、教員の職務上の地位を、大学の理事会から見て 「自由な探求 」と 「自由な表現 」を促進しているかどうかに結びつけるものである。恐ろしいことに、同法案を提出したスペンサー・ディーリー州上院議員は声明で、これはキャンパスにより保守的な視点を取り入れることを意味すると明言しているという。

この「知的多様性」の文化を育んでいるかを決めるのは、大学管理委員会である。7月に施行されたインディアナ州法では、大学管理委員会は、「知的多様性」を促進したり、学生に様々な政治的見解の作品に触れさせたりする可能性が「低い」と判断された教員には、終身在職権や昇進を与えてはならないと定められている。同管理委員会は、教えている授業に無関係な政治的見解を持ち込む「可能性が高い」と判断された教員に対しても、終身在職権や昇進を保留することができるという。

 

ヒラメばかりの大学教員になる

何が保守主義かを決めるのは困難だ。そうであるならば、「知的多様性」の文化を育んでいるかどうかを決定するのも難しいだろう。それにもかかわらず、こんな制度を導入すれば、恣意的な歪んだ決定が下されることになるのは明らかだ。そうなると、ヒラメよろしく「上」ばかりを忖度する教員が大多数を占めて、大学の自由は失われることになるだろう。

もちろん、授業料の無償化の具体的な方法によっては、国家による大学への介入を少なくすることは可能だ。たとえば、学生にクーポンを配布して、学生の判断で大学を選択させてそのクーポンに応じて授業料を国家が大学に配分するのであれば、大学に直接あれこれ介入することは難しいだろう。しかし、国家が授業料対象校を毎年のように選定する制度にすれば、国家はいくらでも大学に介入できるだろう。

 

大学教育のひどさ

私は、「バカによるバカの再生産」が程度の差こそあれ、日本のすべての大学で進んでいると考えている。まず、大学の教員に教育方法をしっかりと教えていない。「大学教育授業法」といった授業の受講を義務づけていないのだ。その結果、教育手法そのものを知らない愚か者がたくさんいる。

第二に、そもそも、大学教員の能力が低すぎる。私のよく知る、文系科目でいえば、世界の最先端の変化に対応できていない。AI倫理も語れなければ、ロビイスト活動についても教えられないし、地政学について、私のように、核兵器からエネルギー、AIまで幅広く解説できる者は日本には存在しない。

文系でもう一つ問題なのは、大学院と大学の連携がうまく進んでいないという点だ。この連結がうまく進んでいれば、大学時代から、特定分野の研究を深化させることができる。理系の場合、大学院進学が当たり前となってきた現状を考えると、大学の授業料無償化は何も知らない政治家のポピュリズム的施策にすぎないようにみえる。

いずれにしても、「ただほど怖いものはない」のであって、無償化といった安易は政策を唱える政治家を私は心から軽蔑する。

 

 

 

 

 

 

 

(Visited 13 times, 1 visits today)

コメントを残す

サブコンテンツ

塩原 俊彦

(21世紀龍馬会代表)

このページの先頭へ