ウクライナ戦争に関連するロシアの国内状況
(2022年11月刊行の拙著向けの注)
現時点(2022年12月2日)までのロシアの国内状況について説明しておきたい。
ウクライナ軍は9月9日から10日にかけて、ハリコフ州の多くを奪還した。これにより、ウクライナ側はロシア国内への攻撃がよりやりすくなったことになる。事態に衝撃を受けたロシア国内では、総動員体制下での戦争エスカレートの必要性を説く者や、全国規模の徴兵制の実施を拒否したプーチンへの暗黙の批判をする者なども出てきた。他方で、ロシア全土の40人以上の地方選出議員が9月12日、「我々は、ウラジーミル・プーチンのロシア連邦大統領職の辞任を要求する!」との嘆願書に署名したという報道(https://www.nytimes.com/live/2022/09/13/world/ukraine-russia-war#russia-putin-ukraine-war)まである。すでに、報復としてウクライナ国内の電力供給施設への攻撃で停電が引き起こされている。戦争継続はますます事態を深刻化させている。
インフラ攻撃の無意味さ
ウクライナによるハリコフ州奪還を契機に、ロシアはウクライナの重要インフラへの砲撃をより集中的に開始した(https://novayagazeta.eu/articles/2022/09/21/putins-thrashing-about-in-impotent-rage)。冬の到来を前に水力発電所や電力網などの電力インフラへの攻撃が目立つようになっている。ロシア軍がウクライナの水力発電所とドニエプル川のダムに対する攻撃を準備しているとの情報もある。プーチンは最大500kgの爆発物を搭載できるKh-101ミサイルの使用を許可しており、これによってクレメンチュクとカミアンスケのダムが破壊されれば、その波は4〜6時間でザポリジエ市に到達する。10〜12時間後にはドニエプル水力発電所が倒壊するとみられている。
しかし、軍事的にみると、ウクライナの電力施設や輸送インフラに対する攻撃は、軍需産業がほとんど機能していないウクライナとって大きな打撃とはなりえない。むしろ、ミサイルは兵器庫や司令部、敵の装備など、戦略的に重要な目標に対して使うできであり、インフラへのミサイル攻撃は「ウクライナの民間人への復讐」のように映る。プーチンは「冬場にウクライナ人を凍死させるという大量殺戮を計画している」という見方も可能だ。インフラ攻撃は、ウクライナ人を指導者の下にさらに強く集結させ、ロシアをさらに憎ませることになるだろう。
4州の併合
ハリコフ州の奪還は、9月20日、ドネツィク(ドネツク)、ルハーンシク(ルハンスク)民主共和国(DNRおよびLNR)とウクライナのヘルソン、ザポリージャ両州の首脳が9月23日から27日まで住民投票を実施することを決める事態を引き起こしたと言える(DNRとLNRの独立については、プーチンによってウクライナ戦争勃発前の2月21日にプーチンによって承認された)。
とはいえ、戦乱下で住民投票をするのは無理がある。そもそも、住民の多くがいない。国連難民高等弁務官事務所(https://data.unhcr.org/en/situations/ukraine)によると、2022年2月24日から9月20日までに、740万人以上がウクライナを離れ、そのうち最多の269万人がロシア国境を越えている。ウクライナ難民登録者でみると、ポーランドが139万人、ドイツが100万人だ。ロシア外務省のマリア・ザハロワ報道官は、9月初旬の時点で、ロシアはDNRとLNRおよびウクライナから約400万人を受け入れていると推定している。ロシア国内にいるこれらの地域の住民もロシア国内で投票可能とされており、その場合、いずれかの地域に居住していることを確認できるパスポートなどを提示しなければならないという(ロシア領内の潜在的な住民投票参加者の正確な数は明かされていないが、約90万人という説がある[https://www.kommersant.ru/doc/5572455])。ウクライナ当局(https://www.nytimes.com/live/2022/09/23/world/russia-ukraine-putin-news#the-referendums-are-taking-place-in-areas-from-which-large-numbers-of-people-have-fled)によると、2月24日以降に占領されたロシア領の土地には、戦前の人口の半分以下である100万から120万人が住んでいると推定されている。他方で、ロシア側の情報(https://expert.ru/expert/2022/39/nichya-na-ukraine-uzhe-ne-budet/)では、4州合計で10万8840㎢、800万人(プーチンは難民を差し引いた残りは約500万人と発言)がロシアに加わる可能性がある。ロシア側の情報(https://www.vedomosti.ru/politics/articles/2022/09/27/942830-ukraina-teryaet-pyatuyu-chast-territorii)では、2022年1月、すなわちDNRとLNRの独立承認前、ウクライナの人口数は4098万人で、ドネツク州は405万人、ルハンスク州は210万人、ザポリージャ州は164万人、ヘルソン州は100万人であった。その数は879万人で、ウクライナの総人口の21%を占めていた。といっても、その根拠はまったくないに等しい。何しろ、多くの住民が避難を余儀なくされていたからである。
DNRとLNRは2月21日、ロシアによって独立が承認されていたから、そのロシアへの併合だけが住民投票で問われたのに対して、ヘルソンとザポリージャでは、ウクライナからの分離独立、独立国家の形成、ロシアの一部となることの三つの質問が用意されていた。その結果、ロシア側の情報によれば、DNRでは、99.23%が統合に賛成し、LNRでは98.42%、ザポロージャ州では93.11%、ケルソン州では87.05%がロシアへの加盟に賛成した(もちろん、この住民投票は「茶番劇」にすぎない。そもそも、各州の有権者数すらはっきりしない。投票開始当初、DNR中央選挙管理委員会は、同共和国の有権者数を155万8000人と発表していたが、9月26日、DNR中央選挙管理委員会のウラジミール・ビソツキー委員長は、有権者数が170万4000人に増加したと発表するなど、めちゃくちゃだった)。その後、ロシア側の法的手続きを経て10月の早い時期にこれら4州のロシアへの併合が実施される。9月29日、プーチンはヘルソン州とザポリージャ州の独立を承認した。さらに、9月30日、4州のロシア加盟に関する条約に署名し、条約批准を経て、4州のロシア併合が決定的段階を迎えた。条約によると、2023年6月1日までに、連邦機関の領域組織が新しい地域に設立され、移行期間中、つまり2026年1月1日までに、検察庁と裁判所が設立される予定となっている。6カ月以内に都市部と市町村の区域を作り、その境界線を定めなければならない。
これに対して、ゼレンスキーは同日、ウクライナのNATO加盟申請の前倒しに関する法令に署名した。さらに、議会に対しては、ウクライナにあるすべてのロシア資産の国有化をできるだけ早く決定するよう促した。加えて、「ロシアとの対話の準備はできているが、別のロシア大統領との対話だ」として、ゼレンスキーはプーチンとの和平交渉を拒否する姿勢を示した。
併合した4州への戒厳令導入
2022年10月19日、プーチンはビデオ会議を通じて安全保障会議を開催し、そのなかでロシア連邦の四つの構成体(ドネツク、ルハンスク両人民共和国、およびヘルソン、ザポリージャ)における戒厳令に関する法令に署名したことを明らかにした。「ドネツク、ルハンスク人民共和国、ザポリジヤ、ヘルソンの各州における戒厳令導入に関する大統領令」(http://kremlin.ru/events/president/news/69631)によれば、憲法第87条第2項、2002年1月30日付連邦憲法第1号-FKZ「戒厳令について」第3条および第4条に基づき、ロシア連邦の領土の一体性に対する武力の行使を考慮し、これらの地域に2022年10月20日の0時から戒厳令を導入するとされた。さらに、プーチンはこの大統領令に関連して、ロシア連邦構成主体で実施される措置についてという大統領令(http://kremlin.ru/events/president/news/69632)にも署名した。
それによると、①これら4領域では、1996年5月31日の連邦法第61-FZ号「防衛に関する」およびロシア連邦の他の規制法に従って、領土防衛が行われ、省庁間の調整機関(領土防衛本部)が設立される(これらの地域に民兵からなる領土防衛部隊を創設し、いわばウクライナ人を自国軍の戦闘に徴用しようという目論見とみられている)、②戒厳令レベル(「赤」)以外の85のロシア連邦構成体は三つのレベルに区分され、「中レベル対応」(「オレンジ」)体制が導入される、クリミア共和国、クラスノダール地方、ベルゴロド・ブリャンスク・ボロネジ・クルスク・ロストフ州、セヴァストポリでは、行政当局トップが、経済、これら地域での動員措置、領土防衛のための一定の措置、市民防衛のための措置、軍隊のニーズを満たすための措置を実施するための権限を行使するものとする、③中央連邦管区および南部連邦管区に含まれるロシア連邦の構成団体の領域において、行政当局のトップが、領土防衛および市民防衛のための特定の措置、人口および領土を保護する措置の実行に関する決定を採択する権限を行使する体制(高度準備レベル、「黄色」)を導入する、④残りのロシア連邦の構成団体の領域で、行政当局のトップが、自然および人為的な緊急事態から人口と領域を保護するための措置に関する決定を行う権限、およびロシア連邦軍、その他の軍隊、軍事編成のニーズを満たすための措置を実施する権限を行使する体制(基本準備レベル、「グリーン」)を導入する、⑤すべての地域に作戦本部が設置される――ことなどが定められた。
「レッド」と「オレンジ」の地域については、知事(ただし、たとえば「反テロ作戦」体制の場合のように軍や連邦保安庁ではない)に「経済における動員措置の実施権限」が追加で与えられる。「イエロー」と「グリーン」の地域(モスクワを含む)では、動員経済は導入されないことになっている。「イエロー」の地域では、知事はさらに、交通、通信、印刷所、IT-インフラの仕事を制限し、コントロールする権限を与えられている。「グリーン」地域では、基本的なレベルでは、地域の首長は治安を強化し、インフラや危険な産業施設の運営に特別な体制を導入する必要がある。さらに、これらの体制を執行するための調整機構の創設が決定され、モスクワ市のセルゲイ・ソビャニン市長を長とする知事の活動を調整する組織となる。その執行機関として、ミハイル・ミシュスチン首相を長とする「調整会議」が設置され、地域レベルで発生する問題に直接対応し、治安部隊との調整、資金配分を行う。これは、10月21日付大統領令第763号(https://rg.ru/documents/2022/10/24/document-koordinacionnyjsovet.html)により、政府の下に設立されたものである。
10月24日、ミシュスチンは、ウクライナにおけるロシアの軍事作戦を確保するための調整会議の初会合を開催した。ドミトリー・グリゴレンコ副首相が作戦の規制と財政支援を担当し、デニス・マントゥーロフ副首相が武器・装備・衣料品の供給を担当する。会議の任務は「医療制度、産業、建設、輸送などの領域間の効果的な協力」を構築することであり、また国家機関、地域、特別サービス間の連携を強化することであると、ミシュスチンは説明した。会議の仕事は、軍備・装備・資材の納入目標の設定、物資の予算化、軍が必要とする物品・工事・サービスの価格設定、供給業者・請負業者の選定、インフラの構築(兵舎・訓練場の設備など、兵站と直接軍事インフラの提供支援の両面から)であるという。具体的には、全国に約6万戸の動員住宅を配備したり、動員者の家族を社会的に支援したり、軍産複合体を支援したりすることが課題となっている。
これからわかるように、軍と民間の権力を統合し、経済全体を特別体制下に置き、国境を閉鎖するといったソ連時代の軍事化ではなく、あくまで行政当局のトップによる権限強化というかたちでの対応を進めようとしている点が特徴となっている。
メドヴェドチュクとアゾフ司令官の交換の意味
注目されるのは、第3章で書いたように、2022年9月21日、プーチンの親友ヴィクトル・メドヴェドチュクおよび55人のロシア人が第2章第1節で紹介したアゾフ連隊の司令官デニス・プロコペンコやマリウポリに残ったウクライナ軍の最後の部隊、第36海兵旅団の司令官セルゲイ・ヴォリンスキーなどを含むウクライナ兵士と外国軍人10人の計215人と交換されたことである。この交換を仲介したのは、トルコのレジェップ・タイップ・エルドアン大統領とサウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマン皇太子であったことは記憶されていい。アゾフの指導者5人は敵対行為の終了までトルコに滞在しなければならないという取り決めになっている(10月3日、彼らは家族との面談をトルコで果たしたとされる[https://www.nytimes.com/live/2022/10/04/world/russia-ukraine-war-news#released-azov-commanders-have-an-emotional-reunion-with-family-members-in-turkey])。
プーチンからみると、アゾフの司令官はもっとも重要な復讐対象であるはずだ。にもかかわらず、100人以上(108人説あり)のアゾフ連隊関係者をウクライナ側に引き渡したのは、プーチンにとって、娘の名づけ親でもあるメドヴェドチュクがいかに重要人物であるかを物語っている(といっても、すでにアンドリー・イェルマクウクライナ大統領府長官はメドヴェドチュクが「できるかぎりの話をした」としており、ウクライナからみると、その価値は低い)。同時に、プーチンの復讐心が「まがいもの」でしかないことをよく示していると言えるかもしれない。本当に復讐したいのならば、アゾフという準軍事組織に属すすべての兵士は、プーチンのいう「ネオナチ」そのものであり、復讐の対象でありつづけなければならないはずだからだ。このため、ロシア国内からも、アゾフ兵士の引渡しに批判が出ている。加えて、そもそもこの交換に連邦保安局(FSB)は反対していたにもかかわらず、プーチンが押し切ったのだという情報(https://www.washingtonpost.com/national-security/2022/10/01/prisoner-exchange-putin-fsb-ukraine/)もある。
刑法を厳しくする
9月20日、ロシア下院は刑法に「動員」「戒厳令」「戦時」の概念を刑法に導入する改正案の第2読会と第3読会で承認した。21日、上院でも承認され、24日、プーチンが署名して成立した。「戒厳令中、戦時中、武力紛争中、敵対行為中」の多くの犯罪に対する処罰がより厳しくなるほか、軍備の損傷や破壊は5年以下の懲役に処される(期間外は2年以下)。動員・戒厳令時の部隊放棄・不出頭(刑法第337条)の罰が強化され、2日から10日の無断離隊は5年以下の懲役(その他の場合は1年以下)、10日から1ヶ月は3年以下の懲役、1ヶ月以上は5年から10年以下の懲役となる。法律(http://publication.pravo.gov.ru/Document/View/0001202209240002?index=0&rangeSize=1)はすでに公表され、それに伴って施行された。
部分的動員の開始
兵員不足に悩むプーチンは9月21日、プーチンは大統領令「ロシア連邦における部分的な動員を宣言すること」(http://kremlin.ru/events/president/news/69391)に署名した。その1項で、「2022年9月21日付でロシア連邦に一部動員を宣言する」としている。具体的には兵員を召集するというもので、その数が書かれているとみられる7項は公表されていない。セルゲイ・ショイグ国防相が別途明らかにしたところでは、予備役約30万人を召集する計画だ。ショイグ自身は予備役の総数(徴兵資格をもつ成人数か)を2500万人と推定し、約30万人は動員資源の1.1%の部分動員にしかならないと説明している。
だが、欧米機関の分析(https://www.understandingwar.org/sites/default/files/Explainer%20on%20Russian%20Conscription%2C%20Reserve%2C%20and%20Mobilization%204%20March%202022.pdf)では、ロシアの予備役総数は約200万人強にすぎない。2020年9月の公表された戦略国際問題研究所(CSIS)の情報(https://www.csis.org/blogs/post-soviet-post/best-or-worst-both-worlds)によると、現役復帰の可能性がある退役軍人は90万人以上いるが、「現在ロシアが召集できる現役予備軍はわずか4000〜5000人である」と指摘されている。徴兵された兵士のうち、現役を終えた後の五年間に再教育を受けるのは10%以下であるとみている。
ロシア連邦法「軍務および軍務」第53条によると、予備役には三つの範疇がある。第一のカテゴリーは、①35歳未満の兵士、水兵、軍曹、下士官、准尉および中尉、②50歳未満の下級将校、③55歳までの少佐、三等大尉、中佐、二等大尉、④60歳未満の大佐、大尉、⑤65歳までの将官、提督が含まれている。第二、第三のカテゴリーになるにつれて、年齢が上昇する。それだけ、動員の優先順位が下がることになる。法律上、予備役とは、予備軍にとどまる契約に署名し、そのための支払いを受け、定期的に訓練コースを受講する国民を指す。2021年8月から、ロシア国防省は3万8000人の戦闘軍予備軍(BARA-2021)の編成を開始する。ロシア人志願予備役が毎月定期的に演習に参加し、民間の仕事を続けながら動員態勢を維持することをめざしたものである。3年間の契約勤務で志願予備兵を募集したが、募集は成功しなかったとみられている。
10月4日になって、ショイグは20万人以上の予備役の訓練を開始したと発表した。
興味深いのは、ロシアが部分動員を発表してから1日足らずで、ロシアから海外のビザなし渡航可能な都市への航空券の価格が、10~15倍に跳ね上がったと報道(https://www.kommersant.ru/doc/5571926)されていることだ。具体的には、カザフスタン、アルメニア、トルコ、ウズベキスタン、アラブ首長国連邦(UAE) などの海外都市に人気が集中している。ほかにも、グーグルの検索トレンドでは、「ロシアを離れる方法」や「自宅で腕を折る方法」といった検索が急増し、一部のロシア人が戦争を避けるために自傷行為に訴えることを考えているのではないかとの憶測を呼んだとの報道(https://www.washingtonpost.com/world/2022/09/21/putin-russia-mobilization-public-protest/)がある。たとえば、9月27日、カザフスタン内務省は9月21日以降、「約9万8000人のロシア人が入国し」、「6万4234人のロシア人が出国した」と報告した(https://www.kommersant.ru/doc/5582681)。他方で、グルジアの内務省は9月27日、訪問者が徒歩で入ることを許可すると発表し、ヴァクタン・ゴメラウリ内相は記者団に対し、入国希望者はこの1週間でほぼ倍増し、1日約1万人に上るとのべたという(https://www.nytimes.com/live/2022/09/27/world/russia-ukraine-war-news#as-the-scramble-to-escape-russias-draft-grows-call-up-papers-are-served-at-the-border)。ラトビアを拠点とするロシアの独立系新聞「ノーヴァヤガゼータ・ヨーロッパ」(https://novayagazeta.eu/articles/2022/09/26/sources-fsb-reports-260000-men-left-russia-wants-to-close-borders-news)は、無名の情報提供者による治安機関の推定を引用し、9月24日夕方までに26万1000人が国外へ脱出したと伝えた。今後の問題は、ロシアの動員に従わない「徴兵忌避者」が逃げ込んだ各国がどうすかだ。カザフスタンやキルギスはロシアへの引渡しを拒否するとみられているが、それは対ロシア関係を悪化させるだろう。
混乱の背景には、「軍隊に勤務し、特定の軍事的職業的専門性とそれに対応する経験を有する予備兵だけが召集される」というロシア軍側の説明にもかかわらず、実際には、軍隊経験がないにもかかわらず召集された、あるいは高齢で肉体的に任務に就けないという報告(https://www.washingtonpost.com/world/2022/09/26/mobilization-putin-russia-war-ukraine/)が相次いでいることがある。なかには、盲人、聾唖者、障害者、高齢者など、兵役に適さない者が召集されたとの報告も広まっているという(https://www.washingtonpost.com/world/2022/10/05/putin-annexation-retreat-ukraine-kherson/)。
加えて、IT、通信、メディア市場などにかかわる人々は、デジタル発展省と国防省が発表した動員猶予の資格を得るために奔走しており、こうした動きが部分的動員への不信感につながっている。その結果、ロシア国内では、北コーカサス地方のイスラム教徒が多く住むダゲスタンでデモが発生するなど、抗議や入隊事務所への襲撃事件まで起きている。こうした結果、2022年9月29日に開催された安全保障会議において、プーチンは、「たえば猶予の権利がある市民に関して、すべての誤りを正し、将来もそれを許さないようにしなければならない」と発言した。たとえば、子だくさんの父親や、持病をもつ者、すでに召集年齢を過ぎている者は動員が猶予されなければならないことになっている。「もし間違いがあったのなら訂正しなければならないし、正当な理由なく徴兵された者は帰国させなければならない」と、プーチンはのべた。
