アウシュヴィッツを思い出す
五輪組織委の小林賢太郎なる人物が解任された。過去にホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)をやゆするセリフをコントに使っていたことが問題視されたという。この話を知って、思い出すのは、あの有名なアウシュヴィッツ強制収容所を訪問したときの出来事だ。世界に関心をもち、実際に行ってみることの大切さを強調したくなった。小林のような無知な者が生まれるのも、日本の教育が歪んでいる結果だろう。旅は読書とともに人間を豊かにしてくれる。
アウシュヴィッツ強制収容所
日本経済新聞社の入社式の2日前まで、わたしは40日間をかけて世界一周旅行をしたことがある。その際、ポーランドのクラコフからバスに乗って、ドイツ語でアウシュヴィッツ、ポーランド語でオシフィエンチムにある強制収容所を訪れた経験がある。
忘れられない出会いがある。二人の外国人(たしかイラン人だったような気がする)と一人のポーランド女性との邂逅だ。どうやら「出張娼婦」を二人の男性が伴っていたようなのであった。たった一人の日本人であったわたしは、彼らと仲良くなり、アウシュヴィッツに向かった。
まずは、映画上映があった。20分くらいの記録映画を見せられる。何人かいた鑑賞者のなから、かすかな嗚咽が聞こえてきた。そこから先は、別行動でアウシュヴィッツの内部に歩を進めた。
最初に、門をくぐった。その門の上には、「アルバイト・マハト・フライ」(働けば自由になれる)というドイツ語の文字が掲げられていた。その後、さまざまな展示物を見た。とくに印象に残ったのは、人の毛髪でつくられた絨毯、そして人のあぶらからつくられた石鹸だ。
訪れたのは3月だったから、ガス室は寒く、心まで凍てついた。
小林の無知
こんな経験をしているわたしからみると、小林は無知そのものだ。実際に、アウシュヴィッツに行けば、そこで筆舌に尽くしがたい虐殺があったという歴史の重さのいったんが強く印象づけられるはずだ。事実、このときの思い出は60歳を過ぎたいまのわたしの脳裏に深く刻まれている。
広島や長崎の記念館を訪れたときよりもずっと陰鬱な気分になったことも思い出す。バスで知り合った3人組も出口では、ショックを受けたように押し黙っていた。
日本の教育の欠陥
よく指摘されるように、日本では現代史をきちんと教えない。それは、いまでもたぶん変わってないだろう。わたしが思うのは、それ以上に歴史を丁寧に教える必要性だ。
わたしは、東京教育大学付属駒場高校で、1年間にわたって幕末の土佐藩の状況について日本史の授業を受けた。いまでは、ほとんど何も覚えていないが、ただ一つ、武半平太や坂本龍馬の家がどこに位置していたかを示す地図のことをかすかに思い出すことができる。
その授業で刻まれたのは、「歴史は細部に宿る」ということであった。教科書に書かれているのは、歴史の偏った表層にすぎず、こんなことを記憶しても何の役にもたたない。大切なのは、ナラティブであり、そのナラティブのなかで人間がどう生きたかということなのだ。
世界史としての日本史
ここまで書いてきたとき、ふと思い出したことがある。それは、つい数週間前、学生がわたしに寄こしたメールのなかで、何とかいう予備校講師が日本史専攻なのに世界史の講義で人気を集めているのはおかしいという話があった。このメールに対して、何の返信もしなかったが、こうした見方がたぶん、多くの日本人の感覚なのかもしれないと思った。
わたしはといえば、友人、出口治明が『週刊文春』で連載中(いまは病気休刊)の「日本史講義」の最初に指摘したように、日本史も世界史の一部であるとみなすことがきわめて重要だと思っている。日本史を語るには、同時代の世界史に通じていなければならない。
まったく同じことが21世紀のいまについてもあてはまる。いや、グローバリゼーションを前提するいまこそ、日本史は世界史抜きに語ることはできない。
こうした前提にたって、世界に目を向けることがそれぞれの人の人生を豊かにしてくれるのではないか。そんなことを小林というマヌケの解任から考えるようになった次第である。
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