軍事大国化するポーランドの「悪」を解説する:ウクライナ戦争の悲観的シナリオ

ウクライナ戦争を引き起こしたウラジーミル・プーチン大統領は「極悪人」かもしれない。だからといって、ウォロディミル・ゼレンスキー大統領が「善人」ということにはならない。そもそも善悪を見極める規準なるものは決して普遍性を伴っているわけではない。2023年4月に家伝社から刊行される拙著『ウクライナ戦争をどうみるか』のなかでは、つぎのように書いておいた。

 

複数の悪に気づけ

 みなさんに知ってほしいのは、複数の悪があるという問題だ。私は拙著『復讐としてのウクライナ戦争』の第1章の注において、笠井潔著『煉獄の時』を紹介し、そのなかの記述、すなわち、「二つの悪のどちらかを選ばなければならない場合には、より小さな悪を選ぶしかない」が「私の心をいまでも離さない」と書いておいた。

 プーチンの悪はあまりにも明らかだ。それに対して、侵攻を受けたウクライナや米国が善ということには決してならないことにくれぐれも注意してほしい。大切なことは、複数の悪の存在に気づき、複数の悪に対してどう対処するかを真摯に問うことである。複数の悪に序列をつけ、極悪人であるプーチンを非難するのは当然だが、だからといって、ほかの悪を善とみなしてはならないのだ。より小さな悪にも目を瞑らないようにしなければ、結局、悪ははびこりつづけるだろう。」

 

こうした認識にたって、今回は軍事大国化するポーランド政府の「悪」について論じたい。ウクライナ戦争が泥沼化するという悲観的なシナリオを想定すると、ポーランド果たす攪乱要因が戦争そのものを広げ、第三次世界大戦を引き起こす呼び水になりかねないと懸念されるからである。

 

くすぶる恨み・復讐心

私がはじめてワルシャワを訪問したのは1981年の春である。大学の卒業旅行として、一人で世界一周をした。ポーランドでは、アウシュヴィッツ収容所を訪れたり、グダンスクの造船所にも行ったりした。現地の人とは英語で話し、決してロシア語は口にしなかった。まだまだソ連に対する憎悪や怨念のような感情がポーランド人たちに息づいているように感じたものだ。

ポーランドはいま、ウクライナ戦争によって活況を呈している。朝鮮戦争の際、日本企業が潤ったように、ポーランドはウクライナ戦争によって潤っているようにみえる。もちろん、ウクライナからの避難民の受け入れに伴う負担は増えているが、北大西洋条約機構(NATO)に属する米国をはじめとする国々からの支援で「ビジネスチャンス」も多い。

 

難民受け入れとポーランド

2023年3月6日、「もしかしたら、彼らはもう戻ってこないかもしれない   2022年、100万人以上のウクライナ人がポーランドにやってきた。それが国、ポーランド人自身、そしてたまたま客となった人々をどう変えたか。メドゥーザのレポート」が公開された。この長文のレポートは、ウクライナからポーランドへ避難してきた人々の現状を理解するのに役立つ。

まず、「ロシアの侵攻以前に130万人のウクライナ人がポーランドに住んでいた」というワルシャワ大学のマチェイ・ドゥシュチク教授の指摘は重要である。2021年には210万人の外国人が滞在しており、総人口(約3780万人)のおよそ5パーセントに相当する。ウクライナ人以外の外国人のうち、ポーランド政府はシリアやアフリカなどからの難民に対しては警戒感を隠してこなかった。これに対して、ウクライナ難民については、ポーランド政府は少なくとも当初は手厚く保護する姿勢をみせた。ゆえに、約160万人というもっとも多くの難民を受け入れたとされる。

だが、2023年3月1日以降、難民のポーランド滞在に関するルールが一部変更されたことを知る人は少ないだろう。たとえば、難民受け入れセンターを含む「集団宿泊施設」での宿泊費をウクライナ人が負担しなければならなくなった。難民は最初の120日間は無料で滞在する権利があるが、その後はほとんどの人が宿泊費の50%を支払う必要がある(ただし1日あたり40ズロチ[約9ドル]以下)。同年5月以降は、180日以上の滞在の場合、最大で75%(1日あたり60ズロチまで)を支払わなければならない。

