キリスト教文明の「おぞましさ」:イスラエルとパレスチナをめぐって 復讐・報復・制裁

私は、『復讐としてのウクライナ戦争』において、復讐・報復・制裁について考えた。英語をみると、「復讐」(revenge)以外にも、「復讐ないし仇討ち」(vengeance)「報復」(retribution, retaliation, reprisal)、「仕返し」(tit for tat)、「見返り」(quid pro quo)といった表現がある。“vindicate”や“vindictive”という言葉もある。じつは、“revenge”はアングロサクソン系の言葉ではなく、ラテン語からきた言葉で、ラテン語の“vindicare”から比較的遅く枝分かれしたものだ。その起源はローマ法にある。“Retaliation”については、ラテン語の“re”「再、後」と“talis”の「そのような種類の」から派生したもので、“retaliare”は「現物で返す」、“talio”は「現物で支払いを受ける」を表していた。

今週号のThe Economistの特集は、ISRAEL’S AGONY and its retributionである。本日、これが自宅に届いたので、これに触発されて、もう一度、何が問題かについて説明してみたくなった。

 

西洋文明の隠れた「咎」

まず、私は、本文のはじめに、つぎのように書いておいた。

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 本書の展開を先取りして書いておくと、欧米というキリスト教を中心とする文明は復讐心を含めた復讐全体を刑罰へと転化しようとする。それが可能だと錯覚させたのは、この文明化がキリスト教神学の一部の主張に立脚してきたからにほかならない。だが、その根幹にある「罪たる犯罪の罪滅ぼしとして暴力的罰が必要である」とする信念それ自体に大きな疑問符がつく。キリストの磔刑を素直に考えれば、それは、これから説明する「純粋贈与」そのものであり、その教えこそ大切なのだ。にもかかわらず、西洋の歴史は、「互酬的な贈与の(自己)否定」がもたらしうる帰結を否認し、抑圧することを繰り返してきた。これこそ、キリスト教神学による贖罪の利用という「咎」であり、現代までつづく西洋文明のもつ、隠れた「咎」なのである。

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つぎに、下記のような記述をしておいた。

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 だが、西洋の歴史は、「互酬的な贈与の(自己)否定」がもたらしうる帰結を否認し、抑圧することを繰り返す。つまり、贈与と返礼という関係に執着した見方が広まるのである。あるいは、損失に対する復讐・報復・制裁による互酬性の回復への執着が深まる。これは、イスラーム教や儒教とは異なり、キリスト教の布教にカトリック教会が大きく関与してきた歴史がかかわっている。「神-人間」との間に「神-教会-人間」という関係が生まれ、神の管理代理人(スチュアード)としての教会が「聖なる権威」のもとに「俗なる権力」と覇を競うなかで、教会は贖罪を自らの勢力拡大に利用しようとしたのである。ゆえに、「純粋贈与」の思想がしおれてしまう。それは、被害に対する代償として、復讐するのか、報復するのか、それとも制裁を加えるのか、あるいは忘却するのか、といった対応にも影響をおよぼしたに違いない。キリスト教神学による贖罪の利用こそ、現代までつづく西洋文明のもつ、隠れた「咎」のようなものなのである。

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さらに、「報復」についてはつぎのように記述した。

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 報復とは何か

 どうやら復讐は個人にまつわる報復の一種ということらしい(すでにのべたように、本書ではこうした見解をとっていない。復讐は個人だけでなく、第八章で詳述する集団的「無意識」として文化のレベルでキリスト教世界に息づいている)。それでは、「報復」とは何か。バートンは、報復(retribution)を、「負の返済の問題として、悪事を働いた者に負わされるものである。それは、彼らの悪事の直接的、道徳的、論理的帰結であり、彼らの行為の道徳的重大性に比例して道徳的に値するものである」とのべている。他方で、クリステンセンは、報復(retaliation)が「ある種の瞬間的反射反応ではなく、計画的なものである」としたうえで、「報復の場合、やはり焦点は常に、悪いことをした人がどんな損害を受けるのがふさわしいかということにあり、悪いことをされた側のニーズや正当な報酬とは無関係である」と指摘している。

 いずれにしても、この段階でバートンやクリステンセンの説明の当否を論じるつもりはない。ここで彼らの説を紹介した理由は、復讐という個人的報復が人類の歴史のなかで刑罰の制度化とともに変質してきたという彼らの主張を理解してもらうためである。

 簡単に言えば、復讐の連鎖を避けるため、被害者からその復讐権(revenge rights)のようなもの(復讐する権利)を「法の支配」(rule of law)に従って公的機関に移し、刑罰の執行で代替するようになるのだ。これは、個人レベルにおける復讐についてどう法規制すべきかという問題を提起する。その際、私的復讐自体を認めたうえで、その復讐権を規制するのか、それとも復讐権のようなものをすべて認めない立場にたって、刑罰の制度化をはかるのかといった問題が生まれる。いわば、復讐を刑罰に転化するメカニズムづくりをどう進めるかが問われている。その際、①犯罪者にその罪を償わせる、②被害者への補償をどうするか――という二つが重要な課題となる。

