『30年後の世界』

しばらくさぼっていました。そこで、かたちばかり、新しい内容をアップロードしておきます。といっても、2018年に書いたまま、本にしていない拙稿の「はじめに」の部分を紹介することにします。縦書きで書いたものを横にしたものをそのまま掲載します。

いろいろと「論座」に書くことが多いために、こちらに書く回数が減っています。「論座」に何を書いているかを知りたい人はこちらのサイト(https://webronza.asahi.com/authors/2019092600002.html)にアクセスしてみてください。

最近は、「論座のメインライター」と呼ばれていると、朝日新聞時代の友人が教えてくれました。事実、書くべきことがたくさんあります。その結果、テレビ朝日、テレビ東京、静岡放送局といったところからも出演依頼がありました。まあ、高知にいないことが多いので、なかなかご要望にこたえられませんが。

いずれにしても、大学が始まるシーズンでもあり、若い人向けに書いたものをここに掲載したいと思います。

 

************************************************

 

はじめに

 

 **君よ。君たちは激動の時代を生きている。たぶん、目前の出来事としては、中国の不動産バブル崩壊に伴う世界的大不況が君たちの就職活動に悪影響をおよぼすだろう。加えて、日本の財政破綻が壊滅的な影響を君たちの将来にあたえるかもしれない。

 確実なことは、日本の将来人口が減少することだ。二〇一八年に国立社会保障・人口問題研究所が公表した「日本の地域別将来推計人口(二〇一八年三月推計)」によると、二〇四五年の全国の人口は一億六四二万一〇〇〇人で、二〇一五年の一億二七〇九万五〇〇〇人に比べて一六・三%も減少する。eCitizen.jpによると、前記の「日本の地域別将来推計人口」のデータを使用した二〇四五年の予想人口と二〇一五年の人口を比べて、四〇%以上も人口が減ると予想されているのは秋田県だ。もしこれが現実になれば、秋田銀行や北都銀行の二行が二〇四五年にもそろって存在するとはだれも思わないだろう。つぎに減少率が高いのは青森県の三七%の減少である。青森銀行やみちのく銀行の将来がきわめて心配になる。

 ぼくのいる高知県と山形県の人口減少率はともに三一・六%と予想されている。高知県の場合、四国銀行、高知銀行のほか、高知信金という有力な金融機関があるが、二〇四五年に一行でも存続しているとすれば幸運ではないだろうか。こんな予想がある以上、高知大学の学生に地元金融機関への就職を勧めるには勇気がいることになる。

 東京都を除いて、二〇四五年の人口は他のすべての道府県で減少する。多くは二割程度の減少だが、なかには、岩手県のように人口減少率が三〇・九%と三割を超えるところがまだある。こんな予測を知っていれば、地方銀行が生き残れないかもしれないと懸念するほうが自然だろう。それは、三井住友銀行、三菱UFJ銀行、みずほ銀行といった大手も安閑としていられないことを意味している。

 

 技術革新をめぐって

 **君よ。君たちはこの混迷の二一世紀をどう生きてゆけばいいのだろうか。少しだけ君たちよりの長く生きてきたぼくには、君たちに残しておきたい「遺言」のようなものがある。

こんなことを書くと大げさに思うかもしれないが、六十年以上も生きていた老人の本音を率直に語ることで、就職や転職を考えているような若者になにがしかのヒントになればいいと願っている。だからこそ、この本を書くことにしたのだ。

 いま、高知大学で教鞭をとっている身であるぼくは、二〇一七年四月に「二一世紀龍馬会」(http://www.21cryomakai.com)という任意団体を設立し、その代表を務めている。一九世紀後半を生きた坂本龍馬が二一世紀のいまに生きるとすれば、どんな展望をもつかを考えようとする組織だ。そこでの検討を踏まえて、本書では、二一世紀前半を生きる若者にその働き方についてある展望を示したいと思う。それは、働き方を問うことでもあるし、どんな未来が待ち受けているかを予測することでもある。

 

