「ゴキブリ政治家」=「安倍派政治家」は去れ! :山谷えり子と高市早苗の違い

人々は、「右翼」とか「左翼」とかいった言葉のもつ意味を理解しているのだろうか。私は最近になって、本を書く都合で、自由主義(liberalism)や新自由主義(neo-liberalism)について考察してみた。この「リベラリズム」という言葉もよくわからない。

 

国家VS個人

まず、右翼は国家主義的な気がする。個人よりも国家を大切にすることを好むような印象をもつ。そうであれば、国家が個人の生命・財産を守るためにいろいろな活動や措置を講じるのは当然であり、その過程で個人の自由が侵害されても、それは大目にみるというのが基本姿勢だろう。

だが、左翼にも国家主義的な部分がある。一国社会主義を前提にすると、国家の運営は国家が主導することになり、まさに国家重視という点では、右翼とあまり変わらない。

私自身は、国家が嫌いだから、まったく国家主義的ではない。その意味で、私は右翼でも左翼でもない。

 

保守VS進歩

右翼は保守主義的であるといわれている。保守主義は、よりよい将来に向けて改善するとか、よりよい理想をめざして現実を改善するといった進歩主義的な見方をとらない。現実や過去を見定めながら、それらの問題点の解決に努めることを重視する。おそらく、左翼は社会主義とか共産主義といった理想をめざしているのだから、進歩主義的なのだろう。上からデザインするという計画経済は、そうした発想自体が誤っており、唾棄すべき思想であると私は考えている(拙著『ロシア革命100年の教訓』を参照)。

ゆえに、私は保守主義者であり、現実主義者でありたいと常々考えている。ただし、そういう自分を右翼であるとは思わない。もちろん、左翼であるはずがない。何しろ進歩主義など「糞くらえ」と思っているのだから。

 

安倍派って何?

こうしてみると、右派政治家が結集していたといわれる安倍派(清和政策研究会)議員というのは、いったいどんな主義主張をもっていたのか、よくわからない。

国家主義的な人や、保守主義的な人が多かったに違いないだろうが、それだけなのだろうか。

純粋な国粋主義者は、日本という国を大切にして、日本の天皇やその権威、伝統を尊重し、排外主義的な立場に立つような人々であるように思われる。私が不可思議に思うのは、そんな信条がある人がなぜ政治資金規正法に違反したり、政治倫理さえ守ろうとしてこなかったのかという点だ。

こうした行為は、検察当局によって刑法上の罪を問われるまでには至らなかったかもしれないが、「りっぱな政治倫理違反」であり、その責任は重い。まさに、彼らの行為は、国家への裏切りであり、国民への裏切りであり、議員本人は裏金をつくって国民の税金を盗んできたのと同じだ。とても、国粋主義者の行為とは思えない。

しかも、安倍派議員のなかで、自らの責任を認めて、議員辞職するとか、次期選挙には不出馬とするとか、といった声をあげた者を知らない。まさに、「悪」そのものであり、跋扈する「ゴキブリ政治家」そのものだ。見ただけ寒気がする「ゴキブリ」そのもののように思えてくる。

こんな連中が国家主義的な言動を吐いてきたことに不信感をいだかざるをえない。しかも、真に国家主義的であるならば、自分の行動の誤りを糺すために潔く議員を辞するのは当然ではないか。

 

山谷えり子の醜悪さ

どうにもやりきれない。本当の右翼はもっと潔いのではないか。「ゴキブリ政治家」でありながら、口先で謝って終わりというのでは、その人はそもそも天下国家を論じる資格がない。人間としての倫理観に欠ける人物が国民の代理人たりえるはずがないのだ。

山谷えり子という参議院議員がいる。安倍派だ。この人はたぶん自他ともに認める右翼だろう。そういう人物のHPで、「平成30年分から令和4年分の5年間における収支報告書への未記載金額は、2,403万円でございました」という記述がアップロードされた。「これまでの処理方法については、清和会事務局からの説明通りに事務所で処理していたと報告がありましたが、本来は清和政策研究会からの寄附として収支報告書に記載すべきものであったとのことであり、深く反省しております」と能天気なことを書いている。