 ここで注意喚起しておきたいのは、復讐を合理化・制度化するために報復を刑罰に代替させるということと、復讐の刑罰への転化は違うということだ。なぜなら復讐と報復とは異なっているからである。「復讐は他人の苦痛を喜ぶという特定の感情を伴うが、報復は感情を伴わないか、あるいは別の感情、すなわち正義がなされることの喜びを伴う。したがって、復讐の渇望者はしばしば復讐者が苦しんでいる状況を経験(見る、立ち会う)したいと思うのに対し、報復の場合はその苦しみの高まりを目撃することに特別な意味はない」というロバート・ノージック(後述する『哲学的説明』を参照)は重要である。

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そのうえで、国際法上の「報復」についてつぎのように書いておいた。

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 特別報復と一般報復

 国際法上の特別報復は、平時の措置で、私人が主権者から報復状を受け取って、外国人から敵国の臣民の財産に対する損害賠償を請求することを許可されたものである。特別報復では、外国の財産の差し押さえが特定の人が被った損害とその回復に要する費用の範囲に限定されるのに対し、一般報復にはそのような制限がない。戦時の措置として、一二~一三世紀ころ、奪われた財産は奪い返してもよいという政府(君主)の許可証をもらった船である「私掠船」(privateer)が地中海を中心に活動した。公海上など支配者の管轄外での強制的な行動を可能にすることも一般的になると、一三世紀から一五世紀にかけて、特別報復の慣行は次第に規制されるようになる。

 ランダル・レザッファー著「報復に関するグロティウス」(https://brill.com/view/journals/grot/41/2/article-p330_330.xml?language=en)によると、「一八世紀から一九世紀にかけての国際法の著者は、一般に、一般報復の使用を、公然かつ宣言された戦争の状況に限定するか、戦争行為とみなしていたが、国家は時として、公然戦争(open war)とは呼ばずに一般報復に訴え、この名目で私掠船に依頼したのである」という。この点については、英国政府が私掠船を利用して巨万の富を稼いできたという話と符合する。

 

 国際法上の「相互主義」

 国際法上の戦争法の基礎には、「相互主義」という大原則がある。ここで相互主義と翻訳したのは、英語では“reciprocity”であり、本書で互酬性としてきた概念と基本的に同じである。ここでいう相互主義は第六章で考察したヨーロッパ公法(国際法)に基づいている。

 たとえば、一八八〇年に国際法研究所が採択したオックスフォード・マニュアル(Manual)第八四条は、つぎのように定めている。

 

 「損害を受けた側が、その悪事が、敵に法の尊重を思い起こさせる必要があるほど重大なものであるとみなす場合、報復(reprisals)に訴える以外の手段は残されていない。

 報復は、罪のない人が罪人のために苦しむべきでないという衡平の一般規則の例外である。」

 

 この相互主義の原則は、条約法における重要な二次的規則として長い間認識されてきた。相互主義は、条約の拘束力、解釈、運用に条件を付す原理のようなものであった。ショーン・ワッツ著「互酬性と戦争法」によると、国際法体系における報復措置の適用については二つの原則についてコンセンサスがあるという。

 第一に、「報復(reprisals)は反応的制裁(reactive sanctions)である」であるというものだ。ここでいう報復とは、「国際法の他の主体による不正な侵害に対応して行われる国際法の侵害」を意味している。このとき、正当な報復は当該国に悪影響を与えた違反に対応するものでなければならない。ここに、相互主義の原則が適用される。注意すべきは、あらかじめ攻撃されることを予想して、その前に報復措置をとるという、予期報復の権利はまったく認められていない点である。

 報復措置の行使のための第二の前提条件は、国際法的な人格である。国際的な法体系のなかで行動することを認められた主体のみが報復を行うことができるというものだ。古典的な国際法理論では、国家は唯一ではないにせよ、主要な法的主体であると考えられている。現代では、国際機関も報復の実践に参加しうる存在として含めるべきかどうかが問題になっている。現代の理論では、国際法における個人の役割がますます支持されているが、個人が個人の資格で報復を行うことを認める既存の理論はない。政策的な問題として、報復を承認する権限は、通常、利用可能な最高国家機関に留保されている。たとえば、先に紹介した一八八〇年のオックスフォード・マニュアルでは、報復を「最高司令官」による承認に限定している。