 会社の寿命、三十年

「セメント会社に入ったのは大失敗だった」。

 こんな話を日本セメントの取締役から聞いたことがある。もう三十年ほど前の話だ。当時、『会社の寿命:盛者必衰の理』という本がベストセラーとなり、「会社の寿命は、わずか三十年」という法則が話題になっていた。そこで、朝日新聞記者だったぼくは、担当だった日本セメントの取締役・経理部長と雑談を交わし、そのなかで、かれは安易にセメント会社に入ったことを後悔する弁をのべたのである。

 朝鮮戦争をきっかけとして、一九五〇年代前半に、砂糖、紙、セメントという三つの「白」による「三白景気」と呼ばれる好況期があった。このため当時は、製糖会社、製紙会社、セメント会社が就職先として大人気だったのだ。しかし、入社から四十年近くたった感慨として、かれはぼくに、日本セメントという東証一部の上場会社に入ったことを残念に思うと率直に語ったことになる。当時、すでにセメント会社は「斜陽産業」の一つであり、明るい未来が輝いているとは言えない状況にあったわけだ。

 この話からもう三十年程度が経過した。もはや日本セメントは存在しない。もともとこの会社は浅野総一郎が大蔵省土木寮建設局の摂綿篤(セメント)製造所の払い下げを受けるかたちで設立した浅野セメントを源とし、日本鋼管と並ぶ旧浅野財閥の中核企業だった。一九四七年に日本セメントと改称したが、一九九八年十月、秩父小野田と合併、いまでは太平洋セメントと呼ばれている。

 会社の中身は存続したかにみえる。だが、表看板は幾度も書き換えられて、事実上、日本セメントは消滅してしまった。この例と同じように、ぼくが一九八〇年十月に内定をもらった日本鋼管はいま現在、存在しない。二〇〇二年に日本鋼管と川崎製鉄との統合によって、いまはJFEエンジニアリングという会社になっている。日本鋼管にいたぼくの友人は統合を前に会社を辞めた。内定して懇親会などにも出席していたぼくとしては、そこで知り合った「同期」のその後が案じられる。

 

 三十年後も同じ

 たぶん、同じようなことがこれから三十年間のうちに、他業態でも数多く起きるはずだ。もっと率直に言えば、これから三十年のうちに、きわめて有名だった日本企業の名前が消滅したり、名前だけは残っても、その所有者が変更したりするケースはこれまでの三十年間よりもずっと増えるではないか。

「今後三十年以内に日本の銀行の数が現在の数の半分以下になる確率は九〇%である」とはっきりと予言しておこう。職業で言えば、税理士や会計士もまた半減してもおかしくない。コンピューターを使った電子確定申告が普及する結果である。もしそうなっていなければ、「無用の長物」を養うために税金の確定申告の電子申請を故意に普及させない措置の結果ということになる。米国のように多くの人々が確定申告している国では、すでに「ターボタックス」(TurboTax)というソフトウェアが数百万人に利用されている。速くて正確な確定申告が可能になっているのだ。こんな時代が日本に訪れないのは、税理士や会計士の利害を守ろうとする国税庁の「陰謀」のように思えてくる。

 **君よ。三十年後の自分を想像できるだろうか。なんの展望もなく行き当たりばったりで人生を生きるのもいいが、ある程度の目算を立てて人生設計することも無駄ではあるまい。とくに、いまの若者をみていると、はやり周囲の学生仲間やそれぞれの両親などの目を気にして、結局、自分の人生をしっかり実践しているとは言えないのではないか、と危惧される。もっと率直に言えば、実は、人間は一人だけ考えているわけではない。周りから操作されて集団思考のなかに埋没しているだけだ。それは、「集団的繁栄」を可能にするけれども、「集団的没落」にもつながる。それは、君の就職した会社や組織の破綻という事態かもしれないし、日本政府の財政破綻かもしれないし、全人類の死滅という悲劇かもしれない。

 

