笠井潔著『煉獄の時』:必読書を紹介する

やっと笠井潔著『煉獄の時』を読了した。「ウクライナ3部作」の最終となる『復讐としてのウクライナ戦争 戦争の政治哲学:それぞれの正義と復讐・報復・制裁』の執筆のため、なかなか読むことができなかった本だ。執筆の合間に、大澤真幸著『〈世界史〉の哲学 近代篇Ⅰ 〈主体〉の誕生』と柄谷行人著『力と交換関係』だけは読んだが、笠井の作品は後回しにしていた。じっくりと矢吹駆シリーズを堪能したかったからだ。

 

ナラティブの重要性

私は笠井潔のこのシリーズをすべて読んできた。著名な哲学者や思想家を作品のなかに取り込んで、探偵小説に仕上げるという笠井の方法に、私は強く惹かれてきた。なぜなら、柄谷が実践しているように、ある人物の思想を全体として理解するためには、その人物が生きた時代について深く理解する必要があるからである。その意味で、ナラティブ(物語)のなかにその人物を登場させ、まさにその人物が生きた時代環境のなかで活動させることができれば、その人物の思想をトータルに理解するのに役立つ。

マルティン・ハイデガーを理解するには、『哲学者の密室』が助けになる。ミッシェル・フーコーを知るには、『オイディプス症候群』が欠かせない。『吸血鬼と精神分析』を読めば、ジャック・ラカンがわかる。

『煉獄の時』の場合、ジャン・ポール・サルトル、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、ジョルジュ・バタイユ、シモーヌ・ヴェイユを理解するのに手助けになる。

それだけではない。1930年代から1960年代のヨーロッパにおいて問題になった、ファシズムとボリシェヴィズムの問題、さらにスペイン戦争の内実など、私にとってあまり知らなかったことがたくさん書かれていて、とても勉強になった。

ここでは、いつのものように、作中でラインマーカーを引いた部分をメモ代わりに紹介しておこう。

 

  1. 219

「二つの悪のいずれかを選ぶしかないとしたら小さい悪を選ぶべきだろうか。」

 

  1. 248

前世紀からスペインの大地には、バクーニンに影響されたアナキスト民衆の運動が深く根を張っていた。マルクス主義者が主流のフランスやドイツやイタリアと違って、スペイン左翼は伝統的にアナキストが多数派を占めてきた。カタルーニャの貧しい農村では、日曜の夜になると村人が広場の樹の下に集まって、国家の廃止と民衆の理想社会についての議論を夜が白むまで続けたという。絶対自由を渇望するプロレタリア貧民の革命精神は第三共和政のフランスでは形骸化していったが、隣国スペインでは20世紀まで根強く生き続けてきた。

1936年2月の総選挙で人民戦線の諸政党が勝利すると、カタルーニャを中心にスペイン各地でアナキスト民衆の運動は活発化した。7月に軍、治安警備隊、警察などの右翼勢力が各地で共和国政府打倒の反乱を起こしたが、バルセロナでジョアンも参加した市街戦でクーデタは阻止される。マドリード、バレンシア、マラガ、ビルバオなどの主要都市でも軍分の反乱は失敗に終わった。

すでに開始されていた民衆の社会革命は、フランコ軍との内戦と同時進行していく。首都マドリードに次ぐスペイン第二の都市バルセロナと周辺のカタルーニャ農村地帯をはじめ、全国で労働者の工場占拠や小農や小作農による大地主からの土地接収が相次いだ。労働者と農民は集産体(コレクティヴィダッド)を組織し、工場と農場に評議会(フンタ)を樹立していく。フンタはフランスではコミューン、ロシアではソヴィエトと呼ばれた民衆の自治組織、自己権力体だ。

内戦開始から10カ月のあいだ、イベリア半島最大の工業都市バルセロナは蜂起した民衆とアナキスト主導の反ファシスト民兵中央委員会による自主的な管理下に置かれていた。無力化した左翼共和派主導のカタルーニャ自治政府(ジャナラリタット)に代わって、労働総連合(CNT)が工場や交通や通信を運営し、自主的に組織された民兵隊が都市全体の治安と防衛を担当した。ようするにバルセロナには、自治政府(ジャナラリタット)の首班コムパニスが非難がましく述べたように「アナルキスタおよびアナルコシンディカリスタの独裁」が樹立されていた。民衆による

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下からの集産化革命、評議会(フンタ)革命の敵対者として登場してきたのがコミンテルンに操られるスペイン共産党だった。スペイン社会の革命的な改造は、国家権力を掌握した前衛党が上から計画的に推進するべきで、民衆の自然発生的な革命運動は社会的混乱を招きファシストを利するという党派的立場から、共産党は集産体(コレクティヴィダッド)やアナキスト民兵隊の解体を要求した。

……

弱小だったスペイン共産党が内戦激化の過程で急伸長し、人民戦線政府の主導権を掌握していく。共和国へのソ連の軍事支援を独占的に管理したからだ。ただしソ連の援助は無償ではなく、強欲なスターリンはスペインが保有する金塊を代償として要求した。

内戦の初期、反乱軍に包囲されたマドリードを救ったのは外国人義勇兵による国際旅団だった。国際旅団へのコミンテルンの指導力は圧倒的で、これも政府内でのスペイン共産党による主導権確立に貢献した。総選挙で樹立された人民戦線政府は内戦の過程で、事実上の共産党政権に変質していく。

