アメリカのダブルスタンダード:インドをめぐる地政学

拙著『帝国主義アメリカの野望』では、アメリカ帝国主義がインドに対して、ダブルスタンダード(二重基準)を適用して、ナレンドラ・モディの恐るべき独裁を批判しようとしない矛盾について書いていない。紙幅の関係で割愛しただけの話だが、ここで、この点について書くことで、アメリカ帝国主義を批判しておきたい。

 

総選挙

4月19日にはじまったインド下院選挙は、世界人口の約12%にあたる9億7000万人の潜在有権者を抱える、世界最大規模の選挙だ。投票は7段階で行われ、6月1日に終了し、結果は6月4日に発表される予定である。

モディは、「総選挙の結果が発表される6月4日以降すぐにインドの首相として3期目を開始する可能性が高い」と、The Economistは指摘している。モディが率いるインド人民党(BJP)が3連勝する見通しだ。

モディのひどさは、3月21日に、デリー州首相を務める野党指導者アルビンド・ケジリワルを政治的動機による汚職容疑で逮捕させたことによく現れている。5月10日に暫定保釈された彼は、翌日の記者会見でモディを「独裁者」と非難した(最高裁は5月10日、ケジリワルの暫定保釈を認めたが、6月2日には刑務所に戻らなければならない)。

 

カナダでの暗殺事件

思い出してほしいのは、カナダのジャスティン・トルドー首相が2023年9月18日、「インド政府のエージェント」によって同年6月にカナダ国内でシーク教徒の指導者のハーディープ・シン・ニジャールが殺害されたと議会で発言したことである。ニジャールは北インドのパンジャブ州で生まれたが、カナダに移住し、ブリティッシュコロンビア州サリーにあるシーク教寺院、グル・ナナク・シーク・グルドワラの会長となった(NYTを参照)。

インド政府は、ニジャールがインドを離れてから数十年後の2020年にテロリストと宣言していた。インド国内で暴力的な攻撃を計画し、カリスタン・タイガー・フォースと呼ばれるテロリスト集団を率いていると非難したのだ。しかし、パンジャブ州では、政治家やジャーナリストは、その告発にもかかわらず、地元の多くの人々は彼や彼の運動について聞いたことがないと主張した。

ニジャールは2023年6月、彼が率いるシーク教寺院の近くで銃撃された。逮捕者についてわかっているのは、拘留中の3人は20代で、彼らは第一級殺人と殺人の共謀で起訴された。彼らはカナダに3年から5年住んでおり、永住権を持っていなかったという。トルドー首相は9月、「インド政府の工作員」がカナダ国内でのニジャール殺害に関係していると国会議員に語った。トルドーは、「カナダ国内で起きたカナダ国民の殺害に外国政府が関与することは、われわれの主権に対する容認できない侵害だ」とのべ、ニジャールの死に関する調査に協力するようカナダがインドに圧力をかけると付け加えたという。カナダのメラニー・ジョリー外相も、カナダにいるインドの諜報機関の事実上のトップとされるインド人外交官を追放したと発表した。インド政府はトルドーの疑惑を激しく否定したが、だれがこの言い分を信じるだろうか。

2023年11月22日付のFTは、アメリカがニューヨークで別の分離主義者、グルパトワント・シン・パヌン(アメリカとカナダの二重国籍者)の殺害計画を阻止したと報じた。「この事件に詳しい複数の関係者によると、米国当局は、米国内でシーク教徒の分離主義者を暗殺する陰謀を阻止し、インド政府がこの陰謀に関与している懸念があるとして、インド政府に警告を発した」という。

オーストラリアでは、2020年に2人のインド人スパイが国外に追放されたとの報道にもかかわらず、オーストラリア政府はデリーとの緊密な関係を誇示していることが話題になった(2024年5月1日付のBBCを参照)。2021年、オーストラリアの諜報部長は、前年に外国人諜報員が現地で活動していたとのべたが、その国籍は明かさなかった。しかし、2024年4月になって、複数の報道機関が、彼らはインドから来たと報じたのだ。インドのスパイは、機密性の高い防衛プロジェクトや空港のセキュリティに関する秘密、オーストラリアの貿易関係に関する機密情報を盗もうとしていたことが発覚し、オーストラリアから追い出されたというのである。

 

アメリカのダブルスタンダード

ジョー・バイデン大統領は2023年6月22日、モディを国賓としてホワイトハウスに迎えた。このころ、「インドの情報機関の将校は、モディのもっとも声高な批判者の一人を米国内で殺害するために雇われた殺し屋チームに最終的な指示を伝えていた」と、WPは報道している。

このWPの記事は長文であり、インド政府の暗部が克明に描かれている。まず、インドのスパイ機関、調査分析局(RAW)の存在を知らなければならない。このころ、ニューヨーク在住のシーク教徒活動家、グルパトワント・シン・パヌン暗殺計画が進んでいたのである。「当時のRAW長官サマント・ゴエルによって承認された」計画であったと、米情報機関はみているという(暗殺は失敗する)。

モディ政権下では、「RAWはインドの広大なグローバル・ディアスポラに住む反体制派に対する武器として行使されている」との指摘がある。その証拠に、紹介したカナダやオーストラリアだけでなく、RAWはイギリスでもドイツでも暗躍していた。

こうした状況を知ったうえで、2023年8月初旬、バイデン政権はウィリアム・バーンズCIA長官をニューデリーに派遣し、パヌン計画に関する情報を相手に突きつけ、モディ政権に内部解決の機会を与えたという。米国は懲罰的な対応は控えるが、インドに責任者の責任を追及するよう迫ったのだ。RAW幹部の追放やインドに対する経済制裁はなかった。最大40億ドルの米国製無人偵察機をインドに売却する取引は、一時中断されたが、主要な議会指導者たちが署名したことで続行が許可された。

