伊集院静の指摘にガッテン

もう40年近く、毎週必ず読んでいる雑誌、『週刊文春』の8月12・19日夏の特大号に、興味深い記述を見つけた。それは、伊集院静の連載、「悩むが花」にあった、つぎの指摘である。

「今、これほど感染者が増えているのに、ワクチンさえ手に入らない国にしてしまった総理を選んだのは日本人全員のせいだから、一人娘のお嬢さんが不幸になるのは当然の成り行きです。先日、海外のメディアの取材に自慢気に返答している菅とかいうどうしようもない政治家の受け応えを読みましたが、この人は本当に国民のことを考える頭の中のスペースがないのだとつくづく思いました。」

どうだろうか。伊集院の言うとおりではないか。菅のようなマヌケが首相をやっている日本という国のあきれた状況に慨嘆せざるをえない。

 

菅も安倍もマヌケ

菅を後押しして首相に就けたのは、あのDishonest Abe、すなわち、安倍晋三である。それに、漢字の読めない麻生太郎と、強面政治家、二階俊博がのり、菅義偉を首相に就けたわけである。だが、この菅は安倍と同じく、マヌケであった。

2021年7月5日の「論座」に、拙稿「菅首相とバイデン大統領の差はここだ:「哲学、理念」をもたずに独我論に陥った人物への不安」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2021070100007.html)を掲載しておいた。

そのなかで、菅のマヌケさを批判しておいた。ゆえに、ここでは繰り返さない。

 

「政治家を信じてはならない」

残念なのは、こんな菅を批判できない自民党の議員である。ワクチン接種で出遅れ、職域接種と称して、恣意的に選んだ一部の企業(たとえば吉本興業)を優遇するような差別政策を平然ととり、結果として、医療崩壊を招いた張本人こそ菅にほかならない。

こんな輩をなぜ批判できないのか。本当に情けない。

わたしは、授業で、「政治家を見たら、泥棒と思え」と教えている。そう、「政治家=クレプトクラート」と言ってもいい。まあ、極論かもしれないが、ろくでもない奴が実に多い。

たとえば、仙谷由人という故人がいる。彼は、わたしにとってもっとも近しい政治家だと言える。何しろ、彼の自宅のあるマンションの別の部屋(エーザイ元専務武市匡豊の自宅)で、仙谷がまだ弁護士のころから何度も会ったことがある仲だ。

そんな彼も、「口から出まかせ」を言うことがよくあった。一度、武市(彼の息子が仙谷と同級生だった)から仙谷本人に注意してもらったことがあるほどだ。

こんな経験から、「政治家を信じてはならない」と肝に銘じている。仙谷のために、書いておくと、仙谷はたくさんのいる政治家のなかではまだましな部類だったが。

 

「マスメディアを信じてはならない」

ついでに、「マスメディアを信じてはならない」とも強調しておきたい。伊集院のような讒言をきっぱりと書ける者がいま、実に少ない。とくに、テレビに出てくるような者はみな、奥歯にものがはさまったようなもの言いしかできない。わたしからみれば、まったくとるに足らないマヌケと映る。ゆえに、ますますテレビをつけない今日この頃だ。

楽しみにしているのは、金子勝が登場する「大竹まことのゴールデンラジオ」くらいだろうか。

こんな状況がつづくと、ますます日本はまずくなるだけだろう。本当に心配になる。そんな懸念をいだきつつ、いまは「中国人の死生観と日本人の死生観」について考えている。そのうち、「論座」に書くかもしれない。

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塩原 俊彦

(21世紀龍馬会代表)

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