共産党の党勢拡大を下から支えたのは、民衆的な集産化革命に抵抗するブルジョワ共和派の分厚い層だった。1936年以降に急成長したスペイン共産党の新規党員は、貧農や下層労働者ではなく自営農や都市中産階級や知識人で占められていた。ようするにスペイン共産党の階級的性格は、進行中の集産化革命に反撥する小ブルジョワの政党だった。

労働総連合(CNT)やマルクス主義統一労働者党(POUM)をフランコと同列の敵と見なしたソ連は、本国では大粛清の実行部隊だった秘密警察をスペイン現地に送りこんだ。内務人民委員部(NKVD)の支配下に置かれたスペイン共産党は人民戦線の主導権を掌握するため、労働総連合(CNT)やマルクス主義統一労働者党(POUM)など共産党に敵対する左翼勢力を政治的軍事的に弾圧しはじめる。たとえばフランコ軍と内通しているという秘密文書を偽造して、POUMをファシストのスパイ、裏切り者と

  1. 250

非難し弾圧して暴力的に壊滅させるなど。

 

  1. 254

「内戦時代のウクライナでは、アナキストのネストル・マフノに率いられたパルチザン部隊がボリシェヴィキに皆殺しにされた。」

 

  1. 256

スペインのアナキスト指導部は選挙にも議会政治にも関与しないという信条を裏切り、政権への参加は労働者を裏切るものだという原則を放棄し、愚かにもスペイン共和国の閣僚という毒餌を口にした。多数派のブルジョア共和派や社会党に利用され、共産党に操られるだけの無力な少数派になる結果をみずから選んだといわざるをえない。

……

ソ連の軍事援助を背景にスペイン共産党は、あらゆる詐術、欺瞞、暗殺やテロを駆使して労働総連合(CNT)やマルクス主義統一労働者党(POUM)を弱体化あるいは解体し、共和国の政治権力を掴み取ろうと努めた。その結果がバルセロナの1937年5月だ。コミュニストは冷酷な計算で周到に行動し、追いつめられたアナキスト民衆は必死で応戦した。ウクライナをドイツ帝国主義に売り渡す講和条約に抵抗し、1918年のモスクワで敗北必至の反ボリシェヴィキ蜂起に追いこまれて壊滅した左翼社会革命党(エスエル)の運命を反復するように。

 

  1. 284

ドイツには左翼活動家やユダヤ人を司法手続きなしに強制収容する施設がある。とはいえ強制収容所の設置はドイツよりソ連のほうが早いし、ドイツ人コミュニストから聞いた話では、ソ連では反革命罪で収容所に送られる囚人数も

  1. 285

近年は激増しているようだ。レーニンとトロツキーが発明した人工の地獄をスターリンが磨きをかけて完成し、ヒトラーはそれを模倣したにすぎない。

ファシストとコミュニストが同類であることをイヴォンはスペインで身をもって体験している。この両者ほどにはアナキストは手を汚していない。

 

  1. 286

「対自とは意識だよ。私の意識、きみの意識、それぞれが対自だ。きみが哲学に無関心でも『方法序説』はリセの授業で読んだろう。デカルトの意識は実体的で、それ自体として充足的に存在するなにかにすぎない。しかし、そのような理解は見当違いだ」

クレール(サルトル)が研究している現象学では意識とは指向性だという。意識とはつねになにものかについての意識だ。意識は実体ではない。存在から逃れ出ていく不断の運動こそ意識の宿命に他ならない。だから意識とは無である。意識が無だとすれば人間もまた無ということにならないだろうか。」

 

  1. 307

キュビスムなどの抽象派とシュルレアリストは犬猿の仲だ。シュルレアリスム絵画には夢を題材とした作品が多い。夢は無意識の漏出であるという精神分析理論がその背景にはある。抽象絵画は無意識的な欲望や情念やイメージにな

  1. 308

ど関心をもたない。

 

  1. 335

「理性は頭部に宿る。理性に反逆すると称するファシズムは、しかし頭部を否定しない。総統(フューラー)ヒトラーや統師(ドゥーチェ)ムソリーニという独裁者を原理的に否定することがない」

 ボリシェヴィズムも同じことだ。国家なき社会をめざすといいながら、ソ連はブルジョワ国家を凌駕する暴力的独裁と秘密警察国家への変質を完了した。総統ヒトラーと書記長スターリンはたがいに憎みあう双生児にすぎない。

 

  1. 339

としても深刻な問題が残されている。ファシズムとボリシェヴィズムの権力は民衆の自然発生的な社会革命を圧殺しうる。それが敗北したスペイン革命の教訓だ。人民戦線政府をめぐるアナキスト政治家の無定見な右往左往は、アナキズム運動の歴史的限界を示している。

 

  1. 452

「ナポレオン戦争のときと同じように戦術的に後退し敵軍を泥沼に引きこめばいい。たったいま独ソ戦でスターリンが否応なくそうしているように。それより考えるべきなのは、ドイツ敗戦後のウクライナで白軍を撃退したのがアナキストのマフノ軍だった事実だ」

