YOLO(人生は一度きり):「命短し恋せよ乙女」

 2021年4月21日付の「ニューヨークタイムズ電子版」に、「YOLOエコノミーへようこそ」(https://www.nytimes.com/2021/04/21/technology/welcome-to-the-yolo-economy.html?searchResultPosition=2)という記事が掲載されている。ここでいうYOLOとは、「You only live once」(人生は一度きり)の略語で、10年前にラッパーのドレイクによって広められ、それ以来、好んでリスクを取る、陽気な人々が使っている言葉である」という。パンデミックのなか、人生設計における優先順位が変わり、人々の生き方に変化が生まれていることについて、前向きに受け止めようとする論調が展開されている。

 2021年10月15日付で更新された「ウォールストリートジャーナル電子版」(https://www.wsj.com/articles/whats-driving-americas-workers-to-leave-jobs-in-record-numbers-11634312414)によると、連邦政府の最新データでは、2021年4月から8月の間に米国の労働者が仕事を辞めた回数は2000万回近くにのぼり、前年同期に比べて60%以上も増えているという。どうやらパンデミックは人々の生き方にも大きな影響をおよぼしているように思われる。

 ここでは、これらの記事を参考にしつつ、パンデミックが人々の心におよぼしている影響について地球規模の胎動に注目しながら考えてみたい。

 

 マイクロソフトの地球規模の調査

 マイクロソフトは、独立した調査会社が2021年1月12日から25日の間に、世界31市場の3万1092人のフルタイムの被雇用者または自営業者を対象に実施した調査結果をもとに、報告書「次なる大変革はハイブリッド・ワーク」(https://ms-worklab.azureedge.net/files/reports/hybridWork/pdf/2021_Microsoft_WTI_Report_March.pdf)を公表した。

 第一に、リモートワークと対面での仕事の混合(ハイブリッド)という「フレキシブルな働き方はこれからも続く」と結論づけられている。「70%以上の従業員は柔軟なリモートワークの継続を望んでいる一方で、65%以上の従業員はチームとの対面の時間を増やしたいと考えている」結果、「ビジネスの意思決定者の66%は、ハイブリッドな仕事環境に対応できるように物理的なスペースを再設計することを検討している」という。

 興味深いのは、「41%の従業員が今年中に現在の会社を辞めることを検討しており、46%が、リモートワークが可能になったために移動する可能性がある」と答えている点だ。「この1年で多くの変化があったため、従業員は優先順位、本拠地、そして人生全体を見直そうとしている」というのである。

 この傾向は求人数と失業者数のミスマッチというかたちになって現れている。2021年9月4日付で公表された「ワシントン・ポスト電子版」の記事「アメリカには1000万人の求人があるのに、なぜ840万人の失業者がいるのか」(https://www.washingtonpost.com/business/2021/09/04/ten-million-job-openings-labor-shortage/)では、パンデミックとその不安、移出禁止、自宅待機などが人々を変え、ある人はずっとリモートで働きたいと考え、またある人は家族と過ごす時間を増やしたいと考え、より柔軟で有意義なキャリアパスを求める人もいることに注目している。そして、そうした変化は、「“you only live once”という考え方の筋肉増強剤を打ってパワーアップしたようなもの(ステロイド版)」であると指摘している。

 

 豊かな国米国の若者たちの変化

 前述した「ニューヨークタイムズ」の記事によると、「経済的に余裕があり、需要のあるスキルを持っている人が増えてきており、この1年の恐怖や不安は、新しい種類の職業的な恐れ知らずへと変わりつつある」という。「多くの分野で深刻な労働力不足に直面しているため、その分野の労働者は必要に応じて簡単に新しい仕事を見つけることができる」という面と、「最近では、リスクを取る余裕のある人が増えてきた」という事情から、「燃え尽きた労働者が辞めるわけではない」という新しい状況が生まれている。

 加えて、主に有名大学を卒業し、名声のある業界で働き、決して「エッセンシャルワーカー」に分類されることのない20代後半から30代前半の何人かに聞いてみると、「ホワイトカラーとして出世の階段を昇る伝統的なキャリアパスに対する信頼がパンデミックによって破壊された」のだという。ゆえに、自分の人生を見つめ直し、一度だけの人生に賭け、後悔しない道を選択しようとする若者の増加という現象につながっている。記事では、「2021年の支配的な感情が「閉塞感」であるとすれば、2021年の労働市場を決定づけているトレンドはYOLO主義かもしれない」と指摘されている。

 

 日本の若者への伝染

 こうした米国の事情は、少なからず日本の若者にも伝染しているに違いない。むしろ、過度な同調性を特徴とする日本では、キャリアパスへの「信仰」が崩れると、その反動が大きくなるのではないかと予想される。

 「長時間労働を敬遠? 国家公務員キャリア志望者が減少」(2021年4月日付「朝日新聞電子版」)[https://digital.asahi.com/articles/ASP4J65HKP4JUTFK01T.html]という記事には、人事院の発表した2021年度の国家公務員採用試験への申し込み状況について、つぎのように書かれている。