 政治の貧困と財政破綻

 もちろん、人口減少に備えて、国家が人口増加のための環境整備に全力をあげたり、大胆な移民政策を打ち出したりすれば、前述した人口予測ははずれることになるだろう。しかし、残念ながら日本の政治は貧困であり、一九世紀の龍馬が準備した明治維新のような大変革は起こりそうもない。政治をビジネスにした「政治屋」が跋扈し、世襲議員が履いて捨てるほどいる日本の政治状況はまったく国民のための政治を行っていない。だからこそ、二一世紀の龍馬出現を促そうと、ぼくは密かにもくろんでいるのだ。

 こんな状況だから、おそらく三十年以内に必ず財政破綻が起きるのではないか。ぼくにはそう危惧される。すでに、財政破綻は「危険水域」にあるから、「今後三十年以内に財政破綻が起こる確率は九〇%である」と予測できる。

 日本の国債の元利払いが滞るというデフォルト(債務不履行)に陥れば、日本は国際通貨基金(IMF)からの巨額の融資を受けるしかあるまい。二〇〇〇年五月、東南アジア諸国連合(ASEAN)プラス三蔵相会議で二国間通貨スワップのネットワーク構築などが合意され(チェンマイ・イニシアチブ)、二〇一〇年三月には、多国間の通貨スワップであるマルチ化契約が発効するに至っていたから、これを使った緊急融資も受けることになるだろう。アジア開発銀行(ADB)からも融資が出るはずだ。日本の経済規模からみると、ギリシャの危機に際して、IMFが二〇一〇年五月に行った三〇〇億ユーロのスタンド・バイ・アレンジメント(SBA)のざっと十倍は必要だろうが、それだけの融資が可能かどうかはわからない。

 SBAプログラム開始後、円安で急速に進むインフレを抑えるために、年間インフレ率目標が一〇%以内と設定され、歳入増と歳出減という予算措置の組み合わせを通じて財政の名目安定化を行うことが条件づけられだろう。具体的には、年金支給開始年齢を六五歳から七〇歳に引き上げる計画の前倒しや年金給付額の三割削減を行うほか、二〇一九年十月に一〇%に引き上げられているはずの消費税率も一挙に二〇%へと引き上げることが求められるだろう。公務員の給与も一律三割カットされ、民間の多数の銀行や企業が倒産するだろう。議員の数も半減するかもしれない(ぼくはそうすべきだといまでも思っているのだが)。

 一、二年後には、SBAは拡大信用供与ファシリティ(EFF)に切りかえられて、①金融安定性の確保、②財政の強化、③構造改革の進展――が主要目標とされることになるだろう。EFFの適用に際して、①は、物価の安定性を回復するための通貨政策の枠組みの強化、外的ショックから経済を守るための為替レートの柔軟性、銀行への資本注入などを通じた銀行財務の健全化のための包括的戦略などを柱とすることになるだろう。短期金融市場での資金調達難に対応しなければならないし、日本国債の保有を減らしてきたとはいえ多くの銀行が国債の評価損を抱え込むことになるから、銀行救済を急ぐ必要性が生まれる。だが、複数の銀行が間違いなく破綻するに違いない。②は、財政赤字を垂れ流してきた医療・介護などの改革に加えて、増税はもちろん、国債削減などのオペレーションや財政赤字削減に取り組む。③は、及び腰だった規制緩和、行政改革、企業統治改革などを抜本的に行い、ビジネス環境を整え、投資を呼び込むように努めることになるだろう。

 こんな大混乱を回避するには、財政法を改正して日本銀行による国債引き受けを認める対策を一刻も早く実現するしかない。そんなことをすれば、ハイパーインフレになるという人がいるかもしれないけれども、そうならないようにすればいいだけの話だ。そもそも、いまでも事実上、日銀による国債引き受けが行われているわけだから、日銀による直接引き受けを認めても、実態上はあまり変わらないと言えるだろう。