ウクライナに侵攻したドイツ軍や、ドイツと組んだ中央ラーダのウクライナ軍と戦うことはマフノ軍のような土着のパルチザン勢力に委ね、ロシアは武器援助などに徹すればいい。時間はパルチザンの味方だ、そうしているうちにドイツ帝国は内部崩壊するだろうから。

 

  1. 464

ジョルジュ・バタイユ著『内的体験』(『神秘体験』)

ただし、あの本にはパスカルだけでない。『神秘体験』には、スタヴローギンやイワン・カラマーゾフを思わせる発想や言葉が書かれている。いわばシュルレアリスムを通過したイワンだ。この点でルノワール(バタイユ)の思想も第一次大戦の体験に根ざしていることは疑えない。ヤスパースの裂け目、マルローの死、ハルバッハ(ハイデガー)の被投性、犬のように撲殺されるカフカの主人公、それにカミュのシーシュポスやブランショのアミダナブを加えてもいい」

 

  1. 465

ドイツ軍がフランスに侵攻して、わずか一ヶ月でパリは占領されフランスは降伏に追いこまれた。戦闘が続行され全フランスが戦場となるなら、国土はドイツ軍に蹂躙され完全に破壊されるだろう。国民の生命財産を守るために不可避の選択だったとして、ペタンによるドイツへの降伏と休戦協定の締結を国民の大多数は支持した。

とはいえ国土の三分の二を占領され、形式的な主権は残したものの実態はドイツの従属国、傀儡国家にすぐない祖国の惨状は否定しえない。国民感情は悔恨の色に染めあげられた。敗北と瓦解を招いたのは政争のために不安定化し混乱をきわめた第三共和政の制度的欠陥によるものではないか。いや、フランスの国民的な過誤はフランス革命にまだ遡るのでは。こうして悔恨の国民感情は元首ペタンの保守的発想に引きよせられていった。

ペタンは敗戦の原因をフランス人の腐朽化した精神に求めた。道徳を忘れ勤勉と努力を忌避しエゴイズムと享楽に

  1. 466

溺れたフランス人の精神的空洞化こそ、亡国の悲運を招いたのだと、選挙による無能で無責任な数の支配に統治の正統性は認められないとして、ヴィシー政府は議会や共和政を否定し中世的な階層社会を理想とする国民革命を推進した。いまはなきフランス共和国の「自由・平等・友愛」の理念に代わって、新たに掲げられた標語は「労働・家族・祖国」だった。クレール(サルトル)の戯曲(蠅)で描かれる悔恨共同体アルゴスが、ヴィシーを首都とするペタンの王国を寓意していることは疑いない。

 

  1. 476

ドストエフスキーの小説を読む限り、ロシア人は悪を非難されるより品性下劣や卑劣漢と見下されるほうが耐えがたいようだ。啓蒙の光も充分には及ばない辺境の地バスクの民衆も、その点ではロシア人と似たとことがある。

 

  1. 478

アッチラやジンギスカンによる暴力には生々しい血の臭いがする。しかし奴隷船内で死亡した膨大な数の黒人や、居留区という不毛の地に追放されて餓死した北米先住民の死者にはどうしてか血の臭いが希薄だ。もちろん現場には死臭が充満していただろうが、それを紙の上で読む後世の者にとっては。その延長線上に砲弾や毒ガスで大量死をとげた第一次大戦の、あるいは現在進行中である第二次大戦の戦死者もあるのではないか。戦争が終わればわれわれ文明人は血の臭いなど忘れてしまう。いや、記憶し続けようと必死で努力しても否応なく忘却してしまう。

ルノアール(サルトル)が続けた。「メカニカルで清潔な死者の大群という点では、資本主義成立期の土地囲い込み(エンクロージャー)や、アイルランドの植民地化によるジャガイモ飢饉の餓死者百万人にしても同じことだ。もちろん大量の死そのものがはじめから抽象的だったのではない。人種やヒューマニズムで骨抜きにされた文明人、ようするにわれわれは死の生々しい具体性に直面できないが故にそれを抽象化してしまう。そんなフランス人からはパルチザン戦を戦う無量の力が失われているのではないか」

 

  1. 481

このところイヴォンは、かつてのシモーヌ(シモーヌ・ヴェイユ)との議論を反芻しながら暴力について考えてきた。シモーヌは新約聖書のイエスの愛と平和の教えを純粋に実践しようとしているようだ。ただし残忍で暴力的な旧約の神は認めようとしない。三年前にはカタリ派について論じたエッセイを書いていたが、この異端派もまた旧約の神を拒否していたという。

暴力を認めないシモーヌだから、アナキスト民兵による司祭や地主への報復にも否定的だった。しかし、いかに拒否しようとも暴力は消えることがない。平等であるべき人と人のあいだに持ちこまれた暴力は、加害者と被害者という不平等、不均衡を生じさせる。正義とは均衡だから、不均衡は再均衡化されなければならない。

報復とは暴力がもたらした不均衡を再均衡するために要請される暴力、いわば正義を回復するための暴力だ。殺人という暴力から生じた不均衡は、被害者側の報復という

  1. 482

暴力によって再均衡化され平等は回復される。この場合に重要なのは「目には目を」の法で、被害者に許されるのは加えられた暴力と等しい報復の暴力にすぎない。それ以上の暴力は復讐の連鎖をもたらし、報復合戦の拡大による相互絶滅の危機を招来しかねない。

