深刻な日本の腐敗構造:「裁かれざるは悪人のみ」の世界に

深刻な日本の腐敗構造:「裁かれざるは悪人のみ」の世界に

米国の女性シンガーソングライター、セイント・ヴィンセントの「政権の腐敗」という日本語のリフレインから始まるMasseductionという曲をご存知か。知らない人はぜひYouTubeにアクセスしてほしい(https://www.youtube.com/watch?v=jPha0h8TA5U)。2017年10月にリリースされたこの歌が公開されたころには、日本の腐敗はすでに構造化されていたように思われる。長年にわたる安倍晋三首相の政権運営が日本を「腐敗構造国家」に転落させようとしていると言えるかもしれない。

日本はいま、きわめて重要な岐路にさしかかっている。「裁かれざるは悪人のみ」といった状況に転落しかねない状況にあるからだ。関西電力役員らが福井県高浜町の元助役森山栄治氏(故人)から金品を受領していた問題は「悪人」を逮捕・起訴して裁判にかけるという仕組みそのものが構造的に機能していない日本の現実を如実に示している。安倍首相が重視するという「法の支配」がまったく機能していないのだ。

 

ロシア映画「裁かれるは善人のみ」

ここでロシア映画の話を紹介しよう。アンドレイ・ズヴャギンツェフ監督の「裁かれるは善人のみ」という作品だ。「リヴァイアサン」(Leviathan)という原題を「裁かれるは善人のみ」と日本語訳した2014年のロシア映画である。その脚本はカンヌ国際映画祭脚本賞に輝いている。フィクションゆえに「現実」を逆によく照らし出しているようにみえるこの作品では、怪物リヴァイアサン、すなわち「可死の神」(deus mortalis, mortal God)が国家の魂の部分、主権国家ロシアを象徴している。そのリヴァイアサンは大自然のもとで神の化身のように振る舞いながらちっぽけな人に襲い掛かりのだ。それは、市長と警察、検察、裁判所などの「共謀ネットワーク」がロシアの隅々まで行き渡っていることを教えてくれる。

この映画が問いかけている最大の問題は、「裁く側」がだれで、このとき「神」はどうしているかである。シベリアの極寒の大地を生き抜いてきた人々のもつ、「服従」による「救済」を求める「ケノーシス」という観念の広がりのもと、正教では父なる神と子なるキリストと聖霊(三位)が神をなす。聖霊は神と人間を繋ぐ媒体で、聖霊によってイエスは処女マリアの身中に宿ったとされている。その聖霊は正教では父から生じるとされているから、三位のうち、父、子、聖霊の位階は明確なのだが、ロシア人は人間のかたちをしたキリストに強い親近感をもつ。人間キリストへの尋常ではない服従は、皇帝や絶対的指導者たるスターリンへの隷従精神に通じてしまうのだ。ケノーシスの意味する救済は贖罪や悔い改めを媒介せずに可能となり、神からやってくるはずの救済が人間によって簒奪される可能性をもつようになる。それは、神への服従ではなく、レーニンやスターリンに隷属することで救済につながる可能性を排除しないことにもなる。そう考えると、いまではウラジーミル・プーチン大統領に神を見出し、「裁かれない人」であるプーチン大統領を中心とする体系が善人を裁くという構図が成立しているように映るのである。

 

「裁かれざるは悪人のみ」

いまの日本は、ロシアほど深刻な状況にはなっていない。だが、「裁かれざるは悪人のみ」という状況に近づいているのは間違いないと思われる。公文書改竄をした官僚は無罪放免で、裁かれることさえない。日大アメフト部の傷害事件では、監督・コーチは警察によって不問にされた。レイプをしながら、逮捕直前に逃れた輩さえいる。あるいは、甘利明議員と元秘書は検察当局によって、あっせん利得処罰法違反罪での立件が見送られた。他方で、東芝の経営者は粉飾決算をしながら、取締役の忠実義務違反で逮捕・起訴されることもない。メルトダウンを起こした東京電力幹部3人は起訴されず、検察審査会の議決でようやく起訴されたが、東京地裁は無罪判決を出した。関電の事件では、核発電所の建設に絡む関係者間で不正なカネの受け渡しが行われ、脱税はもちろん、関電取締役の特別背任など、複数の刑法犯罪がなされた容疑が濃厚であるにもかかわらず、「悪人」はいまのところ「裁かれざる」状況にある。