10月14日にプーチンが明らかにしたところでは、30万人の動員予定のうち、22万2000人がすでに動員されており、2週間以内に動員を終了させるという。3万3000人の動員軍人が部隊に所属し、1万6000人がすでに戦闘任務に就いているとした。だが、10月16日付の「ワシントン・ポスト」(https://www.washingtonpost.com/world/2022/10/16/russia-mobilization-men/)には、「ここ数日、警察や軍の報道陣が路上や地下鉄の駅前で男たちをさらっていった。彼らはアパートのロビーに潜み、軍の召集令状を配った。オフィス街やホステルに踏み込んできた。カフェやレストランに侵入し、出口をふさぐ」といった内容の記事が掲載されている。現実には、兵士動員のための誘拐のようなことまで起きているらしいのだ。
10月17日、モスクワ市とモスクワ州の首長はともに部分的動員の終了を発表した。10月28日には、ショイグ国防相がプーチン大統領に対して、30万人の部分的動員が完了したと報告した。「特別軍事作戦」が行われている地域には、8万2000人、21万8000人が訓練場で訓練を受けているという。10月31日にプーチン自身が語ったところでは、すでに戦闘行為に参加しているのは4万1000人で、25万9000人が、集団の一員として部隊に所属しているが、戦闘行為には参加せず、訓練をしているとした。国家統一記念日の11月4日、プーチンは、31万8000人の兵士が新たに軍に加わったとした。30万人を超えたのは自発的に入隊を希望する者もいた結果である。
ただし、これはあくまでロシア当局の発表であり、この数値が正しいかどうかはわからない。ロシアから逃れて海外からロシア政府を批判している「独立メディア」のなかには、「10月中旬までに徴兵された男性の数は最低49万2000人」とする報道(https://en.zona.media/article/2022/10/24/marriedanddrafted)もある。「部分的動員」がはじまった9月下旬から、ロシア全土で婚姻件数が大幅に増加したことから、この婚姻数をもとに徴兵された人数を推定しているのである。同報道によると、ロシアの法律では、徴兵制を「特別な状況」と位置づけ、通常の1カ月間の待機期間なしに、当日の登録が可能になっており、ウクライナで負傷したり死亡したりした場合、法的に認められた配偶者だけが補償を受けたり病院に入れたりすることができるようになったという。このため、同棲してきた者が急遽結婚して、動員後の最悪の事態に備えようとする動きが広がったというのだ。
11月1日からは、例年通り、「秋の徴兵」もはじまった。当局は12万人の兵士を徴兵する計画だ。徴兵は前線に送らないというのが公式の約束だが、戦争と動員で男性の兵役への抵抗感は高まり、徴兵委員会への苦情は年々増えている。「ノーヴァヤガゼータ・ヨーロッパ」(https://novayagazeta.eu/articles/2022/10/17/rotnyi-refleks)が過去6年間にロシア人が軍事委員会に申し立てた157万件の申し立てを分析したところでは、委員会が計画達成のために、慢性疾患を持つ男性を入隊させ、代替の民間勤務を拒否するなど、徴兵の権利を侵害する方法を発見したという。「春の徴兵」では、13万4500人の徴兵予定者のうち、3分の1が入隊しなかったという。
一つだけ指摘しておきたいのは、ロシア連邦軍がロシア正教徒だけでなくイスラム教徒も構成員となっている点である。ウクライナ戦争での死者数で、ロシア連邦のイスラム地域が上位を占めているとの見方もあり、イスラム教徒のウクライナ戦争における活動のあり方が問われているのだ(https://novayagazeta.eu/articles/2022/10/20/namaz-verkhovnogo-glavnokomanduiushchego)。
動員がはじまって1カ月を経た時点で問題となっているのは、動員兵に支払われる地方からの一時金、いわゆる「設置手当」の額、そして何よりもその金をどこから調達するかについて、いまだに共通の理解に至っていない点である。上院は動員兵間の不平等を解消するよう指示されているが、政府の援助なしにこれを達成することは多くの地域にとって簡単なことではないのだ。具体的には、部分動員が始まった直後、数十の地域の当局は、前線に行く者に10万から30万ルーブルのボーナスを約束した。だが、多くの地域では、そのような金額を見つけることができなかったのである。11月2日になって、プーチンは大統領令(http://publication.pravo.gov.ru/Document/View/0001202211030044?index=0&rangeSize=1)に署名し、「特別軍事作戦」中にロシア連邦軍で1年以上の兵役契約を結んだロシア連邦の国民に、19万5000ルーブルの金銭一括払いをすることを承認した。
だが、11月11日付の「Novayagazeta Europe」(https://novayagazeta.eu/articles/2022/11/11/dolg-rodiny)によると、ロシアの地方から動員された人々が、国から約束されたお金がないことを理由に「訓練所」で暴動を起しているという。チュバシ共和国の動員された男たちは、国家元首が約束した現金が支払われないことに反乱を起こした。ウリヤノフスク州の「訓練センター」で、100人以上の男性が抗議しているというのだ。
動員が実体経済におよぼす悪影響についても考慮しなければならない。ロシア企業はいまのところ、人手不足を訴えていない(2022年10月21日付「コメルサント」[https://www.kommersant.ru/doc/5622094]を参照)が、今後、従業員需要と供給とのアンバランスが業種によっては拡大するかもしれない。10月28日に、ロシア中央銀行理事会は基準金利を年7.5%に据え置くことを決めたが、部分的動員の経済への影響については、労働市場への影響と、投資、ビジネス、その他の活動への影響の二つに注目しているとみられている(12月16日にも据え置きを決めた)。エリヴィラ・ナビウリナ中銀総裁は記者会見で、今後数カ月は、消費者需要の減少により、その効果はディスインフレとなるが、その後、労働市場の構造の変化、特定の職業のスタッフの不足を通じてインフレ促進効果があるかもしれないと説明した。
軍改革の行方
12月21日、プーチンは国防省の拡大幹部会に出席し、国防省の兵力を150万人まで拡大するとのショイグ国防相の提案に賛成した。プーチンは2022年8月、兵員数を13万7000人増強し、総員115万1000人としたばかりだが、2023年の課題として語られたもので、徴兵年齢については、18歳から21歳に段階的に引き上げ、徴兵の年齢制限を27歳から30歳に引き上げるという方針も合意された。これは、大学生に対して徴兵を猶予するねらいがある。
ほかにも、モスクワ地区とレニングラード地区という二つの新しい軍管区を設けたり、八つの爆撃機航空連隊、一つの戦闘機航空連隊、および六つの陸軍航空旅団を新たに創設したりする。
「ハッタリ」ではない核兵器使用
「本日9月21日より動員施策を開始する」とした、9月21日のテレビ演説で、プーチンは気になる発言をする。「もし、わが国の領土保全が脅かされれば、もちろん、ロシアとわが国民を守るために、あらゆる手段を駆使することになる。これはハッタリではない」とのべたのだ。
この4州がロシアに併合されることになれば、ロシアにとってウクライナでの戦闘が「防衛戦」と位置づけられることになる。これは、ロシアにとって重大な意味をもつ。ロシアはナポレオンとヒトラーに対して防衛戦争に勝ったのだから、ロシア国民への心理的影響は大きいはずだ。そうなると、ロシアに奪われた領土を奪還するために東部と南部で進行中のウクライナの反撃はロシア本土への攻撃とみなされ、核兵器を含むあらゆるレベルの報復が少なくとも国内では正当化されやすくなるだろう。
他方で、ザポリージャ核発電所(ZNPP)の今後については、ウクライナのザポリージャ州を含む4州のロシアへの併合で、プーチンは、10月5日、ZNPPを国有化し、ロシア国営のロスエネルゴアトムの新しい子会社を設立、同社が管理運営にあたるとする大統領令[http://publication.pravo.gov.ru/Document/View/0001202210050022?index=0&rangeSize=1]に署名した。もともとZNPPはソ連によって建設されたものだ。その継承国ロシアがZNPPを支配下に置いた以上、ロシア側の専門家が原子炉の管理をしてもおかしくないと思うかもしれない。だが、ウクライナはロシア製の燃料集合体を米国のウェスチングハウス・エレクトリック社製に置き換える努力を組織的に行ってきた結果、ロシアの専門家だけではZNPPを運営できない状況にある。ゆえに、今後のZNPPの行方は不透明なままだ。
もう一つ、4州の住民を徴兵し、ウクライナ人同士で戦わせるという戦術もある。占領地の住民やそこでのウクライナ政府への協力者を強制的に徴兵することで、兵員不足を補い、なおかつウクライナ人同士を戦わせることでロシア人の死傷者を減らそうというわけだ。すでに、ロシア軍の一部支配下にある南部の2つの地域、ヘルソンとザポロジエでは、18歳から35歳までのすべての男性が外出を禁じられ、多くが軍務への出頭を命じられたという情報(https://www.nytimes.com/2022/09/25/world/europe/russia-ukraine-forces-referendum.html)もある。他方で、ロシア軍はクリミア半島の少数民族であるクリミア・タタール人を不当に徴兵しているとの情報もある。こうしてますます復讐心が深く刻まれてゆくのだ。
ほかにも、ロシアはベラルーシとともに共同軍を設立しようとしている。ベラルーシ国防省は10月16日、ロシアとベラルーシの新しい共同軍結成の準備のために、ロシア軍と軍用機がベラルーシに到着しはじめたと発表した。アレクサンドル・ルカシェンコベラルーシ大統領は10月21日段階でも、ベラルーシの軍事装備がウクライナで使用されることは望ましくないとのべ、自国の軍隊が戦争のために訓練していることを否定している。
10月下旬の見通しでは、共同軍はベラルーシ西部からキーウの西、ポーランドとの国境に近いウクライナ領に攻め込み、米国とその同盟国からウクライナへの武器の流れ(その多くはポーランドを経由する)を中断させることをねらっているとみられている。ウクライナ北部で戦闘がはじまれれば、南部や東部に多く投入されているウクライナ軍の一部がこの地を離れざるをえなくなる。
したたかなロシア外交
日本では、ほとんど報道されていないが、2022年9月に入って、ロシアは興味深い外交に打って出ている。ウズベキスタンのサマルカンドで9月15~16日に開催された上海協力機構(SCO)首脳会議に合わせて、プーチンは習近平国家主席と直接会談した。その後、19日にニコライ・パトルシェフロシア安全保障理事会書記が訪中し、中国共産党中央委員会政治局の楊潔篪委員と戦略的安定に関する中ロ協議などを行ったのだ。
9月22日になると、イラン軍の参謀総長は、イラン、ロシア、中国の海軍が参加する演習がこの秋にインド洋北部で行われると発表した。3カ国の軍隊は、ロシアが9月1日から7日まで開催した「ボストーク2022」の一環として行われた合同演習のメンバーでもあり、このところ急速に接近していることがわかる。インドのナレンドラ・モディ首相がSCOサミットに合わせて開催されたプーチンとの会談で、「私は、今日の時代が戦争の時代ではないことを知っている」とのべた背後には、中国やイランに接近するロシアに対する警戒感があったのかもしれない。
和平協議に向けた動き
前述したSCOサミットに合わせて行われた、プーチンとエルドアンとの会談で、プーチンはエルドアンに新たな条件でウクライナとの協議を再開する用意があるとのべたとの情報(https://www.vedomosti.ru/politics/articles/2022/09/27/942633-glava-mid-turtsii-zayavil)がある。9月26日になって、トルコのメヴルト・カヴソグル外相が記者会見で明らかにしたものだ。「新しい条件」は明らかにされていない。ロシアとウクライナの代表団による協議は、4月以降行われていない。10月9日のロシア側情報(https://www.rbc.ru/politics/09/10/2022/6342e6a19a7947ef4d8c90f4?from=from_main_12)では、ウクライナ紛争解決のために、トルコは、ロシア、米国、フランス、ドイツ、英国を同じ交渉のテーブルに着かせたいと考えている、とのトルコ側の報道があるという。
プーチンは少なくとも和平協議を模索する姿勢を示している。これに対して、ゼレンスキーは9月21日に行った国連総会向けビデオ演説(https://news.un.org/en/story/2022/09/1127421)で、ウクライナへの軍事支援の強化を呼びかけ、ウクライナ侵攻をつづけるロシアに罰を与えなければならないと何度も訴えた。国際的な場でロシアを罰することを含む和平条件を提示したが、そこに実現可能性を見出すのは難しい。現実的な和平協議への方向性がまったく示されておらず、「被害者」としてのウクライナがロシアという加害者への罰を強く望むという方向性だけが印象づけられるにすぎない。一刻も早く戦争を終結するには何をなすべきかといった発想自体がまったく感じられない。
欧米諸国の分断に賭けるプーチン
プーチンは、依然として欧米諸国が時間とともに分裂することに賭けているようにみえる。現に、9月25日のイタリアの議会選で、ジョルジャ・メローニ党首率いる極右「イタリアの同胞(FDI)」、極右「同盟」(マッテオ・サルヴィーニ党首)、シルヴィオ・ベルルスコーニ元首相率いる中道右派「フォルツァ・イタリア」からなる右派連合が上下院において過半数に達した。メローニ自身は一貫してウクライナへの軍事支援を約束してきたが、今後、これらの党の関係次第で、対ロ制裁に批判的な2党の主張をどうイタリアの政策に反映させるかという問題をかかえることになる。ただ、10月中旬までの状況では、閣僚人事をめぐって右派三党間で亀裂が生じているが、モスクワに対する規制の維持やウクライナへの軍事支援を繰り返し発言しているメローニとは、意見を異にしているサルヴィーニもベルルスコーニもこの問題で彼女に強く反論するといった事態は起きていない。ただし、イグナツィオ・ラ・ルーサ元国防相の上院議長就任に際して、ベルルスコーニの反対を押し切るかたちで人事が決定されるといった騒ぎが起きた。10月22日に首相に就任したメローニはウクライナへの軍事支援の姿勢を崩しておらず、新外相に就任したアントニオ・タヤーニ新外相(前欧州議会議長)も同日のツイッターで、就任後「最初の電話」がウクライナのドミトロ・クレバ外相とのものだったと書き込んだ。タヤーニは、「私は、自由を守り、ロシアの侵略に対抗するために、イタリアがウクライナを全面的に支援することを再確認した」と記した。
9月26日、ハンガリーのヴィクトル・オルバン首相は議会で演説(https://hirado.hu/belfold/cikk/2022/09/26/kovesse-nalunk-orban-viktor-parlamenti-felszolalasat)し、「制裁はヨーロッパの人々を貧しくし、ロシアは屈服していない。この武器が裏目に出て、ヨーロッパは制裁で足をすくわれた」とのべた。欧州は経済回復のためにロシアに対する制裁を解除する必要があるとの立場をより鮮明にしたことになる。さらに、「ハンガリーは、ヨーロッパで初めて制裁について国民に問うた国になる」として、そのための国民的な協議を開始していることを明らかにした。
戦争が長引くにつれ、ウクライナ人と欧米の当局者の間では、ロシアに対する制裁の犠牲者に対する国民の懐疑心(なぜ自分たちがエネルギー価格の高騰による生活苦に遭遇しなければならないのか)とキエフを支援するための多額の財政支出が高まることが懸念されている。戦争を引き起こした極悪人が決してプーチンだけでなく、ネオコンなどもかかわっている事実を知れば、多くの人々はいまの制裁に疑問をいだくようになるだろう。しかも、このままの状態がつづけば、ウクライナだけでなく、ヨーロッパ諸国全体が地盤沈下にさらされる。得をするのは、ユダヤ系米国人を中心とする少数のネオコンだけかもしれない。
ちらつく核兵器使用の影
プーチンがこれまで総動員体制を避けてきたのは、国民のウクライナ戦争への関心を削ぐためであった。徴兵を強化して、自分の子供が戦場に送られることにでもなれば、無関心な人々の態度が一挙に変わってしまいかねない。ロシアの部分的動員の開始は、ウクライナ戦争をより深刻な事態へと引きずり込んだと言えるだろう。
だからこそ、戦況が悪化した場合、プーチンが核兵器を含む大量破壊兵器の使用を決断する可能性を無視できないことになる(数キロトン規模のいわゆる戦術核については、使用する可能性がたしかにある。なぜなら2000年4月21日付大統領令で承認された軍事ドクトリンで定められた「ロシア連邦の国家安全保障にとって重要な状況」から、2014年12月に発表された新しい軍事ドクトリンにある「国家の存立が脅かされるような通常兵器の使用を伴う侵略」に核兵器使用の閾値を引き上げたものの、核兵器使用の可能性を放棄したわけではないからだ)。とくに、ウクライナ4州の併合が実施されれば、ウクライナによる攻撃をロシア国内への攻撃とみなして核兵器を使用する最悪の事態も想定できる。ただし、核兵器を使用すれば、中国やインドはロシアを見限るだろう(すでに、中央アジアではロシアに対する信頼が揺らいでいる。2022年10月13日、ロシア、イラン、パレスチナ、カザフスタン、トルコ、アゼルバイジャン、キルギスなど10カ国の首脳が参加する「アジアにおける交流と信頼醸成措置に関する会議」[CICA]において、タジキスタンのエモマリ・ラフモンは、プーチンの面前で、つぎのようにのべたのである。「1億~2億人もいないんですよ。しかし、私たちは尊敬されたいのです。どこで間違ったことをしたのか?どこで不適切なあいさつをしたのか?私たちは常に、主要な戦略的パートナーの利益を尊重してきました。私たちは尊敬されたいのです。私たちは外国人なのでしょうか?私たちに多額の資金を投資する必要はないのです。プーチンさん、あなたにお願いがあります、中央アジアの国々を旧ソ連と同じように扱わないでいただきたいのですが。」)。
2022年9月22日付の「ワシントン・ポスト」(https://www.washingtonpost.com/national-security/2022/09/22/russia-nuclear-threat-us-options/)によれば、米国当局者の情報として、米国は数カ月前からロシアに対し、核兵器使用後の重大な結末についてロシア指導部に警告する私信を送っているという。ロシアによる核使用が迫っているとの見方があるからだ。記事では、米国の核専門家は長年、ロシアが通常戦争を有利に終わらせるために、「戦場核」とも呼ばれる小型の戦術核兵器を使用するかもしれないと懸念してきたと指摘している。これは、「エスカレートからデエスカレートへ」とも表現される戦略だ。
ロシア安全保障会議の副議長であるドミトリー・メドヴェージェフ元大統領は9月22日、テレグラム(https://t.me/medvedev_telegram/179)に、2022年9月21日の最高司令官決定事項の結果、①住民投票が行われ、ドンバス共和国やその他の領土がロシアに加盟することになる、②併合されたすべての領土の防衛は、ロシア軍によって大幅に強化される、③ロシアは、動員能力だけでなく、戦略核や新原理兵器(極超音速兵器のこと)を含むあらゆるロシア兵器をこのような防衛のために使用できると発表した、と書いた。そのうえで、「西側の体制、一般にすべてのNATO諸国の市民は、ロシアが自らの道を選んだことを理解する必要がある。もう後戻りはできない」とした。
注目しなければならないのは、ロシア軍のウクライナ戦争での苦戦を批判する勢力がロシア国内に存在し、彼らの意見が少なからずプーチンに影響をおよぼしているのではないかと考えられる点である。もっとも顕著なのが、民間軍事会社ワーグナーを運営するエフゲニー・プリゴジンが力をつけてきている点である(ロシア史に詳しい人であれば、イヴァン雷帝の治世中に、彼の直轄領オプリーチニナを治めるために集められた、ツァーリだけに忠実な親衛隊員オプリーチニキ[Опричники]を思い出すだろう。プリゴジンはワーグナーにオプリーチニキを集めて、プーチンのお気に入りになろうとしているかのようにみえる )。彼は、ロシア軍指導部の誤りを公に非難するなどする一方で、自ら率いる傭兵集団ワーグナーへの資金提供を増やすよう圧力をかけているのではないかとみられている(https://www.washingtonpost.com/national-security/2022/10/25/putin-insider-prigozhin-blasts-russian-generals-ukraine/)。チェチェン共和国の指導者ラムザン・カディロフも公然とロシア軍を批判している。こうした状況は、プーチンにより冷酷な戦争への取り組みを促す可能性が高い。プーチンがプリゴジンやカディロフとの密接な関係をプーチン周辺に示しながら、側近統治に利用している状況について、プーチンの動向にもっとも詳しい記者アンドレイ・コレスニコフへのインタビュー(https://novayagazeta.eu/articles/2022/11/03/putin-razvlekaetsia)がきわめて参考になる。
ゼレンスキーによる挑発?