どのような理由があろうと、怒りに駆られた被害者が適正である以上の暴力を奮うことは許されない。放置すれば過剰な報復にいたるだろう否定的感情、敵意や憎悪や憤怒などを抑制する倫理が要請される。抑制の美徳を説いたストア派が、愛の宗教と称するキリスト教から弾圧され、古代世界から追放された事実は示唆的だ。

世界とは多様な力が無数に交錯し作用しあう場で、そうした力に人間的意味などない。環境に貫入してくる実在的な力を、ある場合には無償の贈与として、ある場合には巨大な暴力として人は捉える。しかしそれは人間側の都合による恣意的分類にすぎない。力は人間のために存在するわけではないからだ。適度であれば豊かな実りを与える太陽エネルギーも、過少であれば冷害を、過大であれば旱魃を招く。いずれも農民には暴力的な自然現象だ。

地震、噴火、津波、嵐などの災害が無数の犠牲者を生むとしても、この「殺人」には意図も意味もない。それを暴力とするなら偶然性の暴力、目的のない暴力、暴力のための暴力といわざるをえない。このような自然的な力は、人間にとって暴力としてあらわれることがある。

世界が力の場である以上、世界から暴力を消し去ることも人間が暴力から完全に開放されることも不可能だろう。大雨による水量の急増が不可避であるなら、人間にできることは川の氾濫が人里を呑みこむことがないように堤を築くことしかない。ようするに力が暴力として発現しにくい環境をできる範囲で整えること。

人が人に行使する力にも同じことがいえる。力が暴力化しないための自他にわたる抑制が必要だし、暴力が行使された場合には不均衡の再均衡化が、すなわち適切な報復がなされなければならない。しかも報復は被害者の権利であると同時に義務でもある。報復は自身で行う義務が課せられていて、他者に代行させてはならない。

報復を代行する他者が、社会に生じた不均衡を均衡化するための特殊な社会装置として制度化されるとき国家が誕生する。アナキストのように国家なしで生きることを望むなら、自由な個人の連合である自己権力体による力の均衡化への努力が不可欠だろう。正義の実現を国家に丸投げすることはできない。

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ただし、暴力に暴力で応えてはならないというシモーヌの信条をイヴォンは否定しない。世界には正義とは異なる価値として善の領域がある。殺した者は殺される。被害者側からの報復で殺される事実を肯定することが加害者に求められる正義だとすれば、ここには謝罪や赦しが生じる余地はない。被害者への謝罪、加害者への赦しは正義とは異なる善の領域の出来事なのだ。

均衡化という全宇宙を貫く物理的な原理の人間社会への反映として正義が存在する。とすれば善は物理的な宇宙とは完全に異なる世界に由来すると考えるしかない。それをシモーヌはカタリ派とともに「神」と呼ぶのだろう。

 

  1. 486

ドストエフスキーの小説『悪霊』のピョートルは配下にシャートフ殺害を命じる。この設定はもちろん、実際のネチャーエフ事件から発想されたものだ。……

ネチャーエフは露悪的に自身の不道徳性を誇るが、しかし革命という最高の道徳的価値を少しも疑うことなく、ほとんど幼児のごとき純真さで信じこんでいた。この男がいいたいのは、道徳的価値を実現するためには不道徳な行為も避けられないという程度ことにすぎん。ようするに目的は手段を正当化するという類の凡庸なリアリストの台詞だな。しかし革命に道徳的価値など存在しない。

ネチャーエフの主張は半世紀後、レーニンとスターリンによって過不足ないものとして実現された。ようするにネチャーエフの不道徳性とは、ボリシェヴィキ国家の不道徳性と同じ水準にすぎない。私にいわせれば、そんなものは不道徳ではない。頽落し腐敗した道徳性にすぎない」

イヴォンも革命の道徳的価値なるものを本気で信じているかどうか。あらゆる道徳的価値が崩壊したニヒリズムの世紀に、革命や社会主義の理念だけが例外といえるものだろうか。

「では、道徳とはなんですか」

「生産と秩序を正当化する観念だ、その反対物が不道徳として非難され否定され追放される。キリスト教社会では、そして近代社会ではさらに徹底して。しかし不道徳性こそ人間存在の意味であることを未開人は知っていた。破壊と消尽に崩れ落ちることで生産と秩序への、道徳への宿命的な従属を切断し破砕すること。これが供犠、犠牲祭儀の意味するところだ。

いいかね。供犠において共同体(コミユノテ)が一体化するのは、全員が犠牲殺害の共犯者になるからではない。それならネチャーエフの企みと少しも変わらない。犠牲として身を捧げる者、犠牲に死を与える者、祭儀に立ち会う者たちの全員が魂の深みで一体化しうるのは、死を共有する体験においてのみだ。犠牲の頭上に加えられる致命的な一撃を、犠牲と

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の交感と同一化によって自身への一撃であると魂の深みで感じとること。犠牲の死を共有し自身の死を先取り的に体験すること」

犠牲は生産と秩序の保全のために使い棄てられる道具、人工的な装置ではない。犠牲とは遍在し臨在する偶然性としての死、共同体(コミユノテ)の外部に向けて口を開いた禍々しい裂孔なのだ。犠牲とは死に臨む私を映し出す鏡であり、祭儀に参加する全員にとって自分自身でもある。

 

