日本のマスメディアの不勉強を叱る:ディスインフォメーションをめぐって

2022年1月1日に「毎日新聞」は「ロシア政府系メディア、ヤフコメ改ざん転載か 専門家「工作の一環」」(https://mainichi.jp/articles/20211230/k00/00m/030/333000c)という記事を配信しました。しかし、残念ながら、この記事を書いたとされる、木許はるみ、加藤明子、八田浩輔の3人に対して、「君たちは不勉強である」と指摘したいと思います。ついでに、こんな原稿を通して記事にしたデスクと呼ばれる人物の無能さを批判しておきたい。どうして、こんなにバカばかりなのだろう。日本のメスメディアの行く末が心から案じられます。

 

「ディスインフォメーション」

まず、日本で「ディスインフォメーション」の重要性に気づき、2020年1月に刊行された『現代地政学事典』(丸善)において「ディスインフォメーション」について記述したのはわたしであると書いておきましょう。それも、当初、取り上げる項目になかったものを追加で取り上げるよう、わたしが提案し、盛り込まれたという経緯があります。

そうしたわたしからみると、この「毎日新聞」の記事はまったくの分析不足であり、問題の核心にまったく迫っていない。「もっとしっかり勉強しろよ」と言いたくなるわたしの気持ちもおわかりいただけるでしょう。

わたしが強く思うのは、勉強したり、分析したりする姿勢を学んでこなかった多くの人々による「バカの構造化」という危機についてです。バカがバカを生み出す構造化が生じている。こんな記事を掲載するバカがいるために、こんな記事でディスインフォメーションの核心に迫れなくなるという事態が生じてしまうのです。

 

勉強方法

ここで、ディスインフォメーションを例に、どのように勉強すべきかを紹介してみましょう。まず、自分がバカであることを自覚するところからはじめる必要があります。バカだから、学ぶのです。

安易な方法として、ウィキペディアで「ディスインフォメーション」の検索をしてみるのも悪いことではありません。このとき、どの検索エンジンを用いるかで、検索結果に違いがあることも知っておくべきでしょう。わたしは、基本的にDuckDuckGoを使いますが、ごく直近情報を知るために、google検索を使うこともあります。

2022年1月2日朝に試したところ、9番目に「論座」に公表したわたしの記事「「雇われたディスインフォメーション」規制で情報工作対策を」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2021081000004.html)にたどりつけます。2021年8月11日に公表されたものですが、これを読めば、拙稿「情報操作 ディスインフォメーションの脅威」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019101600014.html)のURLがはってありますから、すぐに2019年10月23日に公表された記事にもアクセス可能となります。

大切なことは、自分がバカであると自覚したうえで、必ず何人かの意見を比較考量してみることです。わたしの考察以外に、匿名ではなく実名でしっかりとしてディスインフォメーション考察をしている人がいるとは思えませんが、ともかく何人かについてそうした情報を比較してみてください。そのうえで、優れた考察をしている人がほかにどんなことを書いているかを調べてみることです。

なお、「ディスインフォメーション」については、日本語で読めるウィキペディアには、記述そのものがありません。「コトババンク」には、「デジタル大辞泉」の説明がありますが、だれが書いたのか不明なこの説明は信用できません。

ウィキペディアの場合、引用文献が書いてありますから、これよりも信用できますが、ウィキペディアに盛り込まれていない以上、残念ながらこれ以上は進めません。

 

本へのアクセス

ただし、前述したわたしの記事を読めば、塩原俊彦に注目し、わたしが2019年8月に『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社)を書いていることに気づくでしょう。本を買わなくても、「目次」をネットで見てみれば、「第2章 ロシア」の第3節で「ディスインフォメーションの伝播」というものがあることがわかるでしょう。さらに、第5節において「海外向けディスインフォメーション」が論じられていることにも気づくはずです。

つまり、まじめに「ディスインフォメーション」について考えるためには、どうやら塩原俊彦なる人物の著作を読まなければならないことに必ず行き着くはずなのです。逆に言えば、わたしにたどりつけなかった毎日新聞の記者たちは真摯に学ぶ方法を知らないのです。

さらに、わたしの本を読めば、この言葉が地政学上、きわめて重要になっていることを知るでしょう。『現代地政学事典』にまで手を出してみることもできると思います。

因みに、わたしは重要な言葉について考えるとき、必ず白川静著『字統』を調べます。「正」とか「民」とかいった言葉を調べた結果を、拙著『なぜ「官僚」は腐敗するのか』や『民意と政治の断絶はなぜ起きた』に書いておきました。あるいは、レイモンド・ウィリアムズ著『キーワード事典』も必ず調べます。英語の概念の変遷を知るためです。さらに、言語にこだわりをみせていたハンナ・アーレントの諸著作にもあたります。こうした安易にネット情報だけではない、実物から得られる情報も大切にしなければなりません。

