「アホノミクス」から「スカノミクス」へ
2020年9月28日付「毎日新聞」に、浜矩子・同志社大大学院教授へのインタビュー記事「政治的下心のため経済政策を利用した“アホノミクス”の大罪 浜矩子氏が斬る「景気回復」」(https://mainichi.jp/articles/20200927/k00/00m/010/199000c)が掲載されている。このインタビューのなかに、「アホノミクス」という言葉も「スカノミクス」という言葉も登場する。そこで、ここでは「「アホノミクス」から「スカノミクス」へ」をタイトルにした。
「アホノミクス」
「アベノミクス」と自称された安倍晋三前政権時代の経済政策は、一言で言えば、政治が中央銀行を従属させて経済理論を無視し、日本銀行に通貨発行量を増加させるだけでなく、国債や株式まで購入させるとめちゃくちゃな政策であり、ただ問題先送りするだけの政策であった。こうした独裁的政治によって、浜に言わせれば、安倍は「21世紀版大日本帝国」の経済基盤をつくろうとしたのだという。時代錯誤のこんな「アベノミクス」は「アホノミクス」だと浜は揶揄したわけだ。
さらに、菅義偉政権はこの「アホノミクス」を継承するというのだから、「スカノミクス」にならざるをえないと彼女は主張している。
わたしも基本的に浜の見方に賛成だ。異なる論点をあげれば、「アホノミクス」も「スカノミクス」もともに信頼を毀損することを気にしないという点で経済理論からみても否定されるべきものだ。いわゆるソーシャル・キャピタルは信頼のもとに醸成され、それが人々の生活不安などのリスクを軽減する装置として機能すべきものだ。しかし、こうした信頼関係を無視し、倫理や道徳を無視した利益優先の政権運営は日本社会全体のソーシャル・キャピタルを多いに傷つけたと言える。それが、所得格差を広げ、多くの人々の暮らしをより深刻化させたのだ。
「デジタル庁」
浜は、「デジタル庁」については、下記のように言及している。
「さっそく「デジタル庁」というものを打ち出しましたけど、政府が監視を強め、AIやロボットとうまく共存できない人を振り落とすような恐怖の管理社会を、スマートに完成させていくかもしれない。そこをしっかりと見ていかないといけないな、と感じます。」
そうした危機感をもつことは大切なことだ。「デジタル庁」をつくるのは、あくまで政府であり、政府にとって都合のいい行政機関をつくるだけの話だからである。
すでに、前回書いたように、「デジタル庁」設置は日本の遅れに遅れたデジタルエコノミーへの対応のためには必要不可欠であり、この問題に真正面から取り組む必要がある。枝野幸男のように論点をずらして逃げてはならない。
その際、重要なのは急速に進化するテクノロジーへの理解である。世襲政治家の平井卓也大臣が時代の最先端を知っているとは思えない。せいぜい電通に味方するようなビジネス絡みの「甘い汁」にだけ敏感なだけだろう。
たとえば、菅が地方銀行再編を主張するなら、FinTecの発展推進による銀行業全体の再編にまで踏み込まなければならない。地銀再編で一部の投資家にだけ利益をもたらすようなことだけでお茶を濁すのであれば、それは問題の先送りでしかない。
「ズベル」という手本
ロシアというと、銀行も日本よりずっと遅れていると思うかもしれない。しかし、先週、ロシア最大のズベルバンクはフィンテックを大幅に取り入れ、銀行業からフィンテック企業への脱皮をはかるため、「バンク」という名前を削除し、「ズベル」というブランドで展開することを発表した。その具体的なサービスをみると、もはや日本のどの銀行よりも優れたサービスを提供できるようなる。もはや日本の銀行はロシアの銀行にも抜かれるほどのていたらくなのである。
こんな状況をみると、「デジタルエコノミー」を本格的に普及させなければ、世界の潮流から10年どころか、20年以上も遅れることになってしまう。まあ、それでもいいのだが、それによってまったく努力しない守旧派が利益をむさぼりつづけるのは許せない。
まだまだ無知な日本人
昨夜、「半沢直樹」をみていて強く思ったのは、まだまだ無知な日本人ということだった。この作品はいまを描いたものではないにしろ、現実の金融業界の置かれている厳しい実情について、もう少し示唆的取り上げてほしかった。
そのうち、「論座」に書く予定なので、ここではこれ以上書かないが、銀行業などもはや根本から崩れつつあるのであった、いくら半沢が努力したところで、あと5年以内に、いわゆる銀行はなくなってしまうのではないかと思う。少なくとも海外では、そうした動きが加速するだろう。
というわけで、もっとよく勉強しなければ、もはや4、5年先の将来さえ語れない大変革期を生きているという現状認識をしっかりもってもらいたい。
最近のコメント