  1. 488

ルノワール(バタイユ)も影響を受けている民族学者モースによれば、世界戦争の塹壕から生まれ落ちた二つの全体主義は、行動的少数派の理論という点で双子のように似ている。ボリシェヴィキ党もナチ党も秘密と陰謀による排他的組織で、その起源はアリストテレスが語った古代ギリシアの男性結社にまで遡る。行動的少数派の組織は女性蔑視、女性嫌悪を本質とする同質的共同体だ。

 

  1. 571

カケルの問いにクレール(サルトル)が応じる。「日本は枢軸国でドイツやイタリアと手を組んでいたし国内体制もファシズム的だったようだから、ある程度まで同じ指摘が可能かもしれないな」

「枢軸国であるけれども、日本とイタリア、ドイツには無視できない相違がありますね」

「相違は少なくないだろうが、たとえばどんな」

「この文脈で問題にしたいのは戦争の終わり方、終わらせ方です。イタリアでは支配層が分裂し、国王派のクーデタでムソリーニ政権は倒されました」

連合軍のイタリア半島北上に呼応しながらドイツ軍とドイツの傀儡政権への抵抗闘争が闘われ、捕らえられたムソ

  1. 572

リーニはレジスタンスによって街角で吊るされる。連合軍の軍事力という要素があるために簡単には同一視できないにしても、イタリアの戦争終結には第一次大戦の際のロシアやドイツと部分的には共通する点が見られるのではないか。

「敗戦革命とまではいえないにしても、民衆の抵抗による戦争終結という点で。他方でドイツは首都ベルリンが陥落し、総統ヒトラーが自殺するまで戦争は続きました。連合軍に国土の過半と首都が奪われるまでの徹底抗戦したドイツ型と、民衆のパルチザン闘争で半ば敗戦革命的な状況が現出したイタリア型。いずれも侵略戦争をはじめた旧体制は一掃されました」

「敗戦に日本型があるというのかね」老人が首をかしげる。「日本列島に……

カケルが続ける。「イタリアでもファシズム体制の協力者が、戦後も社会的に延命し地位を保った例は少なくありません。それでも日本のように侵略戦争内閣の閣僚が戦後に首相になるようなことはなかった。その程度には戦中と戦後は切断されています」

「途中で戦争をやめた日本ではファシズム的体制が温存され、戦中と戦後には連続性があると」

「ええ」日本人がクレールに無表情に頷きかける。「ただし、戦後日本社会の病理はもう少し複雑です。他の敗戦国と違って戦中と戦後の切断が不充分で曖昧だとしても、フランコの独裁体制が大戦後も続いたスペインとは違うんですね」

日本を占領した連合軍は極東軍事法廷で「平和に対する罪」を裁き、戦争指導部や協力者を追放した。また農地解放や財閥解体など上からの民主化を進めて、軍国主義日本の社会的基盤を解体しようと努めた。日本がアジア太平洋地域で二度とアメリカに軍事的に敵対できないようにする目的で、天皇を主権者とする帝国憲法を破棄した新たな憲法の制定をもくろんだ。占領軍の圧力に屈した日本政府は、アメリカが作成した憲法案を議会に提出し新憲法が成立する。

……

1951年のサンフランシスコ平和条約で連合国による占領は終結し、日本は主権国家の地位を回復する。しかし独立は形式的で、同時に締結された日米安保条約によって占領体制は実質的に継続され、戦後日本はアメリカの従属国として今日まで存在してきた。

「戦後一貫して政権を掌握し続けてきた日本の議会内保守勢力は、戦勝国イギリスの保守党、敗戦国ドイツのキリスト教民主同盟に対応します。経済的には資本主義を掲げる点で。しかし相違も無視できません。日本の保守勢力は戦前の日本帝国を理念的に肯定しながら、アメリカの属国である現実に疑問を持たないという欺瞞的な二重性があるから」

 

  1. 575

「一方で戦争放棄を掲げながら、他方で多数の米軍基地を置いている。自衛隊という軍隊ではない軍隊まである。こうした戦後日本の国民的な自己欺瞞は無意識化されています。しかもそれが日本の経済的繁栄の条件だったのです。

  1. 576

憲法の制約を口実としてアメリカの再軍備要求にも最低限しか応じないことで軍事費を節減し、戦後の経済復興と高度成長に邁進できたわけですから」

 

  1. 577

老人が感想を口にする。「われわれは奇妙な戦争(ドロール・ド・ゲール)を体験したことがあるが、同じ枢軸国でも日本はイタリアやドイツとは違う奇妙な敗戦国だというわけだ」

「イタリアやドイツが通常の敗戦国とすれば、たしかに日本は奇妙な敗戦国です。そこで僕は考えるんですが」日本人はいったん口を噤み、それからゆっくりと言葉を続ける。「奇妙な敗戦国の裏側には奇妙な戦勝国があるのでは」

「……奇妙な戦勝国」クレールが呟いた。

「アメリカやイギリスは通常の戦勝国ですが、フランスも同じでしょうか」

フランスは連合国だから第二次大戦の戦勝国に違いない。連合国の一員として敗戦国ドイツの占領作戦に参加したし、戦争直後のベルリンにはアメリカ、イギリス、ソ連と並んでフランス占領地区も存在した。戦勝国でなければ国連安全保障理事会の常任理事国に選ばれたわけがない。