ゼレンスキーは2022年10月6日、オーストラリアのローウィー研究所のビデオ会議中継を通じて講演し、「ロシアのウクライナへの核攻撃を防ぐためにNATOは何をすべきか」などの司会者からの質問に答えた。「NATOはどうすればいいのか?ロシアが核兵器を使う可能性を排除する…しかし重要なことは、もう一度、2月24日以前と同様に、国際社会に訴えることだ。予防的攻撃、つまり、使ったらどうなるかを知ることだ……。ロシアの核攻撃を待って、「ああ、そうだ、俺たちに近づけるな!」と言うためでもない。自らの圧力の利用法を再考する。それがNATOのやるべきことで、使い方を考え直す…」とのべた。この発言は波紋を広げた。ロシアの大統領報道官ドミトリー・ペスコフは、ゼレンスキー氏の発言について、「予測不可能で巨大な結果をもたらす世界大戦を始めようとする呼びかけ」と表現したのである。ゼレンスキーがNATOによるロシアへの先制核攻撃を呼びかけたとの誤解を招いたのである。
他方で、同日、民主党のイベントで講演したバイデンは、1962年のキューバ・ミサイル危機以来、核兵器によるハルマゲドンの危機に直面したことはないとし、キューバ・ミサイル危機以来はじめて、状況が実際に進化した道を進むなら、我々は核兵器の直接的脅威に直面すると話した。ハルマゲドンという言葉を用いることで、バイデンもまた核戦争を呼び覚まそうとしている。
切迫する事態
この原稿を書いている2022年12月2日時点で言えることは、ロシア国内で「部分的動員」という大きな賭け、すなわち、多くの国民からの批判や反発を引き起こし、権力基盤に大打撃を与えかねない賭けに出た以上、プーチンは何でもする公算が少なからずあるということである。
前述したWPの記事によれば、9月18日に放映されたCBSニュースの「60ミニッツ」のインタビューで、バイデンは、プーチンによる核兵器使用に米国がどのように反応するかの詳細を断り、反応は「結果的」であり、「彼らが何をするのかの程度」によるとだけのべたという。
さらに、同紙は、「ロシアが米国の条約同盟国でないウクライナで小型核兵器を使用した場合、危機に直面する」と指摘している。ロシアに対して米国が直接軍事的な反応を示せば、核武装した超大国間の戦争が拡大する可能性があるからだ。バイデン政権はウクライナ政策のすべてにおいて、その回避を最優先事項としている。「ウクライナでロシアの限定的核攻撃に直面した場合、政権にとって最善の選択肢は、ウクライナ支援を強化し、攻撃を行ったロシア軍または基地を限定的に通常攻撃することかもしれない」というジョージタウン大学教授で大西洋評議会スコウクロフト戦略安全保障センター所長のマシュー・クローニグの主張が紹介されている。
これに対して、カーネギー国際平和財団の核政策プログラム共同ディレクター、ジェームズ・M・アクトンは、「もし、プーチンが本当に核兵器の使用を間近に控え、真剣に考えているなら、ほぼ間違いなく我々にそれを知らせようとするだろう」としたうえで、「彼は、実際に核兵器使用の道を歩むよりも、核兵器使用の脅しをかけて、われわれに譲歩させる方がずっといいと思っている」とのべている。
具体的には、ウクライナの飛行場や兵站(へいたん)拠点、大砲の密集地などが戦術核のターゲットになりうると、英国のシンクタンク、国際戦略研究所のベン・バリーは指摘する(https://www.economist.com/international/2022/09/29/could-the-war-in-ukraine-go-nuclear)。インドとパキスタンの戦争を想定したある研究では、5キロトン爆弾(広島に投下された爆弾の約3分の1)が戦車に広く投下された場合、わずか13台しか破壊できないと推定しており、バリーは、ウクライナの旅団(約3000~5000人)を無力化するには、たとえ攻撃態勢を整えたとしても、四つの戦術核兵器が必要だとみている。
こうした核使用が現実になれば、欧米製の戦車や戦闘機、射程の長いミサイルなど、これまでエスカレートしすぎていると考えられてきたより高度な武器がウクライナに提供されるかもしれない。ウクライナにNATO軍を派遣したり、ロシアの目標に直接攻撃を加えたりすることが考えられる。例えば、ロシアの核攻撃に使われる港湾、空軍基地、移動式ミサイル発射台などを破壊することができる。
もちろん、米・英・仏は、自国の限定的な核攻撃で対応することも可能である。しかし、それは核戦争を拡大させる危険性がある。ロシアは西側諸国のライバルよりも多くの戦術核を保有しており、欧米とロシアとの間で核戦争そのものが起きるかもしれない。
プーチンの核使用というシナリオ
私見をのべよう。NATOがウクライナ戦争に直接参加すれば、プーチンは間違いなく戦術核を使うだろう(極悪非道というレッテルを貼られたプーチンは何も恐れるものはない)。逆に、たとえロシアが最初に戦術核を使っても、NATOによる直接的なウクライナ戦争への参戦はないとロシア側は踏んでいるとも言える。NATOが参戦すれば、複数の戦術核で応戦することになるだろう。
ロシアに併合された4州のうち、ウクライナ軍が少なくとも2州を奪還する事態になれば、プーチンは自国防衛を理由に戦術核の使用を厭わなくなるだろう。11月2日付のNYT(https://www.nytimes.com/2022/11/02/us/politics/russia-ukraine-nuclear-weapons.html)は、「ロシア軍幹部が核兵器の使用について議論していた、と米政府高官が語る」と報じている。ロシア軍幹部は最近、モスクワがウクライナで戦術核兵器をいつ、どのように使用する可能性があるかについて話し合う機会をもったというのだ。
もちろん、核使用の前に、ロシア軍がとれる選択肢はまだまだ残されている。10月8日朝、ロシアのクラスノダール地方とクリミア半島を結ぶ橋(クリムスキー橋またはケルチ橋)が爆破される事件が起きた。燃料を積んだ列車が頭上を通過する瞬間に、遠隔操作で爆発させたと思われる。トラックが爆破され、道路橋の橋梁のデッキ約260mが大きな損傷を負った(すべて利用できなくなったわけではなく4車線中2車線が限定的に通行可能)。鉄道橋については、大きな損傷はなく、鉄道は8日夕、少なくとも部分的に復旧した。この爆破事件は、その被害よりもまず、2018年の開通式で自らトラックを運転して祝ったプーチンへの侮辱であり、ロシア政府関係者や強硬派の軍事ブロガーはすでに復讐を呼びかけた。それに応えるかのように、10月10日、ロシア軍はウクライナの各都市のエネルギー施設、軍事施設、通信施設などをねらったミサイル攻撃を加えた。ウクライナ軍参謀本部の観測では、ロシアは巡航ミサイル84発と無人航空機24機を使用したという。10月12日、連邦保安局と連邦予審委員会は事件に関連するテロリストグループ12人のうち8人を拘束したと発表した。
いざとなれば、ミサイル攻撃だけでなく、ウクライナへの徹底した空爆、絨毯爆撃のような攻撃が核攻撃の前に行われるのではないか(ロシアの高精度誘導ミサイル不足という話がある。侵攻当初、ロシアは高精度の巡航ミサイル「カリブル」と「イスカンダル」を1400発保有していたが、すでに8月までにロシアは高精度ミサイルの6割を使い切り、9月初旬には、「ロシア軍のイスカンダルは200発しか残っていない」との説も明らかになった。高精度ミサイルの制裁台数は年間225発を超えないとみられ、ロシアは深刻な高精度ミサイル不足に陥っているというのである[https://novayagazeta.eu/articles/2022/10/11/iskandery-v-isterike])。NATOによるコソヴォ空爆に恨みをもつプーチンからすれば、ウクライナの主要都市に絨毯爆撃命令を出してもおかしくない。ウクライナの反撃や攻撃次第で、ロシア側は復讐・報復を行うことを固く決めているようにみえる。すでに米国政府は7月、ウクライナに2基の最新型地対空ミサイルシステム(NASAMS)を納入すると発表しており、10月か11月にウクライナに到着するとみられている。
『復讐としてのウクライナ戦争』の第6章の注(14)でも書いたように、「私は実際の戦争たる戦闘行為には関心はない」が、あえて紹介しておくと、「空爆は遠距離からしか安全に行えないことが多くなり、航空機が上空を飛行して地上の標的を至近距離から撃つ時代は、少なくとも双方が大規模な防空システムを持つ戦場では終わったように思われる」という見方(https://www.economist.com/the-economist-explains/2022/11/01/has-the-ukraine-war-killed-off-the-ground-attack-aircraft)が増えていることくらいは知っていてほしい。
11月1日のNYT(https://www.nytimes.com/live/2022/11/01/world/ukraine-war-news-russia-updates#advanced-defensive-weapons-systems-could-be-delivered-to-ukraine-in-coming-days-us-officials-say)によれば、アメリカ政府関係者は11月1日、ウクライナの防空部隊数十人が、ノルウェーでNASAMSの使用方法の訓練を終え、今後数日以内にウクライナに最初のシステムを引き渡すための道を開いていると発表したという。
「ダーティボム」の脅威
10月23日、RIAノーボスチ(https://ria.ru/20221023/provokatsiya-1825967691.html)は、「ウクライナを含む各国の信頼できる情報筋によると、キエフ政権は自国内でいわゆるダーティボム、すなわち低収量の核兵器の爆発を伴う挑発行為を準備していると言われている」と報じた。挑発の目的は、ロシアがウクライナの戦場で大量破壊兵器を使用したと非難し、それによってモスクワの信頼性を損なうことを目的とした強力な反ロシア・キャンペーンを世界に展開することであるという。ドニプロペトロウシク州にある東部選鉱コンビナートの指導部とキーウ核研究所は、「ダーティボム」製造を命じられ、その作業は、すでに最終段階に入っていると伝えた。同時に、ゼレンスキーの指示により、ウクライナ大統領府の側近がウクライナ当局への核兵器部品移管の可能性について、英国代表と暗黙のうちに接触していたことがわかったとしている。
このダーティボム(放射性拡散装置, RDD)は放射性同位元素と爆薬を入れた兵器で、爆薬が爆発すると容器が破壊され、衝撃波によって放射性物質が飛散し、数千平方キロメートルにおよぶ地域が汚染される。放射性物質は、使用済み核燃料貯蔵施設や原子力発電所の使用済み燃料プールに保管されている使用済み燃料要素に含まれる酸化ウランの可能性があるとされる。10月25日付の「コメルサント」(https://www.kommersant.ru/doc/5632780)によれば、ウクライナ側の計画では、このようなミサイルの爆発を、高濃縮ウランを装荷に使ったロシアの低収量核弾頭の異常誘爆に見せかけ、その後、ヨーロッパに設置された国際監視システムのセンサーによって大気中の放射性同位元素の存在が検出され、ロシアによる戦術核兵器の使用が非難されることになるという。さらに、その結果、ロシアは主要なパートナーの多くから支持を失い、西側諸国は再びロシアの国連安保理常任理事国資格を剥奪する問題を提起するとみている。
別のロシア側の報道(https://expert.ru/expert/2022/44/gryaznaya-bomba-dlya-frontovoy-pauzy/)によれば、ウクライナの軍事企業ユジマシの専門家がすでにロシアのイスカンデルミサイルのダミーをつくっており、その頭部分に放射性物質を充填し、チェルノブイリ原発の立ち入り禁止区域上空でウクライナ防空軍に「撃墜」させてロシアの核爆弾発射を主張する計画があるという。このイスカンダルの模型はトーチカ-Uミサイルシステムの発射体をベースに作られたものだという。ヘルソン州上空でダーティボムが爆発しても、たとえば広島のような大規模な破壊や汚染は起こらないが、数十から数百の死者や深刻な疾病が発生する可能性があるという。多くの専門家は、ウクライナ人が自力でダーティボムを組み立てることができるかどうか疑念を示している。ただ、同盟国の協力があれば、この技術的課題は解決できる。ロシア国防省は、英国の支援をほのめかしている。
これに対して、米英仏は10月23日に、ロシアが戦争をさらにエスカレートさせるために作り出した口実だとし、この主張を否定する声明を出すという珍しい行動に出た。ウクライナを潜在的な核の侵略者に仕立て上げることで、ロシアは自国民の怒りを買うことなく、またプーチン氏への支持をさらに低下させることなく、緊張を高めることができる、と欧米側はみている。
10月24日の段階で、ロシア軍参謀総長ヴァレリー・ゲラシモフは、米国統合幕僚本部議長のマーク・ミリーと電話会談を行い、ウクライナによるダーティボム使用の可能性に関連する状況について話し合った。10月24日、ゲラシモフは英国国防参謀総長アンソニー・ラダキンとも同様の会話を交わしたという。10月23日、ロシアのショイグ国防相はトルコのフルスィ・アカル、イギリスのベン・ウォレス、フランスのセバスチャン・ルコルニーと会談し、アメリカのロイド・オースティンとも再協議したが、このときの内容が「ダーティボム」にかかわるものであったとみられる。
ロシアの情報が正しいかどうかはわからない。ただ、前述した「予防的攻撃」を推奨していたゼレンスキーがこのダーティボムによる戦争のエスカレート化をもくろんだとしても何の不思議もないと書いておきたい。ただし、10月25日付のNYT(https://www.nytimes.com/live/2022/10/25/world/russia-ukraine-war-news#ukraine-accuses-russia-of-doing-secret-work-at-a-nuclear-plant-that-may-be-preparation-for-a-radiological-attack)は、ウクライナの原子力事業者は10月25日、国内最大の原子力発電所を占領しているロシア軍が秘密裏に作業を行っており、ロシア自身が放射性テロ行為を準備している可能性を示唆していると発表したと伝えている。興味深いのは、The Economist(https://www.economist.com/united-states/2022/10/27/the-claim-of-a-ukrainian-dirty-bomb-has-got-americas-attention)が、「驚くべきことに、ワシントンでは、ロシアはウクライナのだれかがダーティボムを計画しているという本物の情報をつかんでいるのではないかとさえ推測している」と伝えている点だ。「このような説がまことしやかに語られるのは、ウクライナの行動に対するある種の不信感を示している」との記述どおり、ウクライナ側の発表を米国政府は信じていない面がある。ウクライナ政府が米国政府に知らせないまま、ロシアの右翼思想家アレクサンドル・ドゥーギン娘ダリアを殺害した件(第2章を参照)が尾を引いてるのだ。
さらに、米国政府はウクライナでの武器の動きを追跡するための査察を再開した。10月31日付のロイター電(https://www.reuters.com/world/europe/us-resumes-on-site-inspections-keep-track-weapons-ukraine-2022-10-31/)が伝えたものだ。現地査察は、各国が特定の兵器を提供される際に米国と締結する協定の日常的なものとされているが、腐敗が蔓延してきたウクライナに対する不信感があって当然と思われる(詳しくは拙著『ウクライナ3.0』を参照)。いまのところ、米国防総省の高官は、「ウクライナ政府は兵器の保護と管理を約束しており、転用されている確かな証拠はない」という。しかし、7月5日付のロシアの報道(https://www.rbc.ru/politics/05/07/2022/62c498979a79479781bd7feb?from=from_main_11)によれば、ウクライナ経済安全保障局のヴァディム・メルニク局長によると、同局は欧米の武器や人道的援助の売却をめぐり、約10件の刑事事件を起こしたという。
11月1日付のWP(https://www.washingtonpost.com/national-security/2022/11/01/us-weapons-ukraine-oversight/)によれば、米国の監視員が直接査察を行ったのは、2万2000の米国製武器のうち約1割に過ぎない。ロシアとの戦争の激化により、武器が盗まれたり悪用されたりしないようにするためのシステムに負担がかかるため、通常のチェックや在庫を100%達成することは難しいことも認めている。さらに、2月下旬の侵攻でキエフの米大使館が数カ月閉鎖されて以来、米当局がポーランドから持ち込まれた武器庫で、監視強化が必要な品目の直接査察を実施できたのは2回だけだったという。
10月末から、国連の核監視機関(IAEA)は、ダーティボムがウクライナで製造されているとのロシアの主張を調査している。11月3日、IAEAのグロッシ事務局長は、ウクライナの3地点における未申告の原子力活動や核物質の兆候は発見されなかったとした。しかし、IAEAが過去にイランに何度もだまされてきた経緯を知る者として言えば、この調査結果だけでウクライナへの嫌疑が晴れたことにはならない。
米国の戦略の甘さ
バイデン政権は、ロシアが核兵器を使用しないという信念に基づいて、ロシアを戦略的に敗北させる、ないし、弱体化させようとしてきた。ロシアによるウクライナ侵略に対して、NATOが直接参戦しないままウクライナ軍への武器供与を通じて、ロシアを撃退することができると、米国側は考えてきたと言える。ウクライナ戦争が長引いても、戦争の大義はウクライナ側にあり、侵略者たるロシア軍を撃退し、プーチン政権を崩壊にまで追い込まなければ、侵略抑止につながらないと固く信じてきたように思える。同時に、米国は核使用という事態になれば、核による報復を含めた惨事になることを十分に理解し、ロシアに対しても冷静な対応を求めてきた。