大切なことは、誠実に真摯によく学ぼうとする姿勢です。それがなければ、ある問題に対して深く考察したり、分析したりすること自体ができないのです。

その結果、毎日新聞の記者らはディスインフォメーション問題の表面だけを論じた、実に皮相な記事を公表するに至りました。この問題の重要性からみると、この問題を取り上げること自体は有意義なことですが、その内容があまりにも皮相です。もっとしっかり勉強してほしいと心から思います。

 

宿題「クレプトクラート」あるいは「クレプトクラシー」

わたしが大切だと思っている言葉に、「クレプトクラート」とか「クレプトクラシー」といった言葉があります。前者をGoogle検索すると、第一番目に拙稿「「クレプトクラート=泥棒政治家」と安倍首相」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019120600007.html)が出てきます。4番目には、このサイトの「「クレプトクラート」を退治せよ」(https://www.21cryomakai.com/%E9%9B%91%E6%84%9F/609/)があります。

「クレプトクラシー」を検索してみると、4番目に前記の「「クレプトクラート=泥棒政治家」と安倍首相」が登場します。

これを手掛かりにすれば、たぶん「クレプトクラート」とか「クレプトクラシー」について、より深く考察することが可能となるでしょう。そして、たとえば拙著『官僚の世界史』を読む必要性に気づくはずです。

 

権威主義を打破せよ

「毎日新聞」1月2日付の記事に、「グローバル企業の監視諦めるな 林香里・東大大学院教授」(https://mainichi.jp/articles/20211229/k00/00m/040/155000c)というものがあります。これを読んで痛感するのは、ジャーナリストは安易な権威主義に走ってはならないということです。いくら東大教授であっても、バカはバカであり、つまらないことしか言えない輩に問うこと自体が無意味なのです。

残念ながら、この記事を読んでも、参考になる「気づき」はまったくありませんでした。むしろ、何も知らないとしか思えないような、話に唖然としました。あるいは、無価値と思える発言が書かれているにすぎません。

たとえば、最後に出てくる林の発言はつぎのように書かれています。

「「良い情報」にアクセスできる権利は、よりよく生きるための資源の一つです。情報に触れる市民の側もこの認識を共有し、ジャーナリズムを担うメディアを丁寧に扱う必要があると思います。」

こんな抽象的な話に何の意味があるのでしょうか。「良い情報」って何ですか。「メディアを丁寧に扱う」ってどういう意味ですか。こんな当たり障りのない言葉を書くことで、何かを語ったことになるのでしょうか。

はっきりと書いておきますが、東大教授にもバカがたくさんいる。婦女暴行で裁判になった社会学者もいる。大切なことは、こうした似非学者を峻別する力を一人ひとりのジャーナリストがもつべきなのです。

たとえば、わたしは1990年から1995年ころ、毎年300冊以上の日本語や英語、ロシア語の本を読んでいました。そのなかで、もっとも優れた本を書いていると思ったのは、大澤真幸でした。当時、彼は千葉大学の助教授でしたが、感動したわたしは彼を如水会館のレストランに招待し、話を聴いたことがあります。そのとき、わたしは朝日新聞の外報部員でしたから、大澤とは基本的に仕事上の関係はまったくありませんでした。それでも、大澤はわたしに会ってくれたし、楽しい時間を過ごすことができました。

そのときに、彼に尋ねたことがあります。「過去に新聞記者に会ったことがありますか」と。彼の答えは、「読売新聞の学芸部の記者に会っただけです」というものだった。このとき、強く感じたのは、朝日新聞学芸部員の不勉強でした。

しっかり勉強すれば、だれが優れているくらいわかるだろうというのがわたしの考えです。わたしに言わせれば、能力のない者ほど権威主義にすがる傾向があります。その典型が習近平やプーチンであると、わたしは思っているのです。能力がないから、権威というものでしか自分の矜持を保つことができないのです。

記者が不勉強だから、東大教授という権威にすがって、つまらない記事を書くのです。もっと自分でよく勉強し、だれが優れているかを見極めるだけの能力を身につけてほしいと思います。

ついでに言えば、わたしは1985年ころ、柄谷行人を1時間ほど取材したことがあります。当時、わたしは日本経済新聞の大阪証券部の記者をしていました。柄谷はすでに「大評論家」でしたが、わたしの取材を受けてくれました。このときの出会いがやがて2003年に上梓した岩波新書『ロシアの軍需産業』につながりました。さらに、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店)の刊行へと発展するのです。

 

本当に不勉強な者が多すぎます。にもかかわらず、そいつらが、自分がバカであることに気づかないまま、皮相な言説を垂れ流していることに絶望すら覚えます。どうか、自分の愚かさに気づき、こつこつと勉強するという習慣を身につけてほしいと思います。とくに、いまのような大変革期にあっては、こうした勉強方法における差が大きな違いを生み出すと思います。年のはじめに際して、心からそう思います。

 

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塩原 俊彦

(21世紀龍馬会代表)

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