 興味深いのは、フィナンシャル・タイムズの経済論説主幹、マーティン・ウルフが「日本銀行が国際を直接引き受ける、すなわち国債を貨幣化(マネタイズ)することになるでしょう」と予言している点だ(『人類の未来』)。ともかく、日銀による国債の直接引き受けまで道をひらくことで、国民を安心させなければ、もはや日本の財政破綻回避はできないところまできていると肝に銘ずるべきなのだ。しかし、劣悪な政治家と皮相なマスメディアばかりが目立つ日本では、この弥縫策さえ実現できないだろう。なぜならかれらは喫緊の課題を真摯に議論するだけの能力さえないからである。だからこそ、「今後三十年以内に財政破綻を回避できる確率は一〇%」しかないのである。

 

 会社からみる二一世紀

 坂本龍馬が姉乙女(おとめ)宛の手紙のなかで、「日本(ニツポン)を今一度せん((洗)たく(濯))いたし申候事ニいたすべく」と書いたことはよく知られている。この龍馬に倣って考えると、二一世紀を迎えて技術進歩が加速するなかで、疲弊した古い制度や既得権益に固執する守旧派を打破し、大改革を日本全体で断行することが求められている気がする。それこそ、二一世紀の日本の「洗濯」である。

 実は、ここでいう「洗濯」は日本全体にかかわっているだけでなく、それを構成する要素の「洗濯」にも関係している。その典型が会社だ。日本では、薩摩藩の援助で龍馬によって一八六五年に長崎に設立された貿易結社、亀山社中が日本における株式会社の原型とされている。会社の「洗濯」について考えることも龍馬と無関係ではないのだ。その会社が情報技術(IT)の発展の結果、大きく変わろうとしている。いわゆる人工知能(Artificial Intelligence, AI)によって、人間の働き方も大きく変化することになるだろう。ゆえに、世界中でいま、なにが起きているのかを本書のなかで会社レベルを中心に考察してみたい。

 同時に、会社の「洗濯」は就職間際の学生にとって、会社の「選択」を左右することになる。古い体質にまみれたまま、「洗濯」できずにいる旧態依然たる会社に魅力を感じる若者は少ないはずだ。就活中の学生は、会社の将来性をよく見定めて会社を「選択」することが必要なのである。いわゆるリクルートスーツを着て、会社に同化することを当たり前のように考えているのだとすれば、それは会社の思うつぼだ。そんな会社は「今後三十年以内に倒産する確率が七〇%である」と言いたい。

 

 大学で学べないこと

 人生の先輩として率直に言うと、ぼくが大学で学んだことはぼくの人生にほとんどまったく役立っていない。いまでも印象に残っている授業と言えば、西岡秀雄の「経済地理学」だけだ。世界中のトイレットペーパーを収集していた彼はトイレットペーパーの違いから世界の政治・経済や文化の違いをみる視角を教えてくれた。ほかの授業については、教えてくれた教員の名前すら記憶にない。これが現実だ。

 たぶん、ぼくの大学で行っている授業を含めて、いまの日本の大学でのほぼすべての講義は三十年後の君たちからみれば、役立つものではなかったということになるかもしれない。理由は簡単で、過去にとらわれすぎた講義内容が多すぎるのだ。将来を見据えた、将来に役立つ学問上の視角を養うといった教育的アプローチがとられていない。

二〇一七年にキャシー・デイヴィドソンが著した『新しい教育』という本では、学校は批判的考察(Critical thinking)、コミュニケーション(Communication)、共同(Collaboration)、創造性(Creativity)の四つのCを教えるように転換すべきであると書かれている。さらに、もっとも重要なのは、変化にうまく対処し、新しいものごとを学び、精通していない事態に精神的バランスを保つ能力であるとされている。

 **君よ。たぶんこうした能力を養うための教育を君たちは受けていない。そこで、少しでもこうした能力を刺激するような内容の本を書こうと思った次第なのである。

 

 本書の内容

 序章においてまず、ぼくの心からの想いを教訓として掲げておきたい。いわば、今後の三十年間を予測する際の基本的な視座を提起したいのである。学校教育は国家によって規制されているから、国家にとって不都合なことは教えない。その結果、多くの若者は騙されてしまう。それは職業選択といった岐路で取り返しのつかない過ちを犯すことにつながりかねない。だからこそ、「国家を信じるな」という教訓と「無頼になれ」という励ましを贈りたい。この二つが会社の選択やその後の生き方にきっと役立つと思う。無頼は「だれにも頼らない独立自尊」という含意をもつ。無頼は「自主独立の精神」と結びついている。だからこそ、無頼として活動できれば、それは究極の分権化・分散化を可能にする。