しかし、この政策には二つの誤算がある。その第一は、ゼレンスキーの増長だ。「ダーティボム」使用による「予防的攻撃」と戦争のエスカレートを彼が望んでいる可能性を否定できないのだ。前述した、米国政府に知らせないまま、ウクライナ当局がロシアの右翼思想家アレクサンドル・ドゥーギン娘ダリアを殺害した件は米国とウクライナとの緊密な情報交換ができていないことの証拠だ。復讐心も燃えるウクライナ諜報機関が勝手にダーティボムを開発・使用する可能性も十分にあることになる。ゼレンスキーの増長は、ウクライナ側からの核戦争への挑発という事態を招くことすら考えられるのである。
第二の誤算は、戦争で苦戦を強いられているプーチンの出方への予測だ。プーチンが戦術核兵器を使用する可能性が十分にあるとみなすと、米国のこれまでの戦略が瓦解することになる。バイデン政権は2014年のクーデターを自ら支援した過去を隠蔽したまま、絶対的正義が自らにあるかのような信念に基づいて、ウクライナへの武器供与と同時に、クリミア併合という汚辱への復讐精神をも包含させた制裁を展開してきた。そこには、キリスト教文明の正体、すなわち「血の復讐」さえ厭わないような暴力行為に加担する文明というものの正体への無理解がある。
プーチンにすれば、そんな文明を破壊してもかまわないという強い信念がある。血で血を洗うのが文明であり、核兵器はそのための手段なのだ。プーチンも復讐心に駆り立てられており、復讐のためには手段を選ばないだろう。小型の戦術核の使用に躊躇することはない。
この極悪非道のプーチンには、恐ろしい最新兵器があることも書いておこう。それは、2018年3月にプーチンが正式に発表した「無人水中ビークル」である。潜水艦や近代魚雷、水上艦の何倍もの速度で大深度から大陸間航行まで移動できるもので、プーチンは当時、「低騒音、高操縦性、敵に対してほぼ無敵」と発表し、この無人潜水機は通常弾頭と核弾頭の両方を搭載でき、空母や沿岸の要塞、インフラを攻撃することが可能だとのべた。その名は無人潜水機「ポセイドン」とされ、その母艦は核潜水艦「ベルゴロド」である。この潜水艦は2022年7月にロシア海軍に引き渡されたばかりであり、テスト中だ。
米国政府は「悔い改めよ」
いずれにしても、もし核兵器が使用されれば、プーチンに最大の責任があるのは間違いない。他方で、非帰結主義からみると、そこまで彼を追い込んだバイデンをはじめとする欧米諸国の責任もきわめて大きいことになる。
先に紹介したThe Economistには、「ロシアが核の恐喝で領土を奪うのを許せば、世界中の独裁者が同じことをするようになる」との記述があるが、これは真っ赤な嘘である。
プーチンは独裁者かもしれないが、独裁者でなくても、2014年当時、米国のバラク・オバマ大統領のもと、ウクライナ担当だったジョー・バイデン副大統領とヴィクトリア・ヌーランドという当時の国務省次官補らは、武力によるクーデターを支援し、当時のウクライナ大統領ヴィクトル・ヤヌコヴィッチを追い落とした。にもかかわらず、何ら非難されぬまま、バイデンは米大統領、ヌーランドは国務省次官の座にある。なぜバイデンらが支援したクーデターは非難されないのか。こうした事態にプーチンは激怒していることを忘れてはならないのだ。要するに、これまでの米国外交は決して正当化されないし、普遍的正義を実践してきたわけでもないのだ。
こんな出鱈目なバイデン政権を批判できないとすれば、世界全体はますます絶望的な状況に追い込まれるだけだろう。捨て鉢のプーチンは本当に核兵器を使用するだろう。それを思いとどまらせるには、米国政府の政策を至急、改める必要がある。おそらく2022年11月に実施される米下院選で、共和党が過半数を占めるだろう。その場合、議長に選出される可能性がもっとも高いケヴィン・マッカーシー(カリフォルニア州)は、中間選挙で同党が過半数を獲得した場合、ウクライナに「白紙委任状を書く」ことを望まないとのべたとされている(https://www.nytimes.com/2022/10/18/us/politics/mccarthy-ukraine-republicans.html)。もちろん、共和党のなかには、ウクライナへの援助を支持するタカ派も多数いるから、超党派でバイデン政権による多額のウクライナ支援を継続できるかもしれないが、ウクライナだけへの援助に風当たりが強まることが十分に予想される。
米国がブレると、欧州諸国のなかに亀裂が拡大する可能性も生まれる。比較的親ロシア的なハンガリーだけでなく、すでにフランスとドイツの間にも齟齬がある。とくに問題となっているのは、ドイツが自国民と企業のためにエネルギー価格上昇の打撃を2000億ユーロ(2010億ドル)もの規模で和らげるという一方的な決定をしたことだ。この決定は、EU加盟国を激怒させた。この補助金が欧州単一市場において不公正な競争を引き起こし、ドイツ企業がライバル企業よりも有利になるからだ。さらに、ドイツが最近、他のNATO加盟国とともに、アメリカの機器を使用した防空・ミサイル防衛シールドを獲得すると発表したこともフランス政府をいらだたせている。フランスは、「ヨーロッパの主権」を守るために、このプロジェクトに参加せず、イタリアと独自のシールドを開発することを計画している。
10月24日、30人の下院民主党員はバイデンに書簡(https://progressives.house.gov/_cache/files/5/5/5523c5cc-4028-4c46-8ee1-b56c7101c764/B7B3674EFB12D933EA4A2B97C7405DD4.10-24-22-cpc-letter-for-diplomacy-on-russia-ukraine-conflict.pdf)を送った。そのなかで、「結論として、我々は、交渉による解決と停戦を支援するために精力的な外交努力を行い、ロシアとの直接対話を行い、主権と独立を有するウクライナを可能にする、すべての当事者に受け入れられる新しい欧州安全保障体制の見通しを探り、ウクライナのパートナーと連携して、紛争の早期終結を目指し、この目標を米国の最優先事項とすることを再確認することを強く求める」と書いている。
ウクライナ戦争に対する、つぎのような総括はおそらく的確と言えるだろう。
「外交に代わるものは戦争の長期化であり、それに伴う確実性と破滅的で未知のリスクの両方がある。ロシアの侵攻はウクライナの人々に計り知れない損害を与え、数え切れないほどの市民やウクライナ兵の死亡、1300万人の避難をもたらした。一方、ロシアが最近行ったウクライナ東部の都市の占領は、この紛争の最も重要な瞬間、ウクライナのおよそ20%の領土に対するロシアの支配を強化することにつながった。小麦、肥料、燃料の価格高騰が世界の飢餓と貧困の深刻な危機を引き起こし、この紛争はさらに世界中で数千万人を脅かしている。戦争が何年も続き、その激しさと地理的範囲が拡大すれば、さらに多くのウクライナ人が移住し、殺され、苦しめられ、世界中で飢えと貧困と死が引き起こされる恐れがある。この紛争はまた、国内でのガソリンや食料の価格高騰を招き、ここ数カ月、アメリカ人のインフレと原油価格の高騰を煽っている。」
「この紛争に何百億ドルという米国の税金を使った軍事支援の責任を負う議員として、この戦争への関与は、米国が被害を減らし、平和的解決を達成するために、ロシアとの直接関与を含め、あらゆる可能な手段を真剣に模索する責任も生じると考えてる」という記述は下院議員として当然の述懐であるべきだと思う。
5月、下院がウクライナへの400億ドル規模の援助を承認した際、民主党は一人も反対しなかった。だが、下院の共和党議員212人のうち57人、上院の共和党議員50人のうち11人が反対票を投じた。「共和党員や共和党寄りの無党派層では、米国が戦争に過剰な支援をしているとする回答が32%に達し、3月の9%から上昇した」という報道(https://www.washingtonpost.com/politics/2022/10/24/biden-ukraine-liberals/)もある。
しかし、残念ながら、この書簡は10月25日に撤回された。議会進歩的議員連盟のプラミラ・ジャヤパル下院議員(ワシントン州選出)が主導したこの書簡は多くの民主党議員からの激しい反発を招いた翌日、撤回を余儀なくされたのである。その際、ジャヤパルは、この書簡が数カ月前に起草されていたのに、「残念ながらスタッフが吟味せずに公表してしまった」と公表した側近を責めた。米国の政治家も日本の政治家と同じく、スタッフに責任を負わせて責任逃れをしているようにみえる。米民主党議員の劣化ぶりが改めて浮き彫りになったと言えるだろう。本当に低劣きわまりない状況にあるのだ(それは、欧州議会議員も同じである。彼らは11月23日、ロシアをテロ支援国家に指定する決議案を賛成多数で可決した。同決議が賛成494票、反対58票、棄権44票で採択されたのである。欧州議会が採択した文書自体には法的拘束力がないため、決議は象徴的なものにすぎない。EUは「国家テロ」という概念を認めておらず、「テロ行為に関与した」個人、グループ、組織のリストを保持しているだけであるにもかかわらず、こんな決議に何の意味があるのだろうか。ウクライナ戦争の停戦や和平実現のために何をすべきかという切迫した責任ある政治家としての行動が放棄されているかにみえる)。
ヘンリー・キッシンジャーは2022年8月、WSJとのインタビュー(https://www.wsj.com/articles/henry-kissinger-is-worried-about-disequilibrium-11660325251?no_redirect=true)で興味深い発言をしている。「今の時代は、方向性を定めるのに非常に苦労していると思う。その時々の感情にとても敏感なのだ」としたうえで、米国人は、外交というものを「敵との個人的な関係」から切り離すことに抵抗があるとのべている。交渉を心理学的というより布教的なものとみなし、相手の考えを理解するというより、改心させたり非難したりしようとする傾向がある、というのがキッシンジャーの指摘である。こうした米国外交の一翼を民主主義の輸出という「ご託宣」のもとでネオコンが推進してきたのだ。
そうであるなら、米国政府はこのロシアを改心させたり非難したりする外交のあり方を抜本的に改めなければならない。米国政府は、「悔い改めよ」と言いたい(10月12日に公表された「国家安全保障戦略」[https://www.whitehouse.gov/wp-content/uploads/2022/10/Biden-Harris-Administrations-National-Security-Strategy-10.2022.pdf]をみると、「民主主義国と独裁国との競争」という対立ばかりに力点が置かれ、中国やロシアなどを念頭に改心させたり非難したりする外交姿勢をむしろ際立たせている)。
すでに「賽は投げられた」のだから、もう後戻りはできないのかもしれない。それは、文明の正体が一機に現れ、地球上の生命体の危機をもたらすことを意味することになる。そんな差し迫った状況にあることにもっと注意を向けてほしいと願っている。
こうした事情もあってか、11月14日、ロシアの対外諜報庁のセルゲイ・ナルィシュキン長官は、アンカラで米国のカウンターパートナーである米国中央情報局(CIA)のウィリアム・バーンズ長官と会談した。ロシアのウクライナでの軍事作戦開始後、両国の高官が直接顔を合わせるのは今回が初めてだ。米政権は、今回の会談の主要テーマはウクライナをめぐる紛争の解決ではなく、核のエスカレーションや囚人交換のリスクの軽減であると主張している。
11月9日付の大統領令
『復讐としてのウクライナ戦争』において、精神性や価値観といったものに焦点をあてた私にとって、2022年11月9日付の「ロシアの伝統的な精神・道徳的価値の保存と強化のための国家政策の基礎の承認に関する大統領令第809号」(https://www.garant.ru/products/ipo/prime/doc/405579061/)はきわめて重要な意義をもっている。欧米のマスメディアも日本のマスメディアもウクライナ戦争の本質に迫っていないために、この大統領令の重要性が理解できないのだ。
同大統領令は、2021年7月2日付大統領令「ロシア連邦の国家安全保障戦略について」にかかわっている。これによって承認された「ロシア連邦の国家安全保障戦略」は、「ロシア連邦の国益と戦略的な国家優先事項、国家安全保障とロシア連邦の持続可能な発展の分野における国家政策の目標と目的を長期的に定義する基本的な戦略立案文書である」と定められている。このなかで、「国益」(安全保障と持続可能な開発における、個人、社会、国家の客観的に重要なニーズ)および「戦略的国家優先事項」(国家安全保障と持続可能な開発に関する最も重要な方向性)に関連して「III. ロシア連邦の国益と国家戦略上の優先事項」において、国益が具体的に示され、26項で、「国益は、公的機関、組織、市民社会機関の努力と資源を以下の戦略的国家優先事項の実施に集中させることによって確保され、保護されるものとする」と規定されている。その内容は、1)ロシアの人々の保護と人間の潜在能力の開発、2)国防、3)国家と公共の安全、4)情報セキュリティ、5)経済的な安全性、6)科学技術の発展、7)環境安全保障と天然資源の合理的な利用、8) ロシアの伝統的な精神・道徳的価値、文化、歴史的記憶の保護、9)戦略的安定と互恵的な国際協力――である。
このなかの「ロシアの伝統・道徳的価値、文化、歴史的記憶の保護」こそ、今回の大統領令に関連していることになる。
このなかで、「国家文化政策の基礎」は、2014年12月24日付大統領令「国家文化政策の基礎の承認について」(https://base.garant.ru/70828330/)によって承認された。現在、2021年の国家安全保障戦略に沿った新バージョンを作成中だ。歴史的記憶の保護については、現在、「同基礎」の策定作業の最中にある。今回、「伝統的な精神・道徳的価値の保存と強化のための国家政策の基礎」が承認されたことで、伝統的価値観の観点から優先事項を実行するためにどのように働くかを国家機関に指示できるようになる。「同基礎」を策定したのは、文化省の下部組織、D.S.リハチェフ記念文化自然遺産研究所である。
この「精神・道徳的価値の保存と強化のための国家政策の基礎」では、「伝統的価値観」を、ロシア市民の世界観を形成し、世代から世代へと伝えられ、全ロシア市民のアイデンティティと国の統一文化空間の基礎となり、市民の結束を強める道徳的指針であり、ロシアの多民族国家の人々の精神、歴史、文化の発展において独自の、オリジナルな姿を見出したものである」と定義している。同価値には、生命、尊厳、人権と自由、愛国心、市民権、祖国への奉仕とその運命に対する責任、高い道徳的理想、強い家族、創造的労働、物質より精神の優先、ヒューマニズム、慈悲、正義、集団主義、相互援助と相互尊重、歴史の記憶と世代の継続、ロシアの人民の統一が含まれているという。そのうえで、ロシアは、「伝統的価値をロシア社会の基礎と考え、それによってロシアの主権を守り強化し、多民族・多民族の国の統一を確保し、ロシア国民の保護と人類の潜在能力の開発を実行することができる」と定めている。同時に、「ロシアの伝統的な精神・道徳的価値の保存と強化に関するロシア連邦の国家政策」は、「伝統的価値の保護に関して、ロシア連邦の国家安全保障に対する社会文化的脅威に対抗するために、市民社会の機関の参加を得てロシア連邦大統領とその他の公的機関によって実施される一連の調整された措置である」としている。「同国家政策」は、教育・育成、青少年活動、文化、科学、民族間・宗教間関係、マスメディア・マスコミ、国際協力の領域で実施されるものとされている。
「精神・道徳的価値の保存と強化のための国家政策の基礎」の24項では、国家戦略的優先事項「ロシアの伝統的な精神的・道徳的価値、文化、歴史的記憶の保護」の実施は、伝統的価値の保存と強化のための国家政策の以下の課題の解決を意味するとされている。その課題解決として具体的に示されているのは、①伝統的価値の統一的役割に基づき、市民の団結、全ロシア的な市民アイデンティティ、民族間・宗教間の調和を強化すること、②ロシア連邦の人々の文化遺産(歴史的・文化的記念物)の国家による保護を確保し、歴史認識を形成し、祖国への愛と尊敬を育む環境として、それらの普及のためのアクセスを提供すること、③メディアにおける伝統的価値観の普及を目的としたプロジェクトに対する支援、④国家形成国民の言語としてのロシア語の保護と支持、現代ロシア文学言語の規範の遵守の確保(卑猥な言葉の使用の防止を含む)、外国語の語彙の過剰使用への対抗、⑤独創的な普遍的価値に基づくロシアの伝統的な精神・道徳的価値を促進することにより、世界におけるロシアの役割を強化すること――などである。
注目されるのは、伝統的価値の保存と強化に関する国家政策の目標達成を監視するためとして、公的な統計情報、社会学的調査の結果、伝統的価値の保存と強化に関連する問題状況の監視結果にかかわるデータに基づく適切な指標システムを開発する必要があると定めている点だ。監視強化による目標達成を明確にめざしている。
これは、国家による「ロシアの伝統的な精神・道徳的価値」の強制を強く印象づける内容となっている。国家の強化することでしか、いまのロシアの一体性を維持できなくなっていることの裏返しとして、こうした国家主義的措置を採用するしかない状況にプーチンは追い込まれているとも言える。
現実的な和平に向けて