「きみはヴィシー政権のことをいっているんだね」

「ええ」カケルが応じる。

「ヴィシー政権を敗戦国とはいえんな、ドイツの傀儡政権だとしても連合国に宣戦布告はしていない。参戦していない国は敗戦もできない」

「参戦していないとしても、ヴィシーを首都としてフランス国は枢軸側でした。枢軸国から国家として正式に承認され、ドイツの戦争に全面的に加担していたし、ヴィシー政権に権力を委譲したのはフランス第三共和政の議会です。ヴィシーのフランス国は第三共和政の合法的な継承者だった。とすれば亡命者ド・ゴールによるロンドンの〈自由フランス〉や臨時政府には法的な正統性は認められません。このように正統政権のヴィシーが枢軸側だとすると、フラ

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ンスが連合国で戦勝国だというフランス人の理解には飛躍がある。フランスの外から事態を観察するなら、こうした飛躍と断絶の不自然には疑問の余地がないんですが」

「手続上はともかく、第三共和政の理念を一方的に破棄したヴィシー政権に実質的な合法性があったとはいえん。とはいえロンドンで樹立された〈自由フランス〉も、その発展形だったフランス共和国臨時政府も、国民の審判なしで成立した事実は否定できん。ド・ゴールはレノー内閣の国防次官だったが、この内閣は総辞職している。イギリスに亡命したド・ゴールは公的な資格のないたんなる私人だった」

手続き的には第三共和政の合法的な継承者であるヴィシー政権と、大戦後に成立した第四共和政のあいだには、第二帝政と第三共和政と同じような革命的断絶がある。ロンドンからパリに戻った臨時政府の新憲法草案が、1946年10月の国民投票で可決されて第四共和政が発足する。そこから遡って、ロンドン臨時政府も合法化されたのだと憲法学者は解釈するだろう。第三共和政とヴィシー政権に連続性が認められる以上、第四共和政は第三共和政とも政体として断絶している。

カケルが続ける。「実際のところヴィシー政権下のフランスを、イタリアと同じように連合軍の直接統治下に置くという案もルーズヴェルトとチャーチルは検討していた」

その場合はフランス人もイタリア人やドイツ人と同じ敗戦国民として、第二次大戦の世界を生きることになったろう。

「対独抵抗運動の成果だと思う」わたしはイヴォンのことを思い出していた。

「イタリアのレジスタンスはフランスよりも強力で、共産党を含む国民解放委員会はドイツの傀儡に転落したムソリーニの政府と、国王派のパドリオ政府の双方を敵として解放戦争を戦った。しかし連合国は国民解放委員会を政権として承認することなく、軍事占領と直接統治を選んだ」

ドゥブレが口を開く。「イタリアとフランスの違いは、ドイツに降伏するまではイギリス人と同じ陣営に位置していたこと。さらに北フランスの植民地部隊など〈自由フランス〉軍が対独戦の戦力として評価されたこともあるんじゃないか」

「それもあるが」クレールが話を引きとる。「政治家ド・ゴールの存在が決定的だった。この事実は反ド・ゴール派も認めざるをえない。どれほど鬱陶しがられてもチャーチルとルーズヴェルトに喰らいついて、臨時政府の正統性を

  1. 579

英米に認めさせたド・ゴールの功績だろう、大戦後の世界にフランスが戦勝国として君臨しえたのは」

ムソリーニを追放したイタリア王国は枢軸側から離脱し日本に宣戦布告さえして、連合国の仲間に入れてもらおうと姑息な策まで弄したが無駄だった。無条件降伏を強制されたイタリアは敗戦国に転落しフランスは戦勝国の地位を得た。それは複数の好条件が複合した偶然の結果だったのかもしれない。

 

  1. 581

日本という奇妙な敗戦国の戦後が精神的に歪んでいるとすれば、奇妙な戦勝国のほうはどうなんでしょうか。出発点で二重の敗戦を隠蔽したフランスの戦後には、通常の戦勝国アメリカやイギリスには見られない特殊性があるのでは」

「二重の敗戦とは」クレールが確認する。「1940年の第三共和政の敗戦、そして1944年のヴィシー国家の敗戦ということかな」

「そう、第一はドイツへの敗戦、第二は連合国への敗戦ですね」

ドイツに降伏した第三共和国は、ヴィシーのフランス国に引き継がれたのち命脈が尽きた。大戦後の第四共和国はヴィシーのフランス国と断絶している。第四共和国としてのフランスはドイツへの敗戦に責任がない。極論すれば戦争に負けたのは別の国ということにもなる。しかも解放後に第四共和国に引き継がれるロンドンの臨時政府は連合国の一員なのだから、連合軍に敗北したのは枢軸側のフランスにすぎない。ロンドンの臨時政府も第四共和国も戦争に負けたことなどない。なにしろ戦勝国なのだから。

「敗戦国には敗戦という精神的な傷が残ります。敗戦を終戦と言い換えることで歴史の切断を拝費下日本人は、その自己欺瞞に呪われ続けています。たまたま戦勝国となったフランスの場合はどうでしょう。二つの敗戦をめぐる国民的な傷は綺麗に消去され、新たに誕生した第四共和国は新生児さながらの汚れない純白を誇ることができたのか。

