やっとアポリアが解けた:ウクライナの出来事の解読

わたしは、近年、ナラティブ(物語)の重要性にようやく気づいた。そのため、できるだけものごとをナラティブ全体として理解するように努めている。いわゆるナラトロジー(物語学)では、物語の内容(ストーリー)だけでなく、その物語の語られる方法(手記か、手紙か、第三者かなど)や、内容と語り部との相互作用などから、コンテキスト全体を一体的に理解しようと心がけるようにしているのだ。

この手法と同じように、今回のウクライナにかかわる出来事をナラティブとして説明するにはどういう視角からの分析が適しているのかをずっと考えてきた。その答えはそう簡単には見つからなかったが、「論座」における五つの考察が手掛かりとなって、ようやくこのアポリアに対する解答を導き出すことができた。

その視角に基づいて月刊誌『潮』向けに「緊迫のウクライナ情勢」(仮題)という拙稿を本日、書き上げた。これを読んでもらえれば、今回のウクライナでの出来事を整合的に理解することができるだろう。

ここでは、どのようにしてわたしがアポリア解読に成功したかを振り返りたい。若者に思考を深めるという意味を、わたしの実践経験を通じて理解してほしいからだ。

 

エクリチュールの重要性

まず、エクリチュールの重要性を確認するところからはじめたい。人類の歴史をみれば、書くというエクリチュールによって、人間は記憶能力を低下させたが、論理的思考能力を向上させることができた。智慧を書物にして蓄積することも可能となり、さまざまな智慧の総体を使って、深く考えをめぐらせることができるようになったわけである。

この人類史を個人の人生になぞらえてみれば、思考を深めたり、洞察力を高めたりするために、いろいろな論点を書き出して包括的な視点にたってながめてみる努力が大切であることに気づくだろう。声に出すのではなく、内省することが大切なのであり、内省しつつ書くのである。

テレビでバカな専門家がくだらぬ話をしているのをみても、決して思考力は改善しない。むしろ、同じバカという「病」が伝染してしまうのではなかろうか。むしろ、感情に訴えるために、激情型の単細胞な反応につながりやすくなるのではないか。

動画で解説したり、ビデオで授業をしたりすることも、脳の活性化にはほとんどつながっていない。思考は見て働くのではなく、書いてこそ深まるのである。

 

第一論考

ウクライナ情勢をめぐって、わたしが「論座」に最初に書いた第一論考「「ロシアのウクライナ侵攻」はディスインフォメーション:真相を掘り起こす」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2022012400001.html)は、2022年1月24日に公開したものだ。「ワシントン・ポスト」が2021年12月3日付の記事「ロシア、ウクライナに対して17万5000人の部隊がかかわる大規模な軍事攻撃を計画、米情報機関が警告」なる記事が出てからずいぶんと時間が経過してから書いたものだ。この記事自体については、2021年12月24日付で公開した拙稿「米ロ首脳会談をどう解釈すべきか:ウクライナをロシアにとっての「台湾」とみなすと見えてくる真の構図」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2021121700003.html)のなかで紹介している。

この間、わたしが何を考えていたかというと、「ワシントン・ポスト」が明白なディスインフォメーションを流したのはなぜなのかということであった。この点を探るため、丹念にWPの大元の情報源を調べあげようと努力をしていたことになる。

記事自体は記事が公開された直後に読んだ。そのときにすぐに直感したのは、国務省次官に就任したヴィクトリア・ヌーランドの仕業であるということだ。何度も書いてきたとおり、彼女はいわゆる「ネオコン」の残党であり、夫ロバート・ケーガンのつてを使って、ユダヤ人人脈に乗っかって「ワシントン・ポスト」にディスインフォメーションを流させた。この点は、2013年から2014年にかけての「ウクライナ危機」のことを記憶していれば、すぐに思いつくことだろう。なにしろ、彼女は国務省次官補として、ウクライナのナショナリストを煽動してヴィクトル・ヤヌコヴィッチ大統領(当時)を武力で追い落とした首謀者だからだ(拙著『ウクライナ・ゲート』や『ウクライナ2.0』を参照)。

ここでのべたことは、第一論考である程度、明確にすることができた。だが、同時に、強く疑問に思ったのは、ヌーランドのねらいである。なぜ事情を知った専門家からみて、すぐにわかるようなでっち上げまでして、世界中の耳目を引くようなまねを彼女はしたのか。こんな思いをもちつつ、プーチンがウクライナ国境に兵員を終結させている事実についても気にかかった。調べてみると、ロシアもNATOも頻繁に軍事演習を繰り返しており、それ自体は過去に問題化したことはあまりなかった。