それでは和平に向けてどうすればいいのか。それを考えるうえで、とても参考になる提案を世界有数の富豪イーロン・マスクがしている。10月3日、彼はウクライナとロシアの和平実現のために、①国連の監視下で、併合地域の選挙をやり直す。ロシアは、それが民意であるならば、離脱する、②クリミアは1783年以来(フルシチョフの過ちまで)、正式にロシアの一部となる、③クリミアへの水の供給は保証される、④ウクライナは中立を保つ――という四つの提案をツイート(https://twitter.com/elonmusk/status/1576969255031296000?ref_src=twsrc%5Etfw)した。さらに、「また、可能性は低いが、この対立から核戦争が起こる可能性があることも特筆すべき点である」(https://twitter.com/elonmusk/status/1576973049277992974)とした。忘れてならないのは、マスクの所有するSpaceXがStarlink(低軌道にある衛星を使って、高速インターネットを携帯端末に転送するもので、現在ウクライナには2万台があるという。そのほとんどは欧米政府が負担しているが、マスクは通常の月額使用料を免除することで貢献している)端末を送り、衛星中継を開始したことで、ウクライナの各都市が重要なサービスを回復し、自国軍が戦場で優勢になった事実である。「マスクはすでにクリミアでのスターリンク利用を求めるウクライナの要請を拒否している」との情報(https://www.economist.com/briefing/2022/10/06/elon-musks-foray-into-geopolitics-has-ukraine-worried)もある。つまり、彼の提案を無視するわけにはゆかない事情もあるのだ。
なお、『タイム』誌のコラムニスト、イアン・ブレマーは、10月12日、「イーロン・マスクはプーチンやクレムリンと直接ウクライナのことを話したと言った。彼はクレムリンのレッドラインが何であるかも教えてくれた」とツイート(https://mobile.twitter.com/ianbremmer/status/1579941475613229056)した。これに対して、マスクとドミトリー・ペスコフ大統領報道官はこれを否定した。米国には、米国と争っている外国と政府の許可がない個人が交渉することを禁じて、違反者へ罰金または禁錮を定めている「ローガン法」なる法律がある。ジョージ・ローガンが「擬似戦争」(1798~1800年)に関連して無許可の交渉を1798年にフランスとした後に、1799年にジョン・アダムズ大統領の時(1799年)に施行されたものだ。この法律のために、マスクの行動は制約されている。
拙著『ウクライナ3.0』において、ヘンリー・キッシンジャーが5月23日、世界経済フォーラムにビデオ参加し、そこでのべた発言を紹介した。「私の考えでは、和平交渉 と交渉に向けた動きは、戦争の結果の概要を説明するために、今後2カ月の間に開始する必要がある。ただその前に、とくにロシア、ジョージア、ウクライナのヨーロッパに対する最終的な関係の間に、これまで以上に克服が困難な動揺と緊張が生じる可能性がある。理想的には、分割線が現状復帰することである」としたのである。つまり、彼もまた、クリミアをロシア領とすることはやむをえない譲歩とみなしている。この譲歩をもとに、ロシアとの和平実現をめざすことが現実和平実現のポイントとなるだろう。そのためには、欧米の武器供与を得て増長するゼレンスキーに対して、多くのウクライナ国民の犠牲について理解させなければならない(注目すべきは、10月10日に「ブルームバーグ」[https://www.bloomberg.com/news/articles/2022-10-10/ukraine-s-allies-can-t-get-arms-fast-enough-as-stockpiles-shrink]が「ロシアのウクライナ戦争が8カ月目に入り、キエフに武器を提供してきたヨーロッパ諸国では、武器が不足しており、防衛関連企業が不足分を補うには何年もかかる可能性がある」と伝えた問題だ)。他方、プーチンに対しても、積極的な説得が必要になる。
9月30日、プーチンは4州のロシアへの加盟式典での演説で、ウクライナに対して、2014年にはじまった戦争、すべての敵対行為を直ちに停止し、交渉のテーブルに戻るよう呼びかけた。だが、ゼレンスキーはプーチンとの和平交渉を拒否している。10月4日、彼は、ウクライナ国家安全保障・国防評議会(NSDC)が決定した、プーチンとの会談を行わないという決定を施行し、プーチンとは和平交渉をしないことを公式に決めた。
10月8日朝に起きたケルチ橋が爆破されるという事件後、その報復としてロシアが10月10日にウクライナ全域のインフラ設備などを標的に広範囲なミサイル攻撃(10月10日から11日にかけて、ウクライナはロシアが発射したミサイルの数は少なくとも119発[https://novayagazeta.eu/articles/2022/10/11/iskandery-v-isterike])を行ったことを受けて、緊急開催したG7サミット後に発表された共同声明(https://www.whitehouse.gov/briefing-room/statements-releases/2022/10/11/g7-statement-on-ukraine-11-october-2022/)では、「ウクライナとの連帯のもと、G7首脳はゼレンスキー大統領による公正な和平のための準備態勢を歓迎する」とされているにすぎない。しかも、その準備に必要な要素として、国連憲章の領土保全と主権の保護、将来のウクライナの自衛能力の保護、ロシアからの資金による手段を含むウクライナの復興と再建の確保、戦争中に犯したロシアの犯罪に対する説明責任の追及があげられており、事実上、和平交渉をするつもりも、停戦するつもりもないことをあからさまに示している。
ウクライナの復興シナリオを想定すれば、即時停戦の必要はだれにでもわかるはずだ(プーチンは、欧米諸国はアフガニスタンに与えた損害を補償し、戦争で荒廃した経済を再建するべきだと提案しているのだが、ウクライナ復興についてはロシアだけでなく、ウクライナに武器を供与しつづけている欧米諸国にも大きな責任があることを忘れてはならない)。その仲介役として、プーチンにもゼレンスキーにも直接会える、トルコのエルドアンが適任かどうかはわからないが、だれかが積極的に働きかけることが求められている。
11月5日付のWP(https://www.washingtonpost.com/national-security/2022/11/05/ukraine-russia-peace-negotiations/)によれば、「米国はウクライナに対し、ロシアとの交渉に応じる姿勢を示すよう内々に要請した」という。さらに、記事は、「米国内の世論調査では、共和党員の間でウクライナ軍への資金援助を現在のレベルで継続することへの支持率が低下しており、ホワイトハウスが火曜日の中間選挙後に、冷戦終結後最大の年間支援額をウクライナに提供してきた安全保障支援プログラムを継続しようとする際に抵抗に直面する可能性が示唆されている」と伝えている。ただし、11月6日付のWSJ(https://www.wsj.com/articles/west-sees-little-choice-but-to-keep-backing-ukraine-11667732754)では、「欧米の外交官は、モスクワとキエフの利害が一致し、双方が勝てると信じていることから、ワシントンとその同盟国は、ウクライナの戦争が交渉によってすぐに終結する見込みはほとんどないと考えている、とのべた」と報じている。
11月15日、G20の席上、ゼレンスキーはビデオ(https://english.nv.ua/nation/president-zelenskyy-s-10-point-peace-formula-full-text-of-speech-to-g20-in-bali-50284154.html)で演説し、ウクライナは自国の領土を取り戻すまで抵抗を止めないだろうとの従来の姿勢を繰り返した。戦争を停止するための10の提案が提起された。それは、下記のとおりである。
- 放射線と原子力の安全性(ウクライナのすべての原子力発電所[4カ所、合計15基]に国際原子力機関[IAEA]ミッションを派遣することを提案)
②食糧の安全保障(穀物輸出イニシアチブは、戦争がいつ終わるかにかかわらず、無期限の延長に値すると信じている)
③エネルギーの安全保障(エネルギーインフラの約40%はロシアのミサイルとイランの無人機の攻撃によって破壊された)
④すべての捕虜と国外追放者の解放(何千人ものわが国民(軍人と民間人)がロシアの捕虜となっている。私たちは、ロシアに強制送還された1万1000人の子どもたちの名前を知っている)
⑤国連憲章の履行とウクライナの領土保全と世界秩序の回復
⑥ロシア軍の撤退と敵対行為の停止
⑦正義(私たちはすでに、ロシアの戦争によって引き起こされた損害に対する国際的な補償メカニズムに関する国連総会決議を提案している)
⑧環境を即座に保護する必要がある「エコサイド」(ロシアの侵略によって、600万頭の家畜が死んだ)
⑨エスカレーションの防止(私たちは協定案「Kyiv Security Compact」を作成し、すでにパートナーに提示している[〈上〉で紹介。詳しくは拙著『復讐としてのウクライナ戦争』を参照])
⑩戦争終結の確認(すべての反戦措置が実施され、安全と正義が回復し始めたら、戦争の終結を確認する文書に当事者が署名する必要がある)
ウクライナの領土の安全性の回復、ロシア軍の撤退、敵対行為によって生じた損害の補償を条件とする、この提案が実現すると考える人はいないだろう。ゆえに、停戦も和平もそう簡単に実現するとは思われない。
和平をめぐる重要なポイントに、ウクライナ内部の情勢があることを忘れてはならない。11月14日付のウクライナ側の報道(https://www.pravda.com.ua/eng/news/2022/11/14/7376350/)によると、ウクライナ軍総司令官ヴァレリー・ザルジニーは、「ウクライナはいかなる状況下でも領土解放への道を歩むことを止めず、いかなる妥協もしない」と米国統合参謀本部議長マーク・ミリー将軍との電話会談で発言した。ゼレンスキー大統領もクリミア半島奪還を含む領土回復が和平交渉の条件としているが、軍部の頑なさに注意しなければならない。もともと、ウクライナ内部には、対ロ強硬派が存在した。彼らがウクライナ戦争における「成功体験」も手伝って、軍内部で大きな発言権をもつようになっている可能性がある。こうした事態も和平交渉を難しくしている面があることを忘れてはならない。
11月17日付のウクライナ側の報道(https://lb.ua/news/2022/11/17/536192_zelenskiy_zayaviv_shcho_proponuvav.html)によれば、ゼレンスキー大統領は、外国のパートナーから、プーチン大統領がウクライナとの直接会談を希望しているというシグナルを受け取ったという。これに対し、ゼレンスキーは交渉の形式を公開することを提案した。これは、ギニアビサウのウマロ・シソコ・エンバロ大統領がプーチンからゼレンスキーにメッセージを伝えるように頼まれたと発言したことに対応している。
ロシア国内へのウクライナ軍による攻撃
12月5日の朝、ロシア国内のサラトフ州エンゲルス市にある、長距離機であるTu-160とTu-95と呼ばれる戦略爆撃機が駐機する軍用飛行場が無人機の攻撃を受けた。その数時間後には、リャザン州にあるジャギレヴォ飛行場でも爆発があった。こちらでは、3人の死者が出た。いずれも、ウクライナ軍がソ連時代の低空飛行ドローンを使って攻撃したものとみられている。ウクライナとロシアとの国境から450キロ以上離れた二つの空軍基地が攻撃されたのは第二次世界大戦後はじめての出来事である。さらに、12月6日には、Su-30SM戦闘機が所属するクルスク州のハリーノ空軍基地にも空爆が行われた。
ウクライナ軍はロシア国内への攻撃を強めており、それがロシアによる報復攻撃を招いている。12月5日、ロシア軍はキーウなどに対して再びミサイル攻撃を開始した。ウクライナ側は70発のミサイルのうち60発以上を撃墜したと主張している。こうした状況がつづくかぎり、停戦や和平の交渉は困難とみられている。
米国報道に変化
興味深いのは、11月下旬になって、米国のマスメディア報道に変化がみられるようになった点である。11月25日付のNYT(https://www.nytimes.com/2022/11/25/us/ukraine-artillery-breakdown.html)では、ウクライナ軍は、米国とその同盟国から供給された大砲を使って、毎日ロシアの標的に向けて何千もの爆発弾を発射しているが、これらの兵器は数カ月の酷使の末に損傷したり破壊されたりしている。このため、ポーランドで修理するものも多く、「キーウに寄贈された西洋製榴弾砲約350基のうち3分の1が常時稼働していない」と伝えている。11月26日付のNYT(https://www.nytimes.com/2022/11/26/world/europe/nato-weapons-shortage-ukraine.html)は、「西側諸国は、S-300防空ミサイル、T-72戦車、とくにソ連製の大砲の砲弾など、ウクライナが今すぐ使えるソ連時代の装備や弾薬がますます不足しているため、必死で探している」と報じている。
こうした米国側の動きを分析したうえで、ロシアの有力誌『エクスペルト』(https://expert.ru/expert/2022/49/postavki-oruzhiya-na-ukrainu-ne-beskonechny/)は、「米国はロシアの軍事的勝利を阻止するために崖っぷちを歩もうとしているが、ウクライナの軍事的大成功をより一層警戒している」と書いている。要するに、ウクライナ側が勝ちすぎると、ロシア側の核兵器使用のリスクが高まると米国側はみている、とロシアの有力誌は分析しているのである。
ただし、こうした状況は必ずしも和平交渉への道筋を開くものではない。12月5日の朝、ロシア国内のサラトフ州エンゲルス市にある、長距離機であるTu-160とTu-95と呼ばれる戦略爆撃機が駐機する軍用飛行場が無人機の攻撃を受けた。その数時間後には、リャザン州にあるジャギレヴォ飛行場でも爆発があった。こちらでは、3人の死者が出た。いずれも、ウクライナ軍がソ連時代の低空飛行ドローンを使って攻撃したものとみられている。ウクライナとロシアとの国境から450キロ以上離れた二つの空軍基地が攻撃されたのは第二次世界大戦後はじめての出来事である。さらに、12月6日には、Su-30SM戦闘機が所属するクルスク州のハリーノ空軍基地にも空爆が行われた。
ウクライナ軍はロシア国内への攻撃を強めており、それがロシアによる報復攻撃を招き、停戦や和平の交渉を難しくしている。
12月9日の安保理
12月9日、ロシアの要請で国連安全保障理事会において、欧米のウクライナへの武器供給について議論された。ロシア側は、武器密輸の心配とは別に、欧米諸国がウクライナへの武器供給によってロシアとウクライナの紛争をさらに激化させ、ヨーロッパ大陸の情勢を不安定にしようとしているとみている。武器供給はウクライナの和平交渉意欲を削ぐ、とロシア側は考えている。これに対して、米国政府は、「ロシアとの戦争」を求めているのではなく、「ウクライナの自衛の機会」を確保するための武器供与を建前としている。だからこそ、ウォール・ストリート・ジャーナルのCEO Council Summitに参加した、アントニー・ブリンケン国務長官は、12月7日、「米国はウクライナのクリミア奪還に協力する気はない」とのべたことになる。この場合の自衛とは、2014年にロシアが併合したクリミア半島を含んでいないというのだ。
12月9日の安保理では、米国代表は、米国政府が10月に「東欧における特定先進通常兵器の不正転用の対策に関する米国の計画」を発表したことを説明した。この計画には三つの柱(①ウクライナ当局と協力して機密・危険な武器を監視・管理する、②ウクライナ国内および周辺の国境管理を強化する、③近隣諸国の法執行能力を強化する)があり、武器転用を防ぐという重大な責任へのコミットメントを一貫して果たしているとした。
国連の軍縮担当トップは、各国に対し、武器が消失し、別の場所で再び姿を現すというリスクに対処するために、効果的な武器管理措置を適用するよう求めた。
12月中旬現在では、米国およびその同盟国は、何らかのかたちで、「必要な限り」ウクライナを支援する用意があるとの立場を崩していない。ただ、フランスなどは、「いつでも交渉できる状態にしておくべきだ」「交渉開始は早ければ早いほどいい」との立場だ。さらに、マクロンはプーチンとのコンタクトを維持すべきと考えているが、バイデンは、そのためには一定の条件が整うべきと考えている。
インドのモディ首相がカギか
12月初頭現在でいうと、和平交渉で大きな役割を果たしうるのは、インドのナレンドラ・モディ首相だろう。それを後押ししているのは、12月1日からインドネシアからG20の議長国をインドが引き継ぎ、2023年に次のG20会合を開催する予定であることだ。11月2日付の情報(https://economictimes.indiatimes.com/news/india/russia-becomes-the-no-1-oil-supplier-for-india-in-october/articleshow/95240329.cms?from=mdr)によれば、ロシアは10月にインドに日量94万6000バレルの原油を供給し、1カ月間で過去最高となった。インドの総原油輸入量の22%を占め、イラクの20.5%、サウジアラビアの16%を上回ったのである。エネルギー関連会社のVortexaによると、10月の原油輸入量は9月と比較して全体で5%、ロシアからの輸入量は8%増加したという。ウクライナ戦争に対するインドの中立的外交政策がロシア産原油の輸出先の受け皿として利用されているのである。
インドはロシアからの武器輸出に依存してきたという過去もある。ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の情報(https://www.sipri.org/media/press-release/2021/international-arms-transfers-level-after-years-sharp-growth-middle-eastern-arms-imports-grow-most)によると、2016~20年の主要武器輸出の20%を占めていたロシアによる武器輸出は、22%減少した(2006~10年とほぼ同じ水準になった)が、この減少の大部分-約90パーセントは、インドへの武器輸出が53パーセント減少したことに起因していたという。さらに、インドによる武器輸入は、2011-15年から2016-20年の間に33%減少した。ロシアがもっとも影響を受けたサプライヤーであったが、インドの米国製武器の輸入も46%減少している。インドの武器輸入の減少は、主にその複雑な調達プロセスに加え、「ロシアの武器への依存度を下げようとしたことが原因であると思われる」と書かれている。それでも、インドとロシアとの武器をめぐる協力関係は堅固であり、モディはプーチンと直接話せる人物なのだ。