であれば、おのれの幸運を喜んでいればいい。しかし、そういうわけにはいかないようです。二重の敗戦から生じた精神的外傷は国民的無意識に抑圧され、不可視化されたにすぎないから。しかし抑圧されたものは回帰する、精神分析的な比喩を好まないなら第四共和政の断末魔を思い出してください」

独立運動が激しさを増したアルジェリアでは1958年5月、フランス人植民者(コロン)と結んだ現地フランス軍が「ド・ゴール万歳」を唱えて本国政府に謀叛を開始する。フランコが君臨するマドリッドで密かに結成された秘密軍事組織(OAS)が、アルジェリアの叛乱軍を統率していた。叛乱軍による本国進攻の脅威を前にフリムラン首相は、3年前に政界を

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引退していたド・ゴールに再出馬を要請する。議会から全権を委任されたド・ゴールは新憲法草案を提示し、それは9月に実施された国民投票で承認された。アメリカ合衆国に倣って大統領権限を強大化した第五共和政が発足し、ド・ゴール自身が大統領の地位に就いた。

アルジェリア叛乱軍のマシュ将軍はド・ゴールの権力掌握を歓迎したが、期待はじきに裏切られれる。植民地主義の時代は過ぎたことを知った新大統領が、1960年11月にアルジェリアの独立を承認したからだ。政治危機と全面的な内戦は一応は回避されたが、激動は62年まで続いた。アルジェリアの支配圏を掌握した民族解放戦線(FLN)による迫害を怖れて、植民者(コロン)の大量脱出がはじまる。故郷を奪われた植民者(コロン)の過激派や本国の極右派を糾合した秘密軍事組織(OAS)は、深まる社会不安を背景に爆破や暗殺などのテロ攻勢をしかけた。OASのテロは62年のド・ゴール暗殺作戦で頂点に達する。⇒『ジャッカルの日』

 

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戦後のフランス人には自己欺瞞がある。確信犯的な協力派(コラボ)と、行動的な抵抗派(レジスタンス)を対極的な例外として、大多数の国民は望まないながらもドイツ占領体制を容認していた。それなのに戦後フランスでは、あたかも全員がレジスタンスの戦士だったかのように語られてきた。

『悲しみと哀れみ』は「五月」の翌年に製作された長大な記録映画だが、それを観たときの衝撃は忘れられない。占領を抵抗しがたい現実として受け入れるふつうの人々の生活が淡々と、ときには諧謔的に描かれていたからだ。

……

戦後フランス国家の公認史観を逆撫でする『悲しみと哀れみ』のテレヴィ放映はフランスでは禁止され、製作から2年後になってようやくパリの小劇場で上映されることになった。事情通の友達から話を聴いて興味をもち、わたしは学校を休んで観にいくことにした。

ナチに加担した親世代への子たちの世代の告発と、親たちが築いた戦後社会への叛乱という面がドイツの急進的学生運動にはある。「克服されざる過去」をめぐる問題だ。この点は日本も同じかもしれない。しかしフランスの運動にそうした要素は希薄だった。ただし若い世代には、共産党とド・ゴール派が広めたレジスタンス神話を疑いはじめた者たちも出てきてはいる。

 

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「そうだね。日本の急進左派の運動が奇妙な敗戦国の産物だったとすれば、われわれの場合はナチに加担した事実を忘れている。あるいは忘れたふりをしているフランス社会を敵としたともいえる。きみの言葉いえば、奇妙な戦勝国としての戦後フランスに闘いを挑んだ。第二次大戦中にドイツに占領された国は多いけれど、国家政策としてナチに加担し協力したのはフランス一国なんだ」

ドイツの戦争経済に協力して国民を飢えに追いやったのも、傀儡国家の宿命だったという責任逃れの弁護論がある。ドイツに連行された労働を強制されているフランス兵捕虜の帰国を、ペタンも一応は求めた。しかし反対に、フランスの労働者を強制徴用してドイツに送れという要求まで吞まされてしまうのだが。

「しかし、どのような弁明も通用しない犯罪的な事実がある。ユダヤ人の迫害とホローコストへの加担だ。ヴィシー政権はユダヤ人狩りに奔走したが、これはドイツの高圧的な要求にやむなく応じた結果ではない。第三共和政下では反教権を標榜する社会主義者とカトリック教会の左右の両陣営が、ともに反ユダヤ主義の宣伝に夢中だった。ドレフュス事件が一例にすぎない。遅れた国ロシアやドイツだけではない、文明の地フランスもまた陰湿で暴力的な反ユダヤ主義に染まっていた」

ヴィシー政権の警察や民兵団(ミリス)は積極的に、国民の大半は黙認というかたちで消極的にユダヤ人の迫害と逮捕や強制収容に、つまるところ大量虐殺に加担していた。ユダヤ人

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を逃したり奥まったりしたのは例外的な少数にすぎない。しかし戦後フランスはホローコストへの加担という「人道に対する罪」を、ヴィシー政権の政治家や役人と一部の協力派(コラボ)に押しつけることにした。何万人ものユダヤ人を絶滅収容所行きの家畜列車に押しこんだのは、ヴィシー国家の警察や民兵団(ミリス)で一般市民に責任はない、フランス国民の手はユダヤ人の血で汚れていないと姑息な弁明に終始してきた。