 「中央府省庁の幹部候補となる総合職の申込者数は、前年度比14・5%減の1万4310人だった。いまの総合職試験が導入された12年度以降で最大の減り幅で、深夜や休日に及ぶ長時間労働が問題視される職場環境が、学生に敬遠される背景になった可能性がある。」

 もっと単刀直入にいえば、「マヌケな政治家に面従腹背するだけでなく、下手をすると詰め腹まで切らなければならない役人生活を何十年もつづけたうえに、安い給料で働かされるのはこりごり」ということではないか。接待を受けて行政さえ歪めておきながら、そうした自らの不正を認めず行政組織を守ろうとする、行政機関という腐敗構造に自ら好んで入り込もうとする人はさすがに少なくなっているのだ。政治家と同様、官僚に対する信頼は失われつつあるから、官僚になろうと志向すること自体、ネガティブに感じられるのだろう。

 日本の場合、テクノロジーの進展がめざましいいま、時代の変化についていけないないにもかかわらず、年功序列の名残りで偉そうにしている「年寄」が役所にも会社にも多数存在することは容易に想像できる。それでいて、若者たちは業績任せの結果を求められている。第一生命の有名な「サラリーマン川柳」に、「成果主義 成果挙げない人が説き」という句がある。こんな状況では、逃げ出したくなるのも当然だろう。

 このあたりの事情からなのか、2020年10月にリリースされてヒットした、Adoの期間限定シングル「うっせいわ」の歌詞、「一切合切凡庸な あなたじゃ分からないかもね」という部分に、「あなた」という上司がたとえマヌケであっても、立てなければならない「不条理」に新入社員の行き場のない「怒り」が感じられる。

 2021年7月4日付の「日本経済新聞電子版」の記事「雇用流動化、若者けん引 3年内離職率が10年で最高」(https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCA229610S1A620C2000000/)では、「異業種から流入が多い業種はIT通信で、電機メーカーや金融などから人が集まる。リモートワークの拡大で住宅需要が堅調な建設・不動産は電機メーカーや外食、商社からの転職が多い」と指摘している。

 9月9日に開かれた経済同友会のオンラインセミナーで、サントリーホールディングスの新浪剛史社長が「45歳定年制」を提言したことが話題になった。45歳を定年であると「脅せば」、20代・30代の若者はもっと真剣に勉強するはずだというのが新浪社長の目論見であったようだが、テクノロジーの急速な変化を前提とすれば、その変化に追いつけない人物はいらないと企業が考えてもおかしくない。あるいは、社員の側がテクノロジーの変化に鈍感な企業から逃げ出すのは至極当然だろう。

 転職することは決して悪いことではない。筆者は、日本経済新聞の大阪証券部に在籍した際、東京本社からあった、筆者を当時のソ連のレニングラードに留学させる話を断った証券部長に怒って会社を辞めた(といっても、すぐに辞めたわけではなく、一橋大学大学院経済学研究科の修士課程の試験に合格して辞めた。こんな上司のもとでは、仕事なんか、「うっせいわ」であった)。

 

 中国の若者は「躺平」

 中国の若者の間では、「躺平」(とうへい, tangping[タンピン])という言葉がはやっているらしい(The Economistの記事[https://www.economist.com/china/2021/07/03/china-urges-its-people-to-struggle-some-say-no]を参照)。「寝そべる」とか「横になっている」というのが本来の意味だが、「国のために仕事に全力を尽くすことを奨励する政治文化への拒否反応を示唆する」言葉として定着しつつある。どうやら、若者の「頑張らない」、「競争しない」、「欲張らない」といったいまどきの心情にぴったりとフィットしているようだ。

 20代、30代の多くの中国人は、好景気を謳歌し、生活水準の向上を実感できた両親とは異なり、「努力しても生活の質が向上しないことに不満を抱いている」という。社会の停滞と格差拡大という現実が彼らの人生への疑問を掻き立てているのだ。ゆえに、「中国のインターネット上では、「横になること」(中国語で「タンピン」)についての言及は厳しく制限されている」と、「ニューヨークタイムズ電子版」(https://www.nytimes.com/2021/07/03/world/asia/china-slackers-tangping.html)は伝えている。

 

 「デジタルノマド」という生き方

 いわゆる「デジタルノマド」として生きる方法もある。世界中を遊牧民(ノマド)のように移動しながら、世界のどこにいても通信技術の発展を利用ながら収入を得て、各地の生活をエンジョイする生き方だ。たとえば、Airbnb(エアビーアンドビー)は長期旅行者向けにアプリを刷新し、日程や目的地を指定せずに宿泊施設を検索できるようにした。デジタルノマドを顧客として取り込むためである。

 パンデミック下で、世界的にテレワークとかリモートワークといった働き方が広がったこともデジタルノマドの増加を後押ししている。ただし、今後もこうした働き方がつづくかどうかは不透明だ。それでも、移動はその人の人生を確実に豊かなものにするだろう。

