マスメディアのバカさ加減:なぜより中立性を徹底できないのか ―ウクライナ情勢で

緊迫するウクライナ情勢に対する分析のために、忙しい日々がつづいている。「論座」に書かなければならないことがたくさんありすぎて、このサイトにアップロードする記事を書く時間さえない状況だった。ただ、ようやくウクライナ情勢の全体像がみえてきたので、やや落ち着いてこの問題を考えられるようになった(23日に公開したばかりの拙稿「ウクライナ情勢の全体像が見えてきた:今後の焦点はマリウポリ?」[https://webronza.asahi.com/politics/articles/2022022300001.html]を参照)。そこで、今回はウクライナ問題ではなく、マスメディアの中立的報道について考えをまとめてみよう。

 

中立性をめぐって

最初に、中立性について深く考えてみる必要がある。この問題について、はじめて教えてくれたのは大澤真幸である。拙著『ビジネス・エシックス』(講談社現代選書)の「おわりに」に書いたように、2002年2月、北大でのA “Maxian” Review of the Current Russian Economyという、わたしの英語での報告に、英語でコメントしてくれた大澤と喫茶店で話し込む機会があったときのことだった。

このとき、彼といろいろな話をした。そのなかに、中立性のように、めざすべき対象という概念でありながら、あたかもそれが存在するかのようにみなして、中立性への近接努力を最初からしないという問題があったと記憶している。

具体的に言えば、多くのマスメディアは「不偏不党」や「中立性」を自らの立ち位置としている点こそ問題だということだ。そうではなく、こうした理念はあくまでめざすべき対象であり、自らは決して中立たりえていないということを自覚するところから出発すべきということになる。つまり、「不偏不党」や「中立性」はめざすべきものであって、自らの立ち位置として、すでに達成しているとみなしてはならないのだ。

そうすれば、マスメディアの報道は日々、中立性をめざして努力すべき目標となる。徹底した中立性をめざさなければ、本当の意味での中立性には決して近づけないのである。

 

NHKのひどさ

たとえば、NHKのサイトにある「よくある質問集」のなかに、「「公平・公正」、「不偏不党」とは具体的にはどういうことか」という項目(https://www.nhk.or.jp/faq-corner/4housoubangumi/01/04-01-09.html)がある。そのなかで、放送法第一条2の「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」という規定と、第四条の「公安及び善良な風俗を害しないこと」、「政治的に公平であること」、「報道は事実をまげないですること」、「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」という規定が紹介されている。

こうした放送法の規定を受けて、NHKは、「国内番組基準」の記述を次のようにしていいるのだという。すなわち、
「日本放送協会は、全国民の基盤に立つ公共放送の機関として、何人からも干渉されず、不偏不党の立場を守って、放送による言論と表現の自由を確保し、豊かで、よい放送を行うことによって、公共の福祉の増進と文化の向上に最善を尽くさねばならない。」
これでは、すでに不偏不党の立場を守ってよい放送を行っていることが前提とされているように読める。

そうではなくて、不偏不党は日夜めざすべき理念であり、そうなっていないNHK自らの常に点検し、向上させるように努力することが大切なのだ。

 

アメリカべったりの報道

ところが、NHKは米国政府べったりの報道をすることがイコール不偏不党であるかのような報道をつづけている。ジョー・バイデンという耄碌ジジイの嘘、すなわち、ロシアによるウクライナ侵攻計画があり、ロシアがウクライナの北、東、南から全面侵攻しかねないというディスインフォメーション(意図的で不正確な情報)を流しているにもかかわらず、それがまるで「真実」であるかのような報道をずっとつづけている。

NHK受信料支払いの反対運動を起こしたくなるほど許せないのは、2014年のウクライナ危機に対する報道における偏向ぶりである。ロシアがクリミア併合した事実だけを取り上げて、その原因となったヴィクトリア・ヌーランド国務省次官補(当時)によるウクライナのナショナリストへの煽動や彼らへの武装訓練、そして彼らによる事実上のクーデターについてはまったく言及しない。民主的選挙で選ばれていたヴィクトル・ヤヌコヴィッチ大統領が武力で追い落とされたにもかかわらず、口をつぐんでいる。つまり、米国政府による事実上のクーデターであれば、それを正当化して黙っているといるというのが不偏不党の意味なのか。

こんなNHKはいらない。「カネ返せ」である。当時のBBCの放送(https://www.youtube.com/watch?v=5SBo0akeDMY)と比べて、NHKはあまりにもお粗末であり、こんな奴らにカネを払う理由は見いだせない。

アメリカの汚さ

拙稿「「ロシアのウクライナ侵攻」はディスインフォメーション」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2022012400001.html)に書いたように、米国の政権は過去に何度も嘘八百をでっち上げて戦争に利用してきた。今回、ジョー・バイデン大統領は明らかにロシアの全面的なウクライナ侵攻計画をでっち上げることで、国内政治から外交に目を転じるように仕向けて、自らのアフガニスタンからの軍の完全撤退という大失敗を忘れさせようとしているように見える。

そもそも政治家は信用してはならないと考えているわたしからみると、バイデンはもっとも信用できない政治家の一人だ。それは、2014年のウクライナ危機当時、副大統領として彼および彼の息子がウクライナでとった行動に裏づけられている(詳しくは拙著『ウクライナ・ゲート』や『ウクライナ2.0』)。

 

学者の不誠実

学者の不誠実についても書いておこう。マスメディアがまったく中立的でないと同じく、学者も中立性をめざして努力しようとする者がきわめて少ない。マスメディアと同じく、一知半解な情報を平然と人口に膾炙させようとしている。

たとえば中村逸郎、東野篤子、廣瀬陽子といった人々は話にならない。わたしからみると、学問をする誠実さに欠けた人物としか言いようがない。

どうか、こうしたディレッタントは無視して、わたしのような類の人の見方を大切にしてほしい。この類の人物は、自分が中立でないこと、自分の分析が至らないことを常に意識しながら、それでも何とかしようと徹底してもがき努力をおしまないようにしている人物を意味している。

わたしは、「論座」に書くことで、自らの分析を後世に残すようにしている。自分の間違いについては、将来、多くの人々が検証してほしい。テレビやラジオでいい加減な話をすることにまったく魅力を感じない。大切なことは、現実に肉薄する努力であり、より中立的な思考であり、より深く内実に迫ることであると思う。

今後も、努力を継続してゆきたい。

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塩原 俊彦

(21世紀龍馬会代表)

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