 ワッツ自身は、もっとも重要なのは、「報復が違反された規則の再度の遵守を誘導または強制するためにのみ行うことができる」という点であるとしている。つまり、報復はこの限定的な目的によって大きな制約を受けていることになる。そのうえで、報復は、①補助的でなければならない、②報復を誘発する違反行為に比例したものでなければならない――という二つの条件によっても制約を受ける。

 「補助的である」とは、国家が報復に訴える前に、外交的抗議など、より抜本的でない強制手段を尽くすことを求めるものである。これは、国際法違反による動機の誤認を減らすという重要な機能を果たす。報復の脅威または警告は、実際の報復の前提条件とみなされる。ウクライナ戦争勃発前に、米国がウクライナへの侵攻があれば報復すると宣言していたのはこの手順に従っていたことになる。

 違反行為への「比例性」は、いわば国際法上の相互主義の原則に則った考え方に基づいている。報復には、懲罰的な要素も含まれているが、違反がエスカレートするようなサイクルを抑制することを意図しているのである。報復はあくまで法令遵守(コンプライアンス)を復活させることを目的としているのだ。

 

 報復への規制

 こうした特別報復と一般報復の混乱の後、国際法上、「報復」(reprisal)が話題となった有名な出来事として、アンゴラにおける事件がある。一九一四年末、植民地アンゴラで起きたポルトガルとドイツの国境戦争の過程で、アンゴラのナウリラ要塞で三人(ドイツ人将校と役人)がポルトガル兵に殺害されるという事件だ。隣接するドイツ南西アフリカのドイツ植民地軍は、「報復」と称してアンゴラ国内のポルトガル国境要塞六カ所を攻撃し、破壊した。一九二八年のナウリラ事件仲裁判決では、この殺害は誤解によるものであり、「報復の対象となった国による国際法上の規則の違反」には当たらないと判断した。「報復とは、加害国によって行われた国際法に反する行為に対して、満たされない要求の後に、加害国が行う自助行為である……その目的は、加害国からその違反に対する報復を行うか、さらなる違反の回避によって合法性を回復させることである」として、合法的報復(lawful reprisal)の要件、①国際法に反する先行行為、②不正行為者とされる者への賠償要求が満たされていないこと、③報復の比例性――を定式化したうえで、ドイツ側の不備を認めた。もちろん、この仲裁の背景には、ドイツが第一次世界大戦の国際的責任を認められ、ヴェルサイユ条約の下で賠償の義務を負ったこともある。

 先に紹介したダーシーの論文によれば、武力行使の制限は、国際連盟規約やブリアン・ケロッグ協定に顕著に規定されたが、これらの文書には明示的な禁止が含まれていないとしている。そのうえで、「新しい規則が報復の手段を制限していたかどうかは不明である」とのべている。

 先に紹介した国際連合憲章は、国際関係における武力行使を規定する重要な国際条約であり、武力報復の原則に訴えることを禁止したとの見方が大勢を占めている。ただし、五一条において、「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和および安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的または集団的自衛の固有の権利を害するものではない」とされている。つまり、自衛権は認められている。なお、武力行使の禁止が報復または報復行為を対象とするかどうかについては、一九七〇年に国連総会が決議二六二五で「国家は、武力の行使を伴う報復行為(acts of reprisal)を控える義務を負う」と宣言された。

 だが、報復の位置づけに関する国際法上の学説が一致しているわけではない。とくに重要と思われるのは、イアン・ブラウンリー著『国際法と国家による武力行使』(International Law and the Use of Force by States, Oxford University Press, 1963)において、「いかなる非欧州系の国ないし小国も強制的な報復や海上封鎖に訴えたことはない」と記されている点だ。「イアン・ブラウンリーは、報復を大国の国策追求のための武器であるとのべた」と、ダーシーは論文のなかで指摘している。さらに、ブラウンリーは著書の第六版後の二〇〇〇年に、同書の再検討として書いた論文のなかで、NATOモデルによる人道的介入政策を明確に批判している。紹介したコソヴォ空爆のような武力行使は、「報復と懲罰が真の動機であるとの印象が強い」とし、「NATOのコソヴォへの介入は、あからさまにアルバニア人寄りであった」とまでのべている。

 本書の趣旨に合わせて言えば、ヨーロッパ公法が消滅し、その後に隆盛したグローバルな国際法によって位置づけられた報復は、いわば米国や米国を主導するNATOなどのキリスト教文明諸国による偏った正義を世界全体に振り回しているだけのようにみえてくる。

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そしていま、ふたたび、「米国や米国を主導するNATOなどのキリスト教文明諸国による偏った正義を世界全体に振り回そうとしている」と断言できる。こんなキリスト教文明に日本政府はいつまで盲従するつもりなのか。

「もっと賢くなれ」と私は思う。

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塩原 俊彦

(21世紀龍馬会代表)

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