 

第二論考と第三論考

前記の二つの論点について考察するなかで、第二論考として書いたのが「「ロシアのウクライナ侵攻」という騒ぎを読み解く:米ロ「どっちもどっち」という視点が重要」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2022012900002.html)である。1月31日に公開した。

欧米のマスメディアが「ロシア悪し」の観点から、出鱈目な記事を書いているのを牽制する意味を込めて、もっと中立的にみる視点の重要性を説きたかったのだ。

実は、1月25日に『潮』の編集者から原稿依頼があったため、先の二つの論点に沿った考察をずっとつづけていた。

その結果、戦争をしたがっているヌーランドの思惑を明らかにするために、2月2日付で「ウクライナで「ドローン戦争」か?:陸上戦に自信をもつウクライナ・米国」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2022013100002.html)を公開した。軍事的にみたら、結構、ウクライナに勝機があるからこそ、ヌーランドがプーチンを挑発している実情を知ってほしかったのである。日本の軍事評論家と称せられる者のおおくは似非であると思っているから、地政学を学ぶ者として軍事にも詳しいところを見せたかったという矜持も働いていたのかもしれない。

 

第四論考

だが、どうしても納得できなかったのは、ヌーランドの挑発に対して、プーチンがNATOの東方拡大停止の法的保証を求めて動き出したことだった。割とすんなりと、米国政府の大騒ぎに対応するかたちで迅速に米国およびNATOに対して条約案と協定案を渡して検討を求めた理由が理解しがたかったのである。

そこで、第四論考「プーチンのねらいを考える:NATOの東方拡大阻止の意味」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2022020700004.html)を2月8日に公表した。この記事をまとめている過程で、ようやくプーチンのねらいが腑に落ちるところまで至ったことになる。つまり、この段階で、『潮』用の原稿のメドがたったことになる。まあ、率直に言うと、それまでに書いていた原稿を全面的に書き直して、ナラティブとして一貫して整合的に説明できる内容に改訂したわけである。

 

第五論考

近く「論座」において、第五論考「緊迫するウクライナ情勢:対ロ制裁の行方とリスク」が掲載される予定だ。これは、1月26日の衆議院予算委員会において、岸田文雄首相に厳しい対ロ制裁を迫る江田憲司代議士をみて、無定見な政治家を批判しておきたいと思ったからである。これでは、2014年の通常国会での審議の構図と瓜二つになってしまうからだ。欧米と同じく厳しい対ロ制裁を求める野党政治家は、ウクライナで実際に起きたことに対する理解がまったく不足していたのである。まったく不勉強でありながら、米国政府の言い分にしたがっていれば、それで安心だという立場から、当時の安倍晋三首相の欧米よりも一歩退いたかたちの日本の対ロ制裁を批判していたのである。

このときの安倍の対応はりっぱであった。このサイトにおいても、いつもはDishonest Abeとして批判の対象である安倍だが、彼はヌーランドによって引き起こされたウクライナでのクーデターという事実に通じていた。だからこそ、表面的には北方領土交渉を口実にしながら、あえて欧米の対ロ制裁に乗っからなかったのである。

 

以上、のべてきたように、さまざまな論点から、ウクライナ情勢を分析することで、はじめてナラティブとしてウクライナの出来事を語る道筋が見えてきた。まさに、エクリチュールを実践するなかで、思考が深まり解に近づくことができたと実感している。

いま感じているのは、いわゆる「ミンスク合意」について、解説する必要性である。やがて、必ずこの合意が問題化し、理解を促す局面が求められるようになると思うからだ。

 

最後に、日経の二人の編集委員は訂正さえしないで、わたしの指摘をネグっている。わたしの関心の一つである、ディスインフォメーション問題を論じる際、生涯をかけて、こいつらの不誠実について批判しつづけていこうと決意している。わたしは、こういう不誠実な輩を心底軽蔑する。それは、Dishonest Abeへの気持ちと同じだ。だが、ここで紹介したように、安倍にも良い面があったことは事実であり、評価すべき点は大いに評価することを心がけていきたい。

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塩原 俊彦

(21世紀龍馬会代表)

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