これこそまさに、バイデン政権がダブルスタンダードを使い分けている証拠だ。インドとの関係を悪化させると、アメリカにとって不都合なことがたくさんあるからだ。ここで思い出すべきは、米国在住でWP紙の寄稿コラムニスト、ジャマル・カショギの殺害に、ムハンマド・ビン・サルマンサウジアラビア皇太子が関与しているとされた後、アメリカがサウジアラビアにどう対処したかである。そう、CIAは公式の報告書で、殺害に皇太子が絡んでいたと指摘し、アメリカとサウジアラビアとの関係は急速に悪化した。

この経験から、バイデンはモディを名指しして非難するといった「愚行」はとらなかった。あくまで隠密裏に、インドのやり方を改めるように促したのである。

 

対中防波堤としてのインド

なぜバイデン政権はモディ政権に寛容なのか。この問題を近視眼的にみると、対中政策上、インドの重要性が高まっていると指摘できる。それは、アメリカが中国に対抗するうえで、軍事上も経済上も、アメリカにとってインドの重要性が増していることを意味している。

軍事的には、アメリカとインドとの2国間防衛協力のビジョンは、2013年9月の「防衛協力に関する米印共同宣言」と2015年の「米印防衛関係の枠組み」において確立された。この結果、新技術の共同開発や既存システムの共同生産の機会の拡大やサプライチェーンの強化へのつながり、2023年1月、戦略的技術パートナーシップと防衛産業協力を強化・拡大するための「重要技術・新興技術に関する米印イニシアチブ(iCET)」が合意されるまでになる。同年6月、アメリカは「アメリカ・インドの防衛産業協力のためのロードマップ」を提案するに至る。これは、ロイド・オースティン国防長官が6月5日にデリーを訪問した際に明らかにしたものであり、ボーイングのF-18スーパーホーネットやサーブのグリペンに搭載されているゼネラル・エレクトリック社のGE-F414ジェットエンジンをインドがライセンス生産することが提案された。この強力なターボファンエンジンは、国営のヒンドゥスタン・アエロノーティクス社(HAL)の新工場で生産され、まだ試作開発中のハルの小型戦闘機テージャスMk2(そして、レーダーを凌ぐステルス特性を持つ第5世代戦闘機として提案されている、非常に野心のあるアドバンスト・ミディアム・コンバット・アフター)の動力として用いられることになる(ただし、インドがGEに望むだけの技術供与を受けるには、アメリカの議会が免責を出し、GEがそれに応じる必要があり、いずれも障害となり得る)。

過去の歴史を長期的にながめてみると、アメリカはインドよりもパキスタンを重視してきたことを忘れてはならない。The Economistは、南アジア研究の故スティーブン・コーエンがパキスタンとインドを比較して、「パキスタンはアメリカの同盟国だが決して友人ではなく、インドはその逆だとよく言っていた」と書いている。1954 年、パキスタンはアメリカの有用な同盟国となったが、「本命はインドであり、アメリカのいくつかの政権は、アジアにおけるもっとも重要な争いは共産主義の中国と民主主義のインドとの間の争いであると考えていた」とコーエンは指摘している。

この過去の経緯は、インドの武力のソ連およびその後継国ロシアへの依存につながっている。アメリカのインドへの接近で、ロシアへの武器依存は低下しているが、これまでのアメリカのパキスタンへの武器供与という過去を考えると、この「ねじれ」はそう簡単に解消できるわけではない。

 

経済関係は?

経済的には、対中貿易への依存を代替する先としてインドが期待されている。あるいは、一部のIT関連部品の調達先としても期待されている。The Economistによると、多くの企業が「グローバル・ケイパビリティ・センター」(GCC)をインドに設立し、データ分析から研究開発(R&D)までの業務をオフショア化し、インドのサービス主導型成長の新たな波に拍車をかけている。インドで稼動しているGCCの数は2010年の700から2023年は1580に急増した。インドのGCCは2023年、合わせて460億ドルの収益を上げたという。

インテルやエヌビディアを含む85社以上の外資系半導体企業が、バンガロールで設計業務を行っている。アルファベット、アマゾン、マイクロソフトといったハイテク大手もバンガロールに研究開発センターを構えており、航空機メーカーのボーイングや小売大手のウォルマートもバンガロールに進出している。ドイツの自動車メーカー、メルセデス・ベンツは、バンガロールの研究開発センターで6000人近くを雇用している。過去4年間で、インドのチームは32件の特許を取得した。

このように、インドへの期待は高まっているようにみえる。だが、それはここに紹介したようなモディ政権の強権、すなわち独裁制について、企業側が知らないからではないか、と疑いたくなる。

悪い面をみると、すでにインドは中国と経済的にもめている。インドは、枠のないガラス鏡やファスナーなど、さまざまな中国の製品の反ダンピング調査を開始した。インドはまた、世界でもっとも多くの反ダンピング訴訟を起こしており、中国はそれに報復している。

 

モディ後に疑問

こうした状況から、モディ後が気にかかる。2024年9月に74歳になるモディは、現実問題としていつまでもインド首相を務められるわけではない。任期は5年だか、その後継をめぐる争いが早くもはじまっている(詳しくは、「ナレンドラ・モディの後任は誰だ? インドの与党で指導者争いが勃発している」を参照)。

いずれにしても、アメリカのダブルスタンダードによって、インドに対する楽観的な見方がとくに日本に多くみられるように思われる。地政学を知らないから、こんなお粗末な状況になっているのではないかと懸念している。

 

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塩原 俊彦

(21世紀龍馬会代表)

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