「1942年7月のユダヤ人大量検挙のあと、エルミーヌは友人の身を案じて一時収容施設まで面会に行ったものさ。しかし、われわれにはなにもできなかった。……たしかに、われわれは有罪だ」

 

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ユダヤ法ハラーハーではユダヤ人の母から生まれた子供がユダヤ人とされる。クロエの母親は非ユダヤ人だから、この定義によればクロエもユダヤ人ではない。しかしナチのニュルンベルク法では両親の一方がユダヤ人なら子供はユダヤ人とされる。

 

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ユダヤ人をマダガスカル島に、あるいは対ソ戦に勝利してウラル山脈の彼方に追放する案も検討されたという。ユダヤ人を組織的に大量虐殺し物理的に抹殺する「ユダヤ問題の最終的解決」は、1942年1月20日にベルリンのヴァンゼー会議で決定された。それ以前からナチは強制収容所で多数のユダヤ人を殺害していたが、大量殺人を目的

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に絶滅収容所が建設されるのはヴァンゼー会議以降のことだ。

 

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常識的には、殺人は他人の声明を奪う行為として理解される。しかし、生命をその人物の所有物といえるだろうか。ジョン・ロックによれば私の身体は私の所有物だ。心臓を失えば、あるいは心臓の機能を失えば人間の生命活動は停止する、ようするに死亡する。身体の一部である心臓もまた私の所有物であるなら、生命も同じだといえるだろうか。

人間の自己身体は事物の性格を持つとしても、たんなる事物とはいえない。それは生きられる主観の不可欠の一部であり土台であり、私が生きて存在することの必然的な条件だから。

モノとしての身体は奪うことができても生きられる主観は奪うことなどできない。コフカのような絶滅収容所で奪われたのは囚人の私それ自体ではないし、私の命でさえない。囚人の身体機能は奪われたとしても、その私は人間的可能性を成就して消滅し消失したのではないか。

日本人が続ける。「消失に怯え、消失を恐れ、消失から逃れようとしてそれを剥奪、強奪、簒奪に置き換えるナチズムと、それに連なる巨大暴力。自己存在の消失可能性を先取り的に生きることとは、こうした暴力への根源的な抵抗に他なりません。対象に転移した自己消失の可能性は、虎が消えたから私は消えないという頽落をもたらす。ユダヤ人が消えたから私は消えない、消えなくてすむという態度は、そうした頽落の延長線上に生じる。

ナチでもユダヤ人でもないドイツ人は、そして占領地のポーランドやフランスの市民もまた、大多数はユダヤ人の消失に頽落した自己欺瞞的な態度で対したといえます。しかしながら消失には別の態度をとることができる。

自己身体は主観でも事物でもない特殊な対象性ですが、

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自己身体の一部の消失を進んで受けいれる私は、そこにおいて消えうる、死にうるという人間的可能性を生きる。自己存在の奪い奪われうるものとして捉えてしまう。その極限がホローコストです。自己身体の消失を受容し消失可能性を生きることは、奪う原理に支配された暴力的な世界への渾身の抵抗です。

 

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カケルは日本を出たあとインドを放浪し、ヒマラヤで仏教の修行をしていた時期もあるようだ。消失をめぐる青年の思考には、永遠の輪廻転生という残酷な宿命に救済としての無を対置するブディスムの影響があるかもしれない。ただし古代ギリシアでは「一番いいのは生まれないこと、次にいいのは早く死ぬこと」という民間の哲理が語り伝えられていた。死と消滅を肯定する点ではカタリ派の信仰も、それと通じるところがある。

転生、来世、復活、審判、天国など死後の世界や死後の自己意識の存在を認める思考は、人間のみに固有である消失可能性を欺瞞的に隠蔽する。こうした頽落は消失の経験にも浸透してくる。移動した、あるいは携帯を変えたにすぎない事物を「消えた」と思うとき、人は自己消失の可能

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性を対象に投影している。こうした投影には動機がある。それが消えたから私は消えない、消えなくてもすむと信じたいから、人は事物の移動を消失として了解しようとする。さらに消失は頽落し娯楽にさえなる、檻のなかで虎が消失するマジックのように。

ネアンデルタール人も死者を埋葬したとすれば、消失する存在としての人間の歴史はホモ・サピエンスのそれに等しい。消えることに比較して奪い奪われる経験の時間的射程は短い。死を意識した瞬間に消失可能性としての人間存在は誕生したが、奪い奪われる経験が生じるのは所有が発生して以降にすぎないからだ。

事物を所有しはじめた人間は他者を所有し、あるいは他者に所有されるようになる。こうして主人と奴隷が対極的に生じた。所有する/される存在としての人間は消失を拒否しなければならない。所有対象の消失とは所有する存在としての人間の否定に通じるから。

たとえ主人に所有された奴隷であろうと、自己存在の消失は容認できない。すべてを剥奪されているからこそ、最後に残された唯一の所有対象である生命は守らなければならないから。こうして所有する/される存在としての人間は宗教を発明し、主人は主人の立場から奴隷は奴隷の立場から、それぞれに転生や来世や天国と地獄を信じるようになる。

所有と剥奪の論理が極限に達した時代が近代だ。そして20世紀、消失を否定する剥奪の原理が全面化した世界を支配しはじめてホローコストが現実化する。

 

 

 

 

 

 

 

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塩原 俊彦

(21世紀龍馬会代表)

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