少しずつ、ポーランド人のウクライナ難民への待遇も変わっている。悲惨なのは、「ポーランドにおけるジェンダーに基づく暴力のリスクは、ウクライナ難民の女性にとってとくに高い」という指摘である。彼女たちへのレイプ被害だけでなく、ポーランドにおける中絶の難しさという問題もある。ウクライナでは中絶が合法だが、ポーランドでは欧州でもっとも厳しい中絶禁止法のひとつが適用されている。2017年以降、緊急避妊ピルは処方箋がなければ入手できない。2021年以降、合法的な中絶が可能になるのは、母体の生命が危険にさらされている場合と、犯罪(レイプ、近親相姦、小児性愛)に起因する妊娠の場合の二つのケースに限定されている。しかし、そのような状況であっても、女性は拒否されることがあるという。

こうしてみると、ポーランド国内には、ウクライナ難民をめぐって多くの問題が沸々と沸き起こりつつあるように思える。

 

軍事大国化するポーランド

他方でいま、ポーランドの地政学上の価値はいま上昇している。第一に、ウクライナへの武器供給の拠点として、ウクライナの隣国ポーランドの地理的価値は大きい。本当は、ポーランドの軍人がウクライナに紛れ込んで、兵站、修理施設、偵察、監視サービスを提供するにも好都合だといえるだろう。

第二に、ウクライナ戦争の今後のシナリオのなかでも、ポーランドの価値は高まっている。もしウクライナが総崩れとなった場合には、対ロシアや対ベラルーシの最前線としてポーランドの役割は大きくなるに違いない。今後、沿ドニエストル共和国やモルドバが戦火にまみえた場合、ポーランドの価値はますます高まるだろう。

こうした状況変化のなかで、ポーランドは露骨な軍事化を進めている。与党「法と正義」(PiS)のヤロスワフ・カチンスキ党首による軍改革により、軍事化路線が鮮明になっているのだ。2022年3月18日、アンジェイ・ドゥダ大統領は祖国防衛法に署名し、発効させた。法律には、軍隊の規模を30万人に倍増する計画が明記されている。これはドイツの現在の軍隊のほぼ2倍の規模である。さらに、同年12月、政府は軍規則案のなかで、2023年に最大20万人が演習に招集されると定められている。

すでに、ポーランドは2021年に国内総生産(GDP)の2%強を国防費に費やした。ロシアがウクライナに侵攻した後、この支出を3%に引き上げている。2023年には、GDPの4%が軍事費に充てられる。ウクライナ戦争勃発後、ポーランド当局は戦車、自走榴弾砲、携帯式ミサイル防空システム(MANPADS)、ドローン、弾薬、航空機部品、その他の軍事装備をウクライナに納入する見返りに米国政府から多額の軍事支援を得ている。

2022年、マテウシュ・モラヴィエツキ首相は、装備品購入に145億ドル(防衛費総額200億ドルのうち)を費やすと公約した。ポーランド政府は同年、韓国製のロケットランチャーを発注し、米国からミサイル防衛用パトリオット砲を購入した。2023年1月には、ウクライナに240輌以上のソヴィエト時代の戦車を引き渡したことで枯渇した在庫を補充するため、アメリカ製のエイブラムス戦車116輌を14億ドルで購入する契約を結んだ。同年二月、ポーランド政府は独自開発の装甲戦闘車「ボルスク」1400輌の調達を決めたと発表した。こうして、ポーランドは軍事大国化を進めている。

ポーランドがNATOの対ロ軍事拠点の中心となろうとしている点も重要だ。ロシアのウクライナ侵攻後、ポーランドに駐留する米軍とNATO軍兵士の数は開戦時の約4500人から約1万1600人に増え、ポーランド軍のほぼ1割を占めるに至っている。2022年6月27日、NATOのイェンス・ストルテンベルグ事務総長が言い出した30万人の即応部隊を創設するという計画においても、ロシアに近いポーランドが中心的役割を担うことになる。

 

「ロシアいじめ」で存在感を示す

ポーランドは「ロシアいじめ」に余念がない。最近でいえば、2023年2月、欧州連合(EU)が第10次対ロ制裁パッケージを決定した際、ロシアのゴム、カーボンブラック、アスファルト、ビチューメン(炭化水素類またはそれらの非金属誘導体などの混合物の総称)の輸入禁止を盛り込むことに成功した。EUは、ロシアのアスファルトとビチューメン、そして2024年半ばからは合成ゴムとカーボンブラックの輸入を禁止することにしたのである。