 

 YOLOを意識化せよ

 ただ、世界の潮流に疎い日本の若者がYOLOという言葉を知っているとは思えない。自分の生き方として、「人生は一度きり」と意識化したうえで、自分自身の人生を選択しようとしているようには思えないのだ。自分の「死」を身近に感じなければ、人生の不条理を心の底から嘆き、苦悩することにはならない。相変わらず、「世間体」とか「イエの面子」とかいったバカげた「しがらみ」を気にしながら、「人生は一度きり」と叫んでみても、「逃げている」ようにしか映らない。

 実は、2015年にLittle Glee Monsterがリリースした歌に「人生は一度きり」というがある。代々木ゼミナールのCMに使用された曲だ。歌詞のなかには、つぎのような字句がある。

 「人生は一度きり がんばったぶんだけ

  いつか誇れるはず 胸張って歩いて行こう」

 こうした毒にも薬にもなりそうもない歌詞が呼び起こす「人生は一度きり」という言葉のイメージはどうにも「ゆるい」というか、「甘い」。「死」という事実を意識したうえで、「生」をどう生きるかを真正面から考えるといった悲壮さがまったく感じられないのだ。

 日本の若者に求めたいのは、この歌のような「軽さ」ではない。こんな「甘い」気持ちでは、安易な刹那主義に陥るだけに終わるのではないか。そうではなく、英語のYOLOについてじっくりと考えてみてほしいのだ。You Only Live Onceという英語をかみしめることで、死を迎えるまで一度だけ生きるという時間をどう過ごすべきかという英語の含意をくみ取ってほしいと思う。

 

 FIREという生き方

 他方で、FIREという生き方が最近、知られるようになっている。これは、「Financial Independence, Retire Early」の頭文字をとってFIREと呼ばれるもので、株式投資などである程度の経済的な独立性を確保したうえで、早期退職をしようというものだ。2021年3月29日付の「早期引退の夢「FIRE」したい人がいますべきこと」(https://www.nikkei.com/article/DGXZQOMH246PR0U1A320C2000000/)という記事や、6月3日付の「私はこうして会社から「自由」になったFIREを選んだ人たち」(https://mainichi.jp/premier/business/articles/20210531/biz/00m/020/007000c)という記事を読めば、FIREという生き方がYOLOという生き方と通底していることに気づくだろう。パンデミック下で、将来への見通しが立てにくくなっているなかで、経済的なしっかりした基盤を前提としたうえで、同じ仕事をつづけるのではなく別の生き方を模索しようとことなのだろう。

 少しだけ長く生きてきた筆者からみると、日本の過剰な同調性を強制する「世間」という見えない「空気」から逃れるのは難しいが、そうした生き方を模索する若者が増えるというのはいいことだと思う。心から応援したい。ただし、それは「うっせいわ」と叫ぶことでは決して終わらない。自分の人生は自分で切り拓くしかないのだ。

 

 老人にとってのYOLO

 問題は「老人」かもしれない。老人には、FIREはあてはまらない。6月21日で65歳を迎えた筆者からみると、FIREと言われても手遅れなのだ(もっとも、筆者は26歳のときに、最初に入社した日本経済新聞社を辞めているから、早期退職は経験済みということなのかもしれないが)。

 他方で、いま、YOLOという見方に素直に共感できる。それは、死を実感できる年齢になりつつあるからだろう。死を具体的に意識できるからこそ、「人生は一度きり」と強く感じることができる。たぶん、パンデミックのなかで、健常者としての生活ができるうちに人生でやり残したことを何でもいいから完遂したいという想いがふつふつと湧いている「老人」が多いのではないか。

 「老人」にとってのYOLOとして強く感じるのは、将来世代への負の遺産を少なくとも減らさなければならないという責任感のようなものだ。それは、「立つ鳥跡を濁さず」という教えに対応している。

 YOLOを強く意識できれば、本音で若者に語りかけることもできるだろう。とかく「世間」というわけのわからない「空気」から、強い圧力を受けて、自分自身の人生を生きることさえ難しい日本人であっても、死を目前にすれば、何か後世の人に役立つことができるのではないか。少なくとも、世間体のようなつまらない「見栄」にとらわれるバカバカしさに気づいてほしい。

 黒澤明監督の映画「生きる」のなかで、映画「生きる」で志村喬演じる市役所の市民課長の渡辺は、役人の事なかれ主義に染まりながらも、死を目前にしてその生き方に疑問をいだく。渡辺は住民が望む公園づくりに奔走する。その死を前に、公園のブランコで彼が口ずさんだのが「命短し恋せよ乙女」であった。

 どうか、いまの日本の老いも若きも、この言葉に込められたメッセージについて考えてほしい。

 YOLO本来の「生き方」について、死を出発点にして考えてみていただきたい。

 

 「命短し恋せよ乙女」

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塩原 俊彦

(21世紀龍馬会代表)

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