指導教官がひどすぎる日本の大学教育:ひどい論文二つを読んだ感想
本日、『比較経済研究』が送られてきたので、最初の二つの論文を5分ほど見た。そのひどさに唖然とした。書いた本人の無能ばかりでなく、指導教官がひどすぎるのではないかと思った。明日、『知られざる地政学』下巻の初校が届くまで時間があるので、簡単に批判してみよう。
「中国企業のコーポレート・ガバナンス:国有企業改革を巡る政治経済学的検討」について
- 国有企業の定義およびその変遷がないので、学術論文の体をなしていない。
- 企業への中国共産党員による監視という大問題が論じられていない。これは、国有企業であろうと、民間企業であろうと同じであり、きわめて重大な問題であるにもかかわらず、この問題が論じられていないのは、まったく理解しがたい。はっきりいえば、中国共産党支配下にある企業経営問題のもっとも基本的な視角さえもち合わせていないという意味で、最低最悪な論文といえるだろう。
- もう論評に値しないのだが、「中国における国有企業研究の大家である……」という書き方はおかしい。どうせ「大家」でも何でもない、単なる国家の寄生虫だろう。論文においては、こんな書き方は決してしてはならない。
「中国共産党の中国に対する「領導」はどのように実現されたか:中国の統治構造の実態と課題」
- ソ連共産党の支配との比較という視点がないために、中国共産党の統治をくっきりと浮かび上がらせることに成功していない。きわめて平板な考察に終始し、得るところがない。
- 問題は、ロシアの「チェーカー」支配に代わる監視体制が中国共産党でどの程度の役割を果たしてきたかにかかっている。たとえば、中国軍を監視するために、諜報体制はどうなっていたかについては十分に考察するひつようがある。さらに、国有企業における監視体制はどうなっていたのか。こうした監視こそ、中国共産党の統治を支える重要な要因の一つではなかったのか。こうした問題を真正面から論じていないため、この論文はまったく読むに値しない。
というわけで、この二つの論文を収載している『比較経済研究』自体の程度の低さにあきれ返っている。研究者のレベルも予想以上に劣悪になっているようだ。まったく絶望的な状況にある。そもそも、教官の学術的レベルが低すぎる。ゆえに、論文を評価することさえできない。
こんな批判を書いても意味があるとは思えないが、まあ、時間があったので書いておく。多少は参考になるかもしれない。
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