『知られざる地政学』〈上巻〉の誕生

本日、拙著『知られざる地政学』〈上巻〉が手元に届いた。4200円の値段がつけられている。来月には、〈下巻〉が登場することを考えると、なかなかの出費になるかもしれない。しかし、まあ、心ある人にだけ読んでほしいと思うだけだ。

 

「語る-聞く」レベル

すでに、独立言論フォーラムで行っている連載「知られざる地政学」第一回(「「教える-学ぶ」立場からみた地政学の誕生」)で書いたように、この本は「語る-聞く」といったレベルに生きている人を相手にしていない。

わかりやすく説明してみよう。ジャニーズ問題を俎上に挙げる。そもそも、ジャニー喜多川の性加害を受けてだまっているタレントがあくまで被害者であり、非難の対象ですらないという立場にあるような人物が本書を読むことはないであろう。こうした言説を信じている人はおそらく、まったく不誠実なマスメディアの報道を何の疑いもなく受け入れている人たちだろう。つまり、マスメディアにだまされることで、自分のアイデンティティを感じ、自己承認を同調性のなかに求めている。

だが、喜多川の性加害をチャンスととらえて、売春に応じるだけでなく、沈黙を守ってきた数多くのタレントは喜多川と同罪とまではいわないが、喜多川を助長させてきたわけだから、その責任はきわめて大きい。マスメディアにだまされてきたのだから、いまのマスメディアの情報は基本的に信じてはならない。信じていいのは、上沼恵美子の「死んでる場合ちゃうねん。生き返って謝れ!」という発言ぐらいだ。

もちろん、喜多川の所業を批判してこなかったマスメディアの責任も重い。

こうした人たちは、日本という島国のなかで生きるだけで、世界に住む「他者」を意識することはないだろう。つまり、日本語の通じる、「世間」なる空間に生きているだけの人は、「語る-聞く」レベルの話ですべてが完結してしまっているようにみえる。

ゆえに、彼らは覇権国アメリカに疑念をいだくことは難しい。民主国家アメリカはすばらしい国として映ることだろう。

 

「教える-学ぶ」関係

島国ニッポンに住む人の見方は多くの場合偏っている。アメリカという国のひどさを知らないし、拙著に書いたように、無知蒙昧な立花隆を「知の巨人」と思っている。

覇権国アメリカは、ロシアや中国よりはましかもしれないが、決してめざすべき国家ではない。「教える-学ぶ」レベルでは、場所や時代を超えて、まったく別の「他者」を想定しながら、そうした人々に通じる議論を展開する。したがって、「教える-学ぶ」レベルでの議論を理解してもらうためには、本を読む側にも相当の覚悟がいる。「学ぶ」という真摯な姿勢が必要であり、しかも忍耐強さがなければ、300頁を超す本書を読破することはできまい。

「学ぶ」姿勢のない人がこの本をしっかりと理解することは難しいと、ここではっきりと書いておこう。

 

「知」のあり方を示す

拙著『知られざる地政学』は私のこれまでの学業の集大成である。「知」のあり方を示したものともいえる。実は、私の友人で、いつも原稿段階で意見を聴いている友人が『知られざる地政学』〈下巻〉について、「素晴らしい」と珍しく褒めてくれた。本当の意味で、「よく学ぶ」という姿勢を貫徹した結果がこの本に感じられるということらしい。

この感動はたぶん、心ある「学ぶ」姿勢のある者だけが感じられるのかもしれない。それでいいと考えている。

 

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塩原 俊彦

(21世紀龍馬会代表)

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