裏金づくりの顚末をはっきりと明示し、猛省する姿勢はまったく感じられない。こんな「ゴキブリ政治家」が右翼をやっているようでは、真摯な右翼は必ずや激怒するだろう。「国家および国民をみくびるのもいい加減にしろ」と怒らないほうがおかしい。

 

高市早苗の場合

私は、自分の研究の集大成である『知られざる地政学』〈上下巻〉を高市早苗大臣に謹呈し、丁寧な令状をもらったことがある。昨年秋のことだ。

彼女は、「政治信条が安倍氏に近い保守派の政策通で、自民党に入党後は清和会に属していた。だが、2011年に当時の町村派(町村信孝会長、現安倍派)を退会し、以降は派閥に属さない姿勢を貫いている」と、小倉健一が書いている。さらに、「退会の理由については、同じ清和会の仲間だった山本一太・現群馬県知事が12年1月22日のブログで「理由は極めて明快。『派閥内で、次の総裁選挙に町村会長を擁立しようという流れがある。町村氏を応援するつもりはないので、迷惑をかけないうちに辞めた』ということだ。いかにも、高市さんらしい!」と明かしている」という。

前述したように、私は保守主義的、現実主義的でありたいと考えているから、高市の立場と遠く隔たっているわけではない。私が彼女に拙著を送った最大の理由は、安全保障政策や科学技術政策を彼女が担当しているからだ。私の集大成は、アメリカの科学技術政策をリアリズムの立場から詳細に分析したものだから、彼女が熟読すれば、必ず少しは役に立つと思ったからだ。

 

国家がなければ国民を守れない

私は日本国のアホな官僚が大嫌いだが、国家の重要性くらいは知っている。国家が戦争に巻き込まれれば、国民の自由も生命も財産も危機にさらされる。その意味で、保守主義者は、いまのアメリカ政府の外交や覇権主義に対して、もっと距離をとる必要がある。そうしなければ、戦争大好きなバイデン政権のために日本が戦渦にみまわれる可能性がますます高くなる(そう考えなければ、ウクライナ戦争を継続したがっているバイデンの政策を説明できない)。そうした「現実」について、高市くらいには理解してほしいと思っている。だから、集大成たる書物を謹呈したのである。

こんな私からみると、いま問題になっている安倍派の「ゴキブリ政治家」は全員、そもそも議員たりうる資格がないと思う。自民党が「ゴキブリ政党」でないというのであれば、こうした連中は党から除名すべきなのは当然だろう。もしこうした「ゴキブリ政治家」が立候補するようなことがあれば、全国的な落選運動が必要になる。まさに、「ストップ、ゴキブリ野郎!」である。

その際、右翼思想の持ち主は、二度とだまされないように、よく注意を払ってほしい。私は、「ゴキブリ政治家」=「右翼政治家」とは思いたくない。むしろ、「憂国」という純粋な気持ちを弄んできた「ゴキブリ政治家」=「安倍派議員」を心から唾棄してほしいのだ。そして、本物の「憂国」という気持ちをもって、いまの日本の危機的状況について考えてほしい。

「憂国の士」に求めるのは、拙著『知られざる地政学』〈上下巻〉を手始めにして、『プーチン3.0』、『ウクライナ3.0』、『復讐としてのウクライナ戦争』、『ウクライナ戦争をどうみるか』を読破し、いま日本が置かれている「現実」を、自分の目で冷静に分析することだ。そうした努力をしなければ、再び安倍派の「ゴキブリ政治家」のような人物にだまされてしまうだろう。同時に、皮相な見方を提示するだけの「ゴキブリマスコミ」にもだまされないようになってほしい。

 

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塩原 俊彦

(21世紀龍馬会代表)

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