ここで、2018年7月4日付のロシア語新聞「ノーヴャヤ・ガゼータ」にユーリヤ・ラティニナという女性記者が書いた興味深い記事を紹介したい。彼女は、脱税に目をつむる代わりに脱税で稼いだ資金の一部を賄賂として巻き上げるという仕組みが中国でもロシアでも広がっているという話を記している。まさに、「裁かれない」立場にある権力当局がやりたい放題の不正を繰り返しているのだ。関電の場合、だれも喜ばない核発電所を増設するために湯水のようにカネをばら撒いて地元を説得するしかなく、そのために、地元のドンや政治家と結託して、市場を無視した高額の設備発注や雇用提供によってドンおよび議員経由で地元の取りまとめを依頼する一方で、その資金の一部をキックバックさせて自らも潤い、その権力基盤の強化につなげていく構造がある。核発電所建設に伴うさまざまな負担をカネで賄うという仕組みに有象無象が群がり、甘い蜜を吸いつくしても罪に問われないまま「悪人」をのさばらせ続けてきたというのがこれまでの歴史だろう。そのカネは上乗せされた電気料金であったり、国民の税金であったりするにもかかわらず、「悪人」の一人は大阪の北ノ新地の常連となって女性に貢ぐ。事件の発端は税務検査で判明したようだが、関電幹部は隠蔽工作にはしり、それに検察OBが深く関与している。「悪人」は裁かれない。

ロシアのプーチン大統領は、その権力の淵源として、それ時代の国家保安委員会(KGB)の後継機関、連邦保安局(FSB)に加えて、大統領警護局、警察権をもつ内務省、国防省など、いずれも「合理的暴力装置」と呼ばれる執行権力機関に根をはっている。それだけではなく、裁判にかけるかどうかを判断する予審委員会も、あるいは、裁判所もプーチン人脈が支配を固めている。ゆえに、もはやプーチン大統領の人脈に連なれば、「裁かれざる」悪人として大手を振って巨利を得ることができる。逆に、そうしたプーチン一派に反旗を翻そうものなら、すぐに後ろに手が周り、「裁かれる善人のみ」の一員に加えられてしまうだけだ。

日本はまだそこまで深刻な状況にはない。だが、検察はもはや安倍政権と「癒着」し、法執行者というよりも、むしろ安倍政権のための執行者に成り下がってはいないか。もはや「法の支配」(Rule of Law)が毀損されていると言っても過言ではない。

 

Rule of Lawの本質

安倍首相は2014年10月、国際法曹協会(IBA)が東京で開催した年次大会に招かれ、その場で「法の支配」について演説したことが知られている。そこで、法の支配は西洋を起源とする用語だが、アジアでも同様の考えがあるとし、吉田松陰や聖徳太子の「十七条憲法」を持ち出しただけでなく、「法と正義の支配する国際社会を守ることが、日本の国益」であり、法の支配の実現に向け外交を展開する、とまでのべたとされている。安倍首相は法の支配の考え方は普遍的だとし、「人類愛によって結ばれ、助け合う人間が、合意によって作っていく社会の道徳や規範。それが法です」と演説した。

だが筆者からみると、安倍首相は法ではなく、仲間を優先する「人治主義者」であるようにみえる。はっきり言えば、安倍首相は法の支配の本質を理解していない。

説明しよう。まず、法は道徳や規範よりもずっと狭い領域にしかかかわっていないことを確認したい。法の支配という言葉は“rule of law”という英国圏の概念であり、その成立過程は“rights”の意味が、「正しさ」から「権利」(あることをするか、しないかという選択の自由にかかわる)に傾いてしまう時期に重ねて理解しなければならない。Rightsの意味の変容は、統治が「聖なる権威」から「俗なる権力」に移行した時期に呼応している。

法を意味するlawは、あることをするか、しないかをどちらに決定する束縛を伴うものであり、その法が民主的手続きに則って制定されれば、その法が正しいことを不可避的に内在することになり、法そのものへの懐疑の念を弱体化させ、法は束縛として人間を拘束することになる。しかも、この法は共同体を前提に制定されるものであって、神の命令としての自然法ははるか昔に忘れ去られ、人間がつくる共同体全盛の時代になってしまっている。こうした状況変化のもとで、法の支配は倫理や道徳から逸脱し、「神」にとって代わろうとしてきた「国家」の都合のいいものになっていく。したがって、法の支配は決して正しさを示していない。ゆえに、法の支配はまったく不十分なものでしかないのである。

人治主義者の安倍首相にとって、本当は法も倫理も重要なものではないのではないか。だからこそ、前述した法と道徳や規範という倫理を同じものとする意見を平然と言ってのけるのだ。彼はなぜこんな暴論を振りかざすのか。理由は簡単だ。彼は人治主義者であり、自分の裁量でつくり出す「法=道徳」を普遍的なものと位置づけて自分の裁量ですべてを統治する全体主義的傾向を強くもっているからなのだ。人治主義者であるがゆえに、安倍首相は間違った理解に基づいて法の支配を平然と主張しているのだろう。その結果として、上しか見ない忖度がはびこる人治主義支配が構造的腐敗を招くのだ。

腐敗を考える本として、拙著『民意と政治の断絶はなぜ起きた』、『なぜ「官僚」は腐敗するのか』、『官僚の世界史』、Anti-Corruption Policiesがある。ぜひ参考にしてほしい。

(Visited 343 times, 1 visits today)

コメントは受け付けていません。

サブコンテンツ

塩原 俊彦

(21世紀龍馬会代表)

このページの先頭へ