 つまり、集中化を前提とする国家主導の体制を、分散化を原則とする「ノード」によって結合されたクラスター(集団)をつなぐネットワークに変換させることが大切なのだ。ここでいうノードとは、「茎のつなぎ目」、結節点であり、ネットワークにアクセスできる接続ポイントのようなものである。いわば、ノードは一人ひとりの人間ということになる。ノード間のリンクによってクラスターたる共同体を幾重にも形成し、国家主導の上意下達の押しつけに対抗するという具合だ。集権化ではなく、分散化を重視する生き方、働き方こそ、今後三十年に必要なことだと、ぼくは思う。

 第1章では、「会社はどうなるのか」について論じる。国家が中央集権的な統治や経営を守ろうとする守旧派のために会社に干渉する政策をつづければ、日本の銀行業界も保険業界も大打撃を受けるだろう。そこで起爆剤となっているのは、人工知能(AI)やロボット化という最新の技術革新だ。それに加えて、Web2.0からWeb3.0への移行が起きており、分権化・分散化という統治や経営の方向性が明確化しつつある。にもかかわらず、こうした改革派の流れに逆行しようとしても、短期的には急場を乗り切れるかもしれないが、やがて確実に破綻を招くだろう。だからこそ、そうした事態をあらかじ予測したうえで、会社選びに活用しなければならない。さらに、会社での働き方についてもいまのうちによく準備しておく必要がある。

 その際、無頼にあこがれる姿勢を貫けば、守旧派とは違う自分独自の人生を切り拓くことにつながるのではないか。それを最新の情報技術(IT)が必ずや助けてくれるだろう。ゆえに、最新のIT事情を知らなければならない。つまり、Web2.0からWeb3.0への移行について学ばなければならないことになる。

 第2章では、「働くこと」の意味について考察する。やや哲学的ことも論じることになるが、大切なのは「労働」と「仕事」は違うという点だ。労働は人間の肉体の生物学的過程に対応する活動力で、生命の必要物、つまり、個体の生存と同時に種の継続にも必要なものを保護・保証する領域としての私的領域にあったものと解釈すべきだ。これに対して、仕事は人間の非自然性に対応する活動力で、生命を超えて永続する「世界」をつくる工作物をつくる活動だ。前者はAIに着実に取って代わられるだろう。そうであるならば、若者は仕事を見つけ出す努力をしなければならない。そんなことをこの章では語りたい。

 第3章では、中央集権的な統治を是とする国家が分権化や分散化を促す新技術に対して懸命に抵抗しようとしている現実について紹介する。世界中ではいま、中央集権的な統治やシステムを守ろうとする守旧派と分権・分散的な統治・システムを主張する改革派とが争っている。国家は近代化によって獲得した国家主権なる権力を維持すべく中央集権型のこれまでの統治形態を頑固に守ろうとしている。貨幣や資本の力が情報のもつ力に比べて相対的に弱まりつつあるなかで、国家は抵抗を試みているのだ。第一に、貨幣や資本への関与を強めることで国家自体の権力をより堅固なものにしようとする動きがある。第二の抵抗は、安全保障を理由に情報自体の集権的管理を強め、国家自体が情報の価値の高まりを利用しようというものだ。この二つの国家による抵抗について考えるなかで、こうした抵抗が決して勝利をもたらさないことを示したい。

 終章では、働き方改革を支えるべき「ベーシック・インカム」(基本所得)について論じたい。そして、若干の結語につなげたい。

 最後に出版に際して、

 

         二〇一八年九月

                                  塩原俊彦

 

 

**************************************

(Visited 145 times, 1 visits today)

コメントは受け付けていません。

サブコンテンツ

塩原 俊彦

(21世紀龍馬会代表)

このページの先頭へ