合成ゴムは、欧州の自動車産業が大きく依存しているため、この禁輸制裁に反対する声もあった。それでも、ポーランド政府の強硬な要求により制裁対象に含まれることになったのだ。妥協案として、2024年6月末まで56万3000トンの一時的な輸入割当を導入することになった。カーボンブラック(重油残渣から製造され、タイヤおよび冶金産業で使用される)についても、75万2500トンの同様の輸入割当が承認され、全面禁止は2024年7月以降とされた。

ロシアからの合成ゴムの輸入禁止は、ヨーロッパのタイヤメーカーのコストを上げ、米国、日本、中国からの製品との競争力を低下させる可能性がある。それにもかかわらず、EUが合成ゴムを制裁対象としたのは、そうしないと第10次制裁パッケージに賛成しないとポーランド政府がゴリ押ししたからだ。こうして、ポーランドは「ロシア憎し」で凝り固まっている。

 

歴史的因縁

よく知られているように、ポーランドの対ロ強硬姿勢の裏には過去の因縁がある。リトアニア・ポーランド王国として知られるようになるヤギェウォ王朝は1386年に成立後、ポーランドでは1572年にヤギェウォ朝の王位継承者が途絶えて断絶するが、その後、17世紀半ば、ウクライナ(コサック)問題で躓き、ロシア皇帝との戦略的な争いに敗れた。18世紀になると、ピョートル大帝率いるロシアがヨーロッパの大国となっただけでなく、公式に帝国と宣言され、ピョートル1世とスウェーデンのチャールズ12世との大戦時にはロシアが大規模に介入し、ロシア軍が常駐し、リトアニア・ポーランドはロシアの保護領に変質してしまった。

こうした歴史から、ポーランドにはロシアを脅威とみる伝統が深く根づいている。そのうえで、東バルカン(旧ポーランド領、現在はウクライナ、ベラルーシ、リトアニアの一部)へのノスタルジアを拡張主義に転換すべきかどうかが時折、問題になってきた。これは、この「ヤギェウォ」王朝の名前を冠した「ヤギェウォ思想」として、ロシアの専制主義に対抗して再び団結するための新しい政治秩序として、ポーランドを中心にバルト諸国あるいは少なくともリトアニア、ウクライナ、ベラルーシを統合する新しい政治ビジョンを提供するようになる。

建国の父、ユゼフ・ピウスツキは1918年11月にポーランドが独立した際、国家主席兼総司令官に就任し、18世紀末のポーランド分割以前のポーランドの領土の復活をめざした。 ソヴィエト=ロシア支配下にあったベラルーシ、西ウクライナに侵攻し、一時はキーウを占領したが、態勢を整えた赤軍に反撃され、今度は逆に首都ワルシャワが陥落寸前に至る。だが、1920年8月、ワルシャワ近郊のヴィスワの戦闘でピウスツキは自ら軍の先頭に立って指揮し、ソヴィエト軍を撃退することに成功する。1923年3月、ソヴィエトとの間でリガ条約を締結、ベラルーシとウクライナ西部を獲得し、目的であったポーランド分割前の国土回復を成し遂げた。つまり、ピウスツキは「ヤギェウォ思想」の体現者のような存在であった。

いまのポーランドにおいて、こうした「ヤギェウォ思想」が支配的になっているわけではない。国境の現状変更が難しい以上、過去の栄光への回帰がリアリティをもって叫ばれているとは思えない。ただし、今後、ベラルーシのウクライナ戦争への参戦、トランスニストリア(ドニエストル川をはさんでウクライナとモルドバとの国境地帯)をめぐる紛争の再燃といった事態になれば、ポーランドの「領土拡大」という野望が具体化する可能性が生まれてくる。そうした事態を見据えているからこそ、軍事大国化が急がれているのではないかとの疑いがある。

いずれにしても、2023年秋に予定されている下院(Sejm)の選挙が今後のポーランドの行方を左右する重要な結果をもたらすだろう。

 

 

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塩原 俊彦

(21世紀龍馬会代表)

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