すでに前述したように、モディは9月16日、ウズベキスタンのサマルカンドで開催された上海協力機構(SCO)首脳会議終了後、プーチンと会談し、「今は戦争の時代ではないことは分かっている。とくに電話での会話では、何度も話している。民主主義、外交、対話、これらは私たちが解決策を見出すための重要な手段である。将来的には平和が必要であり、そのための話し合いの場があると確信している」と、明確にのべたとされている(http://kremlin.ru/events/president/news/69362)。
G20の議長国就任に合わせてロシアの「コメルサント」に寄稿した記事(https://www.kommersant.ru/doc/5694436)には、「今日、私たちは生き残るために戦う必要はない。私たちの時代は戦争の時代であってはならない」と書かれている。
こうしたことから、モディがウクライナ戦争終結に向けた和平協議の橋渡し役を果たせる可能性が浮上しているのだ。
繰り返される復讐の連鎖
ダリヤ・ドゥーギナ暗殺、ケルチ橋爆破、そして、ダーティボム騒動。これらはみなゼレンスキー本人、ないし、その取り巻きが仕組んだ対ロ戦争激化策なのではないか。そんな疑いが生まれている。もっとも最近の例は、10月29日、ウクライナ軍がクリミアにあるセヴァストポリ軍港を無人機で攻撃した問題に対して、10月31日、ロシア側はウクライナ全土の重要なインフラやその他の標的に数十発の巡航ミサイルを発射した。こうした事件が起きるたびに、ロシア側は復讐心から、ウクライナへの報復が繰り返されているのである。その結果、ウクライナ戦争の終結はますます困難になる。そして、それはゼレンスキー政権の延命につながっている。
こんな復讐の連鎖をいつまでつづける気なのか。こうした疑いの目をもって、いまのウクライナ戦争を直視しなければならない。そうすれば、ともかくも即時停戦および和平交渉着手の重要性がより多くの人々に理解されるようになるのではないか。
ウクライナ復興の困難
停戦を現実的なものにするには、ウクライナ復興を具体的にどう進めるかがカギになる。この見通しがなければ、実際には和平は成立しないだろう。その意味で、世界中の政治家が本腰を入れてこの問題に取り組む必要がある。だが、現状では、復讐感情で対立するウクライナとロシア、欧米諸国とロシアの間において、ウクライナ復興の具体的なシナリオを描くのは困難な状況にある。
11月14日、国連総会において、ウクライナ紛争に関する緊急特別会合を再開するため各国大使が集まり、ロシアに戦争賠償金を支払うよう求める決議案(https://documents-dds-ny.un.org/doc/UNDOC/LTD/N22/679/12/PDF/N2267912.pdf?OpenElement)が採択された。決議案への賛成票は94カ国、反対票は14カ国、棄権票は73カ国だった。決議に反対票を投じたのは、ロシアのほか、中国、ベラルーシ、バハマ、キューバ、北朝鮮、ジンバブエ、エリトリア、中央アフリカ共和国、エチオピア、イラン、マリ、ニカラグア、シリアだ。
決議には、ロシア連邦は、①国際連合憲章に違反する侵略、国際人道法および国際人権法の違反を含むウクライナにおけるまたはウクライナに対する国際法のあらゆる違反について責任を負わなければならず、②そのような行為によって生じた損害を含むあらゆる損害に対する賠償を含む、国際的に不正な行為のすべての法的結果を負担しなければならないことを認識し、③また、ウクライナと協力して、ロシア連邦のウクライナにおける又はウクライナに対する国際的に不当な行為から生じる損害、損失又は傷害に対する補償のための国際的メカニズムの設立の必要性を認識し、④ウクライナにおける、またはウクライナに対するロシア連邦の国際的に不正な行為によって引き起こされた、すべての自然人および法人関係者、ならびにウクライナ国への損害、損失または損傷に関する証拠および請求情報の記録として、また証拠収集の促進および調整として役立つ国際損害登録の作成を、加盟国がウクライナと協力して行うことを推奨する――といった内容が書かれている。
欧米諸国は、国連総会を通じて、凍結されたロシアの資産を押収・処分しようとしているかにみえる。だが、ロシア側は国連総会にはウクライナに対する「賠償金」を徴収するメカニズムを確立する権限はないと、主張している。
実は、イラクのクウェート侵攻と占領を受けて1991年に設立された国連補償委員会(UNCC)の設立をロシアは支持したという過去をもつ。同委員会は2022年2月にその任務を終えたが、520億ドル以上の賠償金を被害者に支払ったという実績がある。ただし、これはイラクが2003年のイラク戦争に負けた結果として可能となったスキームであり、ウクライナ戦争でロシアが敗戦国にならないかぎり、ウクライナへの賠償が実現する可能性は低い。
それどころか、この決議採択に怒ったドミトリー・メドヴェージェフ(ロシア安全保障会議副議長、元大統領)は、韓国、ベトナム、イラク、ユーゴスラビア、その他の米国とNATOの多数の犠牲者に対する完全な賠償に関する同様の決議を国連総会で採択することを提案した。
11月23日に公表された「ノーヴァヤガゼータ・ヨーロッパ」の記事(https://novayagazeta.eu/articles/2022/11/23/kipit-nash-razum-vozmeshchennyi)によると、11月14日の国連決議に賛成した国々では、ロシア中央銀行の約3000億ドルの準備金が封鎖されたという。すでに7月の段階で、EU司法当局のトップ、ディディエ・レンデルス司法委員は、「現時点では、138億ユーロに相当するオリガルヒやその他の団体からの資金を凍結しており、これは非常に大きな額だ」とのべたと、ロイター電(https://www.reuters.com/world/europe/eu-has-frozen-138-bln-euros-russian-assets-over-ukraine-war-official-says-2022-07-12/)が伝えている。ただし、国家資産か民間資産かの違いはあるものの、いずれについても今後どうなるかは未知数だ。
メドヴェージェフは、ロシアの官民資産の没収への対抗措置として、ロシア国内にある外国資産の没収に向けた準備の必要性を説いている。「非友好的」な国の投資家に帰属するロシア国内の資産価値を見積もるのは難しいが、ロシア中央銀行は2022年3月25日の段階で、西側諸国による外貨準備の一部凍結に対し、それに匹敵する額の非友好国への資金移動制限を課したことがわかっている(https://russian.rt.com/business/news/981035-cb-ogranichenie-sredstva-nedruzhestvennye-strany)。外国投資家の資産には、①国や企業が外国の債権者に対して負っている債務、②証券取引所で購入したロシア企業の株式、③実物投資(小売チェーンや工場など)――といったものがある。ロシア政府はすでに、資本移動の制限や外国人投資家の証券売却の禁止措置を導入している。対ロ制裁国の保有者に対するロシア企業の社債や公的債務の支払いは、政府の許可がなければ行えないことになっている。
ただ、これらの資産の没収に向かうかどうかは、欧米諸国がロシア資産を今後どうするかにかかっているように思われる。
ドイツにおけるロシア資産国有化に注目
なお、ロシアの海外資産のうち、ドイツにおけるロシア資産について動きがあった。11月14日、ドイツ経済省は、SEFE(ガスプロムの子会社であったガスプロム・ゲルマニア[旧Gazprom Germania GmbH])を破産させないためにドイツ政府が100%買収し、開発銀行KfWからの融資を118億ユーロから138億ユーロに増額したうえで、その融資の大部分を同社の株式資本に変換する計画を明らかにした。SEFEには、ロンドンを拠点に欧州全域でガスの取引を行うトレーダー、ガスプロム・マーケティング・アンド・トレーディング社、欧州・オーストリアのUGSオペレーター、アストラ社、ドイツのマーケティング会社WIEH社やウィンガス社などが含まれていた。ウクライナでのロシアの軍事行動勃発後、ロシアからのガス供給が減少するなか、ドイツ経済省はガスプロム・ゲルマニアを連邦ネットワーク庁に引き取らせるよう指示した。これに対して、5月、ロシアは報復制裁を発動し、ガスプロム・ゲルマニアグループの企業との取引を一切禁止している。
ドイツ当局は、SEFEの債務超過が迫っており、ドイツのガス供給の安全が脅かされていることが国有化の理由だとしている。すでに、SEFEは今年10月末時点で20億ユーロの損失を出している。この国有化計画は、11月12日に欧州委員会により承認済だ。これが意味するのは、2億2560万ユーロのSEFEの既存の株式資本がゼロになり、現在のロシア人株主の所有権が事実上消滅するということである。その後、SEFE GmbHは同じ額面価格の普通株式を新たに発行する。ヨーロッパにおいてロシア国営企業の資産を完全に国有化するという試みははじめてのことである。
さらに、11月14日、ポーランド国営企業PGNiGとの合弁会社で、ヤマル-ヨーロッパ間の中継ガスパイプラインのポーランド区間を保有するガスプロムのユーロポール・ガズ社(48%)の株式をポーランド当局が外部管理することにした。ポーランドのワルデマル・ブダ開発相は「ポーランド憲法上、強制収用は不可能なので、強制管理の導入を決めた」と説明しているという。9月には、ポーランド政府はガスプロムに対して制裁を発動し、同社の新株予約権および配当金の支払いを凍結した。ロシアは、ポーランドがルーブルでの支払いを拒否したため、5月にポーランドへのガス供給を停止している。
具体的な和平交渉に向けて:2022年12月
具体的な和平交渉では、ドネツィク(ドネツク)、ルハーンシク(ルハンスク)人民共和国(DNRおよびLNR)とウクライナのヘルソン、ザポリージャ両州の取り扱いが問題になる。もちろん、クリミア半島の取り扱いも問題だが、これは2014年にロシアに併合済みであり、2022年2月以降の問題ではない。
DNRとLNRについては、ロシアはその独立を2月21日に承認していた。前述した4州では、9月23日から27日まで住民投票が実施され、DNRとLNRでは、そのロシアへの併合だけが住民投票で問われたのに対して、ヘルソンとザポリージャでは、ウクライナからの分離独立、独立国家の形成、ロシアの一部となることの三つの質問が用意されていた。その結果、ロシア側の情報によれば、DNRでは、99.23%が統合に賛成し、LNRでは98.42%、ザポロージャ州では93.11%、ヘルソン州では87.05%がロシアへの加盟に賛成した(もちろん、この住民投票は「茶番劇」にすぎない。そもそも、各州の有権者数すらはっきりしない。投票開始当初、DNR中央選挙管理委員会は、同共和国の有権者数を155万8000人と発表していたが、9月26日、DNR中央選挙管理委員会のウラジミール・ビソツキー委員長は、有権者数が170万4000人に増加したと発表するなど、めちゃくちゃだった)。9月29日、プーチンはヘルソン州とザポリージャ州の独立を承認した。さらに、9月30日、4州のロシア加盟に関する条約に署名し、条約批准を経て、4州のロシア併合が決定的段階を迎えた。
こうした経緯を踏まえたうえで、これらの地域について、ロシアとウクライナの両政府がどう妥協するのかという大きな課題が突きつけられていることになる。おそらく、ボスニア和平やその後のコソヴォ問題などの経験が貴重なヒントとなるだろう。ただし、ウクライナ戦争の勝敗が決着しないなかで、双方ともに譲歩は難しい状況にある。
12月12日のG7
12月12日に開催されたG7の声明(https://www.whitehouse.gov/briefing-room/statements-releases/2022/12/12/g7-leaders-statement-4/)では、ウクライナの修復、復旧、復興を支援する観点から、ウクライナや国際パートナーとともに、関連する国際機関や国際金融機関と緊密に連携し、複数機関にわたる「ドナー調整プラットフォーム」を設立することになった。このプラットフォームを通じて、継続的な短期・長期支援(とくに短期資金支援についてはファイナンス・トラックの責任において行う)を提供するための既存のメカニズムを調整し、さらなる国際資金や専門知識を調整し、ウクライナの改革課題および民間部門主導の成長を奨励するのだという。プラットフォームのための事務局設置が決まり、「2023年1月のできるだけ早い時期に招集するよう要請する」とされた。
なお、「ファイナンス・トラックの責任において行う」というのは、汚職によって資金が吸い上げられることを防止または制限する試みとして、いわゆる「ファイナンストラッカー」を創設することを意味している。いわば「財務追跡者」を置き、支援金の流用を防止するというわけだ。拙著『ウクライナ3.0』や『プーチン3.0』で指摘したように、ウクライナは少なくとも戦争勃発前まで腐敗が蔓延していた国だから、G7加盟国としても支援に慎重を期すということなのだろう(米国政府は支援した武器に対する監視体制の強化もはかっている)。
声明の8項目において、「現在までのところ、ロシアが持続可能な和平努力に取り組んでいるという証拠は見受けられない」として指摘されている。「ロシアがウクライナに対する攻撃を停止し、ウクライナの領土から完全かつ無条件に軍を撤退させることによって、この戦争を直ちに終わらせることができる」との認識のもとで、「私たちは、ゼレンスキー大統領の公正な和平のためのイニシアチブを歓迎し、支持する」としている。おそらく、このイニシアチブは前述した10の提案を指しているのであろう。これでは、和平実現は困難な状況にあると言わなければならない。
メルケル発言の重み
こうなると、「時間稼ぎ」という悪夢が現実味を帯びてくる。それは、いわゆる「ミンスク合意」の繰り返しになりかねない。この論点については、2022年12月7日、ドイツの『ツァイト』誌に掲載された、アンゲラ・メルケル前首相のインタビューが関係している。「ニューヨーク・タイムズ」も「ワシントン・ポスト」も無視を決め込んでいるこの発言はきわめて重大な意義をもっている。
2022年12月7日、ドイツの『ツァイト』誌に掲載されたインタビュー(https://www.zeit.de/2022/51/angela-merkel-russland-fluechtlingskrise-bundeskanzler/komplettansicht)のなかで、アンゲラ・メルケル前首相が、「2014年のミンスク合意は、ウクライナに時間を与えるための試みだった。また、ウクライナはより強くなるためにその時間を利用した」とのべたことがロシアにおいて大きな波紋をよんでいる。
なぜかといえば、これが事実とすれば、ドンバス和平を実現するために結ばれたミンスク合意がロシアに和平を実現すると見せかけて時間稼ぎをするための手段にすぎず、その間にウクライナ側の軍事増強がはかられていたことになるからだ。そして、2021年春以降、ウクライナ側からロシアへの挑発を活発化し、ロシアを戦争に駆り立てたのではないか、との憶測が真実味を帯びることになる。
いわば、プーチンはミンスク合意の実現を誠実に信じていたのに、この合意を結んだ当事者およびそれを見守ったドイツやフランスの首脳は、あくまで時間稼ぎのために合意したにすぎないことになる。プーチンはだまされていたという結論になりかねない。
この発言を聞いたプーチンは12月9日、「正直なところ、私にとってはまったく予想外の出来事だ。残念な結果になってしまった。前連邦首相からこのような話を聞くとは、正直言って思っていなかった」とのべた。「私は常に、連邦共和国の指導者が我々に対して誠実に行動しているという前提で話を進めてきた」というプーチンにとって、ミンスク合意を保証したドイツ、フランス、そしてウクライナおよび裏で糸を引いていた米国にだまされたといいたいのかもしれない。
その後、12月21日に開催された国防省拡大幹部会において、プーチンは、メルケル、ポロシェンコ(ペトロ・ポロシェンコ・ウクライナ大統領)やその他の政治家による、ミンスク協定の真のねらいに関する暴露の後、「ロシアがウクライナ紛争の原因ではなく、2014年にキエフで西側の資金によるクーデターを起こし、反ロシア勢力を政権につけ兄弟民族の分断をもたらしたことが誰にとっても明らかになったのである」とのべた。
メルケルの発言は、その直後においても、ロシア側を大きく揺さぶった。
まず、12月8日、ロシア外務省のマリア・ザハロワ報道官は、「2014年から2015年にかけて行われたことはすべて、現実の問題から世界社会の目をそらし、引き延ばし、キエフ政権に武器を持たせ、問題を大きな紛争に導くという一つの目的があったのだ」とした。下院議長のヴャチェスラフ・ヴォロディンはテレグラムにおいて、「ドイツとフランスはウクライナで起きていることに対して道徳的、物質的な責任を負っている」として、ドンバスの人々に8年間の大量虐殺と被害に対する補償を支払わなければならないだろうと主張した。
「ミンスク合意」から読み解く
メルケル発言の真意を読み解くには、「ミンスク合意」について説明するところからはじめなければならない。拙著『ウクライナ3.0』では、つぎのように説明しておいた(82頁)。
「ミンスク合意は、2014年9月と2015年2月に締結された。2014 年の合意には、ロシア主導の軍が大規模な戦闘でウクライナ政府軍とボランティア軍を破った数日後に署名された12項目のミンスク議定書(2014年9月5日付)と、停戦と国際監視団のための措置をまとめたフォローアップのミンスク覚書(9月19日付)が含まれていた。ミンスク議定書は、戦闘を終わらせることも、紛争の政治的解決を促すこともできなかった。ウクライナとロシア、そしてフランスとドイツの指導者たちは、再び大規模な戦闘が発生した 2015年2月に再び会合を開き、「ミンスク2」と呼ばれるより詳細な「措置パッケージ」(「ミンスク協定遂行措置」)を策定した。プーチン、ポロシェンコ、メルケル、オランドは 2015年2月12日に採択・署名した同措置を承認した。」
「「ミンスク2」は、ロシア、ウクライナ、欧州安全保障協力機構(OSCE)の代表者(いわゆる3カ国間コンタクトグループのメンバー)がウクライナ東部のロシア代理当局とともに署名したものである。同合意はノルマンディー 4人組(またはノルマンディー方式)と呼ばれるより広範な国際グループによって支持されている。フランス、ドイツ、ロシア、ウクライナの4カ国がそれである。なお、米国の名前がないのは、ウクライナのポロシェンコ政権の背後で、米国政府が事実上、これを指導していたためである。」
この「ミンスク2」の11項目では、地方分権を含む憲法改正と、ドネツクとルハンスクの特定地域の特別な地位に関する恒久的な法律を、非政府支配地域の代表と合意して制定することが定められた。12項目には、ドネツクとルハンスクの特定の地域で、それらの地域の代表者との合意の下、OSCE の基準に従って地方選挙が実施されることも決まった。
「ミンスク2」がまとまった背景には、ウクライナ側の敗走があったことは間違いない。『ウクライナ3.0』では、2015年1月、ドネツク空港を失った後、「さらに、数週間後、ドネツ ク州とルハンスク州の境にあるデバリツェヴォでの戦争が激化、ウクライナ軍は撤退する。このころに結ばれたのが第二次ミンスク協定(「ミンスク2」)だ」と書いておいた。つまり、ウクライナ側としては、妥協しなければ、みすみすドンバスを失いかねないほどの痛手を負っていたのである。だからこそ、最初に紹介したインタビューのなかで、メルケルは、「2015年初頭のデバルツェヴォの戦闘が示したように、そのときプーチンは簡単に奪取できたはずだ」とまでのべている。
つまり、ウクライナの大幅譲歩として結ばれた「ミンスク合意」であったから、それを実現しようとすると、国内の過激なナショナリストの猛反発を受けることになる。彼らからみると、このミンスク合意はドンバス地域がウクライナから分離することを意味し、決して受け入れられない内容であったのだ。だからこそ、ミンスク合意を履行しようとすると、ウクライナ国内の過激なナショナリストが公然と反対運動を展開したのである。
「シュタインマイヤー方式」への疑念
ミンスク合意が「時間稼ぎ」のために結ばれたものであったとすると、ミンスク合意の具体的な履行への前進とみられていた、いわゆる「シュタインマイヤー方式」もまた、最初から実現を前提としていなかったことになるのだろうか。
説明しよう。2015年の「ミンスク2」はなかなか実現に向かわなかった。そこで、当時、ドイツの外相だったフランク=ヴァルター・シュタインマイヤー(2017年2月から大統領)は、ウクライナによるドンバスの特別地位の承認と欧州監視下のドンバスでの完全選挙を前提とする「シュタインマイヤー方式」を提唱する。
2019年10月1日、3カ国間コンタクトグループ(ウクライナ、未承認のドネツク人民共和国[DNR] とルハンスク人民共和国[LNR]、ロシア、仲介役の OSCE の代表者)は、ミンスクにおいて、「シュタインマイヤー方式」に合意する。この合意は、同年12月のノルマンディー 4 カ国首脳会議(ロシア、ウクライナ、フランス、ドイツ)の一環として行われたプーチンとゼレンスキーの初会談のモスクワ側の主要条件であった。
実は、この合意は簡単なものではなかった。『ウクライナ3.0』に書いたように、この合意は、9月18日の3カ国間コンタクトグループ会議で署名されることになっていたが、ウクライナを代表して参加している レオニード・クチマ元ウクライナ大統領は、この文書がウクライナのマイダン革命を再び引き起こすかもしれないとして、署名を拒否したのだ。そして、やがてこれが現実となり、キーウのマイダン広場にドンバス地域をウクライナから分離しかねない動きに反対する勢力が集結する事態を招くのである。
すなわち、10月6日には、ウクライナの20都市で、「シュタインマイヤー方式」への合意に反対する抗議デモが開催される。キーウ中心部では、約1万人規模の最大のデモが行われた。この動きこそ、ミンスク合意をロシアへの譲歩とみなし、あくまでクリミア奪還をめざす超過激なナショナリストがその気になれば、再びクーデターを起こし、現政権を崩壊させるだけの力をもっていることを示したものだったのである。
ナショナリストはその後もますます力をつけ、暴力による奪還さえ目論むようになるのだ。ウクライナのこうした内情にもかかわらず、この合意をもとに、2019年 12 月 9 日、パリでノルマンディー 4カ国首脳会議(ゼレンスキー、プーチン、メルケル、マクロン)がドンバス和平の共同合意(https://www.president.gov.ua/ru/news/zagalni-uzgodzheni-visnovki-parizkogo-samitu-v-normandskomu-58797)に達する。だが、案の定、この合意にある「2020 年 3 月末までに軍と資産を切り離すことを目標に、三つの追加切り離し地点についてコンタクトグループ内で合意することを支援する」といった目標は達成されず、「合意事項が確実に実行されるように外務大臣や政治顧問に依頼し、地方選挙の実施を含めた政治・安全保障上の条件を協議するために、4 カ月以内にこの形式で再開することに合意する」という文言は実現しなかった。
それは、シュタインマイヤー方式を前提とするドンバス和平共同合意が、まったくの「でまかせ」であったことを意味するのだろうか。
米国の影を追え
実は、この問題を解くには、ドンバス和平に表立って登場しない米国政府の影を追う必要がある。そのために参考になるのは、ロシア科学アカデミー欧州研究所ドイツ研究センター長のウラジスラフ・ベロフの見方(https://expert.ru/expert/2022/50/angela-merkel-strannyye-zayavleniya-naschet-minska/)である。彼は、前述のメルケル発言についてつぎのようにのべている。
「彼女はいま、欧米のマスコミから、この発言でモスクワに贈り物をしたと非難されている。悔い改めないからと迫られている。間接的には、『アンゲラ、私たちは皆、ロシアの熊に対抗してここに集まっているのに、あなたは拒否している』と聞こえる。しかし、彼女は一体何を言ったのか? 私、メルケルが2013年11月に想定した紛争を解決しようとしたが、その後、調停を許されず、2015年にそのような解決策を提案したのに、失敗したこと。そういうことだ。メルケル首相が世界の運命を悟ったのは、2021年8月、お別れツアーでゼレンスキーに会った後だった」
ベロフによれば、メルケルは二重基準をもたない誠実な政治家である。その彼女が約1年にわたる沈黙を破って、一連のインタビューで語ろうとしている真意に気づかなければならない。ドイツではすでに彼女を黙らせ、局面を縮小させようとしているようにみえる。だが、「2014年のミンスク合意は、ウクライナに時間を与えるための試みだった」とあえて発言したメルケルには、2013年11月の段階から、メルケルによるロシアとウクライナとの調停活動を妨げる「大きな力」が働いていたことを示唆したい想いがあるのではないか。当時のバラク・オバマ大統領や、ウクライナを担当していたジョー・バイデン副大統領、同地域の直接の担当者ヴィクトリア・ヌーランド国務省次官補がこの「大きな力」そのものであったのではないかと想像される。
2013年11月のウクライナ情勢
ここで、2013年11月のウクライナの情勢を思い出してみよう。2013年の段階で、当時のヴィクトル・ヤヌコヴィッチ大統領がかかえていた難題はウクライナ経済の立て直しであった。ヤヌコヴィッチが大統領に就任した2010年に、それまでの国際通貨基金(IMF)からのスタンド・バイ・アレンジメント(SBA)と呼ばれる融資条件を取消し、新たなSBAに基づく融資を受けることにする。IMF理事会は同年7月28日、ウクライナ当局の経済調整・改革プログラムを支援するため、29カ月間の100億SDR(約151億5000万ドル)のSBAを承認した(資料[https://www.imf.org/en/News/Articles/2015/09/14/01/49/pr10305]を参照)。
ところが、2011年になって、ウクライナ政府が国内のガス価格を引き上げるという約束を破ったため、IMFはウクライナに対する融資の一部を凍結する。その後、ウクライナはますます深刻な経済危機に直面するが、こうした過去の経緯もあって、IMFはウクライナへの追加支援交渉において家庭の公共料金の値上げや政府の支出制限といった厳しい条件をつきつける。それに助け舟を出したのがプーチンだ。
ロシアがその国民福祉基金から150億ドルを使ってウクライナのユーロ債を購入し、ロシアの国営エネルギー会社ガスプロムがウクライナに輸出するガス価格を引き下げ、ウクライナに年間約20億ドルの節約をもたらす、と2013年12月に発表したのだ。これは、11月にヤヌコヴィッチがEUとの広範囲な政治・自由貿易協定への署名を断念したことの見返りとみられた。こうしたヤヌコヴィッチのロシアへの接近が反政府勢力によるヤヌコヴィッチ政権打倒への勢いを強めることになる。すでに、11月24日に武力衝突が起きていたが、この武力による政権打破の動きが加速化するのである。
こうした動きを後押ししていたのが当時米国務省次官補だったヴィクトリア・ヌーランドである。いわゆる「ネオコン」(新保守主義者)の代表格の一人である彼女は12月6日に首都キーウの独立広場(マイダン)でピケをはる反政府勢力を激励する。同月15日には、当時上院議員だったジョン・マケインも同じ行動に出る。彼らの行動をわかりやすく言えば、日本の霞が関の経済産業省、財務省、外務省、農林水産省のある交差点の経済産業省側で核発電所反対のピケを張っていた人々のところへ中国外交部のナンバー2とかナンバー3の人物や中国共産党幹部が激励に訪れるようなものであり、米国政府幹部や米国の政治家がこんな大胆な行動をとっていたことの意味を想像してほしい。
マイダンにいた多くは米国が支援してきたナショナリストたちであった。米国は、ウクライナ国内で冷遇され貧困にあえぐ西部住民を焚きつけて反ロシア・親米のウクライナ政権樹立をめざすナショナリズムを高揚させようとしてきたのである。このナショナリズム煽動工作は、失業率が高く、くすぶっていた若者を取り込むことに成功し、彼らに武装闘争を仕込むまでになる。
ヌーランドは当時の駐ウクライナ米国大使ジェフリー・パイアット、野党のアルセニー・ヤツェニュークなどと毎日のように連絡を取り合い、ウクライナ政府の人事などにも介入する。そのいったんは、オリバー・ストーン監督の「ウクライナ・オン・ファイヤー」(https://www.youtube.com/watch?v=twWOyaY-k6o)のなかでも紹介されている。盗聴結果のリークがはっきりと映し出されている。このなかで、ヌーランドが「ファックEU(欧州連合)」と話している部分も紹介されている。この会話は事実であり、彼女はこのリーク後、謝罪に追い込まれる。
ここまでの記述からわかるように、2013年11月当時、ヌーランドらが中心となって、ナショナリストを利用したヤヌコヴィッチ打倒運動が仕組まれていたことになる。EUを小ばかにしたネオコンは、ウクライナ問題へのメルケルによる「干渉」を許さなかったのである。それからずっと、ウクライナは米国政府の掌の上に置かれることになるのだ。
ネオコンは、過激なナショナリストを煽動して彼らが親ロシア派とみなすヤヌコヴィッチを政権から追い出すことに成功した。しかし、ナショナリストによるロシア系住民への暴力がプーチンの干渉を引き起こし、クリミア併合という思いもかけない事態になる。だからこそ、ネオコンはドンバスでの紛争をきっかけにロシアとの戦いを通じて、ドンバスだけでなくクリミアの奪還をもめざすようになるのだ。
そのためには、ウクライナにおける過激なナショナリストは米国政府にとってなくてはならぬ存在となる。だからこそ、ペトロ・ポロシェンコ大統領という親米政権が誕生しても、彼らの武装解除は不徹底で、2014年春の暴動の責任も問われなかった。その結果、米国政府はいつでも彼らを利用して、再びマイダンでひと騒動起こすことができたのである。その証拠が前述した2019年10月6日の大規模デモということになる。
米国政府の重い責任
このようにみてくると、「2014年のミンスク合意は、ウクライナに時間を与えるための試みだった」というメルケルの発言は、ミンスク合意そのものを裏で操っていた米国政府がこうした「時間稼ぎ」にコミットしてきたことを暗示しているように思えてくる。
メルケル自身が最初からこの「時間稼ぎ」策に気づいていたのか、それとも、シュタインマイヤー方式の提案時点でも気づいていなかったのかは判然としない。紹介したベロフは、シュタインマイヤー方式の提唱ころまでは、メルケルは誠実にミンスク合意を履行させようとしていたとみなしている。
いずれにしても、メルケルはある時点で、米国の「時間稼ぎ」という目論見に気づく。そして、米国政府がロシアと戦争をしたがっている事実に呆然とするのである。それは、2021年8月以降のことだった、とベロフはみている。
ここまで書いたことが的を射ているならば、やはりウクライナ戦争のはじまりを2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻にみるのは早計であることがわかる。むしろ、2013年秋から2014年2月のクーデター(米国政府が支援)にこそ、ウクライナ戦争の大元があると考えるほうが正しいように思えてくるからだ。そうなると、米国、ドイツ、フランスの責任はきわめて重い。だからこそ、これらの国々はウクライナ戦争の全責任をロシアだけに負わせ、自らの責任を隠蔽しようとしているように思えてくる。その証拠に、12月13日現在、「ニューヨーク・タイムズ」も「ワシントン・ポスト」も、このメルケル発言について報道していない。無視することで、米国政府の責任に気づかれたくないのではないかと疑わせるに十分なのだ。
こうした暗い過去を知ると、今後、ウクライナ戦争を終結させる和平協定が結ばれたとしても、戦争に決着がついていない段階での勝者なき協定では、その効果は時間稼ぎでしかなく、ミンスク合意と同じように、将来、再び戦火を交える可能性が高いことがわかるだろう。だからといって、このまま戦争をつづけていいはずはない。
できれば、メルケルには、「本当のこと」を語ってほしい。それを知ることで、はじめてミンスク合意の顚末を繰り返さないようにすることにつながるはずだからである。同時に、G7の議長国となる日本は、本当の「悪」の存在に気づかなければならない。
私は拙著『復讐としてのウクライナ戦争』の第1章の注において、笠井潔著『煉獄の時』を紹介し、そのなかの記述、すなわち、「二つの悪のどちらかを選ばなければならない場合には、より小さな悪を選ぶしかない」が「私の心をいまでも離さない」と書いた。
プーチンの悪はあまりにも明らかだ。それに対して、侵攻を受けたウクライナや米国が善ということには決してならない。大切なことは、悪の存在を知り、複数の悪に対してどう対処するかを真摯に問うことである。複数の悪に機序をつけ、より小さな悪にも目を瞑らないようにしなければ、結局、悪ははびこりつづけるだろう。その悪の一つがネオコンなのである。
キッシンジャーの和平案
キッシンジャーは2022年12月17日、「世界大戦を回避する方法」というタイトルの記事(https://www.spectator.co.uk/article/the-push-for-peace/)を公表した。そのなかで、フィンランドとスウェーデンのNATO加盟後では、ウクライナを中立とする選択肢は意味をもたず、ウクライナをNATOにつなぐための和平プロセスこそ望ましいとの基本的立場が表明されている。そのうえで、停戦ラインは「2月24日に戦争が始まった場所にある国境に沿って設定する」ことを提言している。それが意味するのは、ロシアが10年近く前に占領したクリミアを含む領土を放棄しなくてもよいということだ。ただし、クリミアなど10年近く前に占領した地域については、停戦後に交渉の対象とすることができる。
「戦前のウクライナとロシアの分断線が戦闘や交渉によって達成できない場合、自決の原則に頼ることも検討できる」としている。すなわち、国際的な監督下にある自決に関する住民投票によって、その地位や帰属先を定めるのである。
キッシンジャーはさらに、戦争によって無力化されたロシアが望ましいと考える人もいるが、自分はそうは思わないとしている。ロシアはその暴力的な性向にもかかわらず、半世紀以上にわたって世界の均衡とパワーバランスに決定的な貢献をしてきたのであり、その歴史的役割を低下させるべきではないというのだ。ロシアが解体されたり、戦略的政策能力が失われたりすれば、ユーラシア大陸にまたがる広大な領土が争いの絶えない真空地帯と化す可能性がある以上、そんな事態は避けなければならないというわけだ。しかも、ロシアが核兵器大国である以上、こうした混乱は世界全体に深刻なものになりかねない。
私は彼の提案をリアリズムに基づく真っ当な提案であると考える。
ゼレンスキーの訪米
12月21日、ゼレンスキーはウクライナ戦争勃発後、はじめて海外を訪問した。米国ワシントンDCに降り立ち、バイデンと会談したのである。二人は18億5000万ドルの軍事支援パッケージの一部として、パトリオット防空ミサイルシステムをウクライナに譲渡することを確認した。ゼレンスキーの米議会出席は、ウクライナに対する449億ドルの緊急安全保障・経済支援を含む1兆7000億ドルの歳出パッケージを可決しようとするなかで行われた。
12月20日、議会で発表された巨大な年間歳出法案には、ウクライナに対する440億ドル以上の緊急支援が含まれていた。バイデン大統領が11月中旬に要請した額よりも数十億ドル多く、この440億ドル超の大部分は軍事費で、ウクライナ軍の武装と装備、およびキーウに送られる国防省の備蓄兵器の補充に200億ドル近くがあてられる。もし議会がこれを可決すれば、ロシアが2022年2月に侵攻して以来、ウクライナに対する米国の援助は、四つの緊急支出パッケージにわたって割り当てられ、1000億ドル以上に達することになる。
ゼレンスキーは会談後の記者会見で、「戦争が長引けば長引くほど、この侵略が長引けば長引くほど、復讐のために生きる親が増えるだろう」とのべた。「だから、押しつけられた戦争に正当な平和はありえない」(“So there can’t be any just peace in the war that was imposed on us.”)と通訳を使わず、たどたどしい英語で話したという(https://www.nytimes.com/2022/12/21/us/politics/zelensky-visit-washington-biden.html)。
ここで注目されたのは、“just peace”という言葉である。「正当な平和」と訳したが、“just war”を「正戦」と訳すことに倣えば、「正義の平和」と意訳できるかもしれない。ロシア側の報道では、この“just peace”をどう理解しているのかとの記者からの質問に対して、ゼレンスキーは「私たち全員にとって、平和はさまざまな意味で公正であるような気がする。大統領としての私にとっては、私たちの土地、領土の保全、主権について妥協は許されない」と答えたうえで、これは賠償を意味するものであると付け加えたという。
しかし、これでは現実の和平はまったく進みそうもない。
補論 ノルドストリーム爆破について
第7章において、ノルドストリーム爆破事件についての説明を間に合わせることはできた。だが、その後の展開を含めたより詳しい説明が必要であると考えている。そこで、ここではロシア誌『エクスペルト』に掲載された記事(https://expert.ru/expert/2022/40/zakat-yevropy/)を参考に、この事件についての補足説明をしたい。
犯人は米軍か
9月26日に起きたノルドストリームとノルドストリーム2の爆破事件について、実に気になる記述がある。「観測筋は、揚陸艦USS キアサージの指揮下にある米軍艦の一団が1カ月ほど漏水域にいたことに注目している。そして、その一団は爆発やガス漏れの検知と驚くほどシンクロして、その作戦行動を完了した」というのである。
爆破があったのは、水深50メートル程度とみられ、ルートの大部分の推進が約100メートルであることを考慮すると、爆破作業が比較的容易であった場所が選ばれたことになる。ダイバーが爆弾を仕掛けることもできるし、軍事用の無人潜水機(UUV)でも可能だ。記事には、「NATO諸国は相当数のUUVを就航させており、標的攻撃も可能な技術仕様(誘導カメラやソナー)、100kg以上の爆発物を搭載できる最大積載量を備えている」とある。その後、プーチンは爆発現場では深さ5mのクレーターが二つ見つかり、40mのパイプが破裂し、259mの断裂が形成されたことを明らかにしている。
紹介したのは、あくまでロシア側の見方にすぎない。欧米には、逆に、ロシアが自ら破壊工作により天然ガス価格の短期的上昇による混乱拡大などをねらったものだとする観測もある。その根拠として、ロシアにはロシア語の頭文字をとってGUGIと呼ばれるロシアの深海調査主管庁があり、さまざまなスパイ船や特殊潜水艦(とくに7月に就役した世界最大の潜水艦ベルゴロド)を保有しており、非常に深い海域で活動することが可能であるからだという(https://www.economist.com/international/2022/10/20/vladimir-putin-says-the-worlds-energy-infrastructure-is-at-riskを参照)。
11月11日になって、雑誌Wired(https://www.wired.co.uk/article/nord-stream-pipeline-explosion-dark-ships)は、爆破が起きる直前の数日間、船舶の位置を追跡する装置(トラッカー)をオフにした2隻の大型船舶が、漏水現場の周辺に出現していたことが判明したと伝えた。衛星データ監視会社SpaceKnowの分析によると、2隻の「暗黒船」はそれぞれ全長約95~130mで、ノルドストリーム2の漏洩現場から数マイル以内を通過していたという。SpaceKnowは船舶を特定すると、爆破事件を調査しているNATOの当局者にその調査結果を報告したと報じている。
スウェーデンの検察当局が11月18日に発表したところによると、ノルドストリームのガスパイプラインが破裂した現場から集められた破片から爆発物の痕跡が見つかり、「重大な妨害行為」であることが示されたという(https://www.nytimes.com/live/2022/11/18/world/russia-ukraine-war-news#swedish-investigators-find-traces-of-explosives-on-debris-from-the-ruptured-nord-stream-pipelines)。
12月21日付の「ワシントン・ポスト」は、「ノルドストリーム攻撃の背後にロシアがいるという決定的な証拠はない」(https://www.washingtonpost.com/national-security/2022/12/21/russia-nord-stream-explosions/)という記事を掲載している。記事では、「多くの政府関係者が、攻撃を行う能力や動機を持つ可能性のある他の国や過激派グループを考慮することなく、モスクワを非難したことに遺憾の意を表明している」と指摘している。ロシア犯行説を公然としていたのは、爆発から4日後の9月30日、ジェニファー・グランホルム米エネルギー長官であり、BBCに対し、ロシアが原因であると「思われる」とのべたという。あるいは、ドイツのロベルト・ハベック経済相も、一貫して責任を否定してきたロシアが爆発に関与していることを示唆した。「ロシアが「私たちではない」と言うのは、「私は泥棒ではない」と言うようなものだ」と、ハベックは10月初旬に記者団に語ったという。責任ある立場の政治指導者の低能ぶりにあきれかえる。
なお、海底パイプライン用のパイプは、高級炭素鋼(「ポトックス」の場合、鋼壁の厚さは最大41ミリ、外側は製造工場でエポキシとポリエチレンの3層コーティングが施される)でつくられている。配管には、いわゆるカソード保護(保護すべき面にマイナス電位をかけること)が施されている。電極は決められた間隔でパイプに溶接され、直流電源に接続されたアノードケーブルで接続される。このようにして、腐食プロセスは陽極に移行し、保護すべき表面では非破壊的な陰極プロセスのみが行われる。パイプにはオブチュレーションと呼ばれる加工が施される。特殊プラント(Nord Stream 2の場合はVolzhsky、Finnish Kotka、German Mukranの三つ)では、パイプの外側を60~110ミリの厚さのコンクリート層で覆っている。塗膜は本体に溶接された鉄筋で補強され、コンクリートには加重フィラーとして鉄鉱石が添加されている。ウェイトコート工程を経た長さ12メートルのパイプの重量は約24トン(初期重量は最大12トン)。この構造により、環境への影響だけでなく、船の錨が誤って「着水」するような人為的な影響からもパイプラインを確実に保護することができると考えられている。ゆえに、今回の爆発は人為的な爆破以外に考えられないことになる。
プーチンは10月12日、国際フォーラム「ロシア・エネルギー・ウィーク」全体会議で講演し、ノルドストリームの妨害工作の黒幕として、「ロシアとEUの関係を永久に断ち切り、ヨーロッパの政治的実体を永久に損ない、殺し、その産業の潜在力を弱め、市場を手に入れたいと考えている人物」をあげ、その受益者として、「エネルギー資源を高値で供給できるようになったアメリカ」を名指しした。
デンマーク当局は10月18日、3週間前に「強力な爆発」によってノルドストリーム 1と2の天然ガスパイプラインが破裂したと発表したが、その原因については明言を避けた(https://www.nytimes.com/live/2022/10/18/world/russia-ukraine-war-news#nord-stream-pipeline-leaks-explosions-russia)。なお、デンマーク、ドイツ、スウェーデンの3カ国は、この事件について個別に調査を開始しているが、まだその調査結果は公表されていない。
10月29日、ウクライナ軍がクリミアにあるセヴァストポリ軍港を無人機で攻撃した問題(ロシア国防省は9機の飛行ドローンと7機の海上ドローンによって行われたと発表)に関連して、ロシア国防省は、攻撃の準備はミコライフ州オチャコフに駐在する英国の専門家が主導していたとした。同時に、9月26日のノルドストリームへの攻撃の計画・提供・実施に英国海軍が関与していたと主張した。英国政府は2014年以来、ウクライナの枯渇した海軍の訓練などを支援しており、2021年にはクリミア近くの黒海に駆逐艦「HMSディフェンダー」を派遣してウクライナへの支援を示したこともある。米国政府高官は10月30日に、米国は29日の攻撃を支援していないとのべたが、米国が4月に最初に提供すると言った遠隔操作の沿岸防衛船については、一貫してあいまいであったという(NYT[https://www.nytimes.com/2022/10/31/us/politics/russia-ukraine-ships-drones.html]を参照)。
ロシア国防省は10月30日、英国の指導の下、ウクライナ政権が使用した海上ドローンの残骸を回収したと発表した。無人偵察機のナビゲーションシステムによると、オデーサ付近のウクライナ沿岸から発射され、穀物取引の下で食料品の輸送に指定された黒海の領域を移動したと主張している。
だからこそ、穀物輸送のための回廊の安全性が脅かされたとして、7月に結ばれた黒海穀物協定からロシアは離脱すると表明したわけだ(詳しくは「黒海穀物協定をめぐって」[https://www.21cryomakai.com/%e5%ad%a6%e8%a1%93%e9%96%a2%e9%80%a3/1492/]を参照)。だが、11月2日、ロシアは穀物取引に復帰することを発表した。国防省のイーゴリ・コナシェンコフ中将が、ロシアの黒海粒子構想への参加を再開することを明らかにしたのだ。ロシア側は、ウクライナから穀物回廊を対ロシア戦闘行為に使用しないとの書面による保証を得たという。トルコのエルドアン大統領の仲介によるものとみられている。11月17日には、同協定の120日間の延長が発表された。
保険金支払いについて
どちらのパイプラインも、外国の保険会社に保険をかけていた。保険事故が認められた場合、支払額は数十億ユーロに達する可能性がある。紹介したエクスペルトの記事には、「パイプラインの建設費用である170億ユーロに上るとの試算もある」との記述もある。
保険金支払いとなれば、保険会社が保険金を支払った後で、犯人に賠償を請求することになる。「保険契約の条項でカバーされない事象であれば、すべての損害はパイプラインの運営者または所有者の負担で補償されることになる」という。その場合、パイプライン運営会社が自ら罪人を捜すことになる。
ユダヤ系米国人らが強い影響力をもつ保険業界の出方が注目される。
今後の欧州向けガス輸出
ロシア国営のガスプロムは欧州に向けて、①ノルドストリーム、②ノルドストリーム2、③ヤマル・ヨーロッパ、④ウレンゴイ-ウジゴロド、⑤ソユーズ(オレンブルグ-ソ連西国境)、⑥プログレス(ヤンブルグ-ウジゴロド)、⑦トルコストリーム、⑧ブルーストリーム――という天然ガス輸送パイプライン(PL)を利用できる。だが、①については、2本のラインが爆破される前から、ガスプロムはガス供給を停止していた。ガスプロムは9月2日、シーメンス・エナジーのタービン「トレント60」のメンテナンス中に不具合が見つかったため、ノルドストリーム・パイプラインを完全に停止すると発表したのだ。②については、PLは完成済みだが、ガスパイプライン「ノルドストリーム2」の運営会社であるNord Stream 2 AGのドイツでの登録が認められないまま放置されてきた(2月に登録問題を棚上げ)。
ポーランドを通過する③については、今年5月初旬、ガスプロムがEuRoPol GAZパイプラインのポーランド区間を運営している会社に対し、ガスプロムの49%の株式をワルシャワが不法に収用したことを受けて制裁を課し、ヤマル-ヨーロッパPLは通過できなくなった。なお、ポーランドはデンマークを経由してノルウェーとポーランドを結ぶガスパイプライン「バルティック・パイプ」の運用を10月1から開始した。公称輸送量は年100億㎥だ。だが、ノルウェーからの納入量は、2023年末には65億㎥、2024年には77億㎥にしか達しないとみられている。ノルウェーのガス埋蔵量は毎年漸減しており、無尽蔵にあるわけではないのだ。
ウクライナを通過する④、⑤、⑥については、今年5月、ウクライナのガス事業者ナフトガズが、ロシア・ルハンスク連合軍が解放した区間にあるソフラノフカ・ガス供給地点を経由するロシアのトランジットガスの受け入れを拒否している。ウクライナ側は、不足する輸送量を、ウクライナが支配する北方ブランチの入口であるスジャポイントに振り向けることを提案した。その結果、5月以降、ウクライナのトランジットの北側ブランチのみが稼働しており、汲み上げ量は1日あたり40~43百万立方メートル、年間では約150億立方メートル(ガスプロムは契約上400億立方メートルの汲み上げ義務がある)である。契約違反はウクライナ側の責任なので、汲み上げなかったガス代の支払いは拒否する。しかし、9月9日、ナフトガズは、チューリッヒの国際仲裁裁判所に、ガスプロムが通過支払い義務に違反しているとして、契約条項に「pump or pay」(実際のガス圧送量ではなく、契約した量に対して支払い義務を負う)が含まれていることを理由に提訴したと発表した。
黒海海底を通る⑥は、セルビアとハンガリーへのガス輸送ルートとして活用されている(ハンガリーはEU加盟国であり、形式的にはロシアに非友好的な国のリストに属しているが、それでもブリュッセルから比較的独立した政策を追求している)。⑦は主としてトルコ向けのガス供給ルートである。2022年10月10日に開催されたロシア安全保障会議において、プーチンは、「トルコストリームのガス輸送システムの一部区間を爆破しようとするなど、わが国の電力・ガス輸送インフラに対するテロ攻撃や類似の犯罪の企てが相次いでいる」と語った。トルコストリーム破壊未遂事件があったことをはじめて明らかにした(その真偽はまったく不明だ)。さらに、10月12日、国際フォーラム「ロシア・エネルギー・ウィーク」全体会議で講演したプーチンは、ノルドストリームPLで失われた輸送量を黒海地域に移動させ、天然ガスなどをトルコ経由でヨーロッパに送る主要ルートをつくり、トルコにヨーロッパ最大のガスハブをつくることができるとの見通しを明らかにした。もっとも、そのためには投資家からの巨額の資金が必要となる。
今後、ノルドストリームとノルドストリーム2の復旧をめざすにしても、それには資金と技術が必要になる。とくに、ロシア単独の技術では、復旧は困難とみられている。今後、ドイツ政府がどのような態度に出るかが注目されている。年産100億㎥の液化天然ガス(LNG)ターミナルは2022年中に、50億㎥のLNGターミナルは2023年初めに建設される予定だが、計画通り進んでもガス需要に本当に充分こたえられるかどうかは未知数だ。
注目に値する欧州の「産業空洞化」
いま注目されているのは、欧州企業が活発に米国に移動していることである。いわば、欧州全体の「産業空洞化」が着実に進んでいるのだ。WSJは2022年9月21日付の記事「天然ガス価格高騰で欧州メーカーが米国へシフト」(https://www.wsj.com/articles/high-natural-gas-prices-push-european-manufacturers-to-shift-to-the-u-s-11663707594)のなかで、アムステルダムに本社を置く化学会社OCI NVが、9月、テキサス州のアンモニア工場の拡張を発表したと伝えている。デンマークの宝飾品会社Pandora A/Sとドイツの自動車メーカーVolkswagen AGは2022年初め、米国での事業拡大を発表したという。
ドイツの「ハンデルスブラット」紙も、9月29日、「ドイツ企業の米国での拠点拡大が続く」(https://www.handelsblatt.com/technik/it-internet/wirtschaftspolitik-deutsche-unternehmen-bauen-ihre-standorte-in-den-usa-immer-weiter-aus-/28697464.html)と報じている。オクラホマ州だけでも60社以上のドイツ企業(ルフトハンザ、アルディ、フレゼニウス、シーメンスなど)が、最新の拡張工事のために約3億ドルを投資している。ジョージア州では、ドイツ企業が韓国企業に次いで大きな外国人投資家となっている。エアバスは新しい金属加工工場に3億4000万ドルを投資している。メルセデス・ベンツは、アラバマ州に新しいバッテリー工場を開設した。化学医薬品大手バイエルが、ボストンのバイオテクノロジーセンター新設に1億ドルを投資している。2027年までに米国で総額71億ドルを投資するとの見方まである。ドイツの代表的な化学会社であるBASFは、2026年までに北米に250億ドルもの投資を行いたいと考えているという。
11月に入って、The Economist(https://www.economist.com/leaders/2022/11/24/europe-faces-an-enduring-crisis-of-energy-and-geopolitics)が報じたところでは、スウェーデンのバッテリー新興企業であるノースボルトは、アメリカでの生産を拡大したいと発言しているという。スペインのエネルギー企業イベルドローラは、アメリカへの投資額がEU内の2倍になっている。多くの経営者は、高価なエネルギーとアメリカの補助金の組み合わせによって、ヨーロッパが大量に脱工業化する危険性があると警告している。
投資を失うことは、ヨーロッパを貧しくし、経済活力の衰退に拍車をかけることになる。いわば、米国一人勝ちの状況が生まれつつある。こんなことでいいのだろうか。よく考える必要